2008年 6月 12日

趣味の集大成を本に

大津市在住の澁田義行さんの著書『近江の山野草』が瞬く間に完売。
定年後、山野草写真入門講座や里山自然観察会で植物のことと撮影についてを学び、その間、山行きは400回を超え、撮影した500点をこのたび『近江の山野草』として出版された。
関西一円に配布される情報誌に紹介されたことも大きく影響し、めでたく昨日で在庫切れとなった。もう少し出るかとは思うが、増刷は少し困難だと判断し悩みながら澁田さんのご連絡したところ、「初期の目的が達成したのですから」とすこぶる謙虚なご返事をいただき安堵する。
そして本日、ご来社され、さらに今後の計画をお話いただいた。澁田さんの山歩きと山野草撮影はまだまだ続くようである。

2008年 3月 14日

天然記念物「深泥池」

京都の北、14万年前の氷河期にその起源があるとされる「深泥池」

この池の自然と周辺の人びとの暮らしの変遷、さらには深泥池の保全活動を展開する人びとなどを網羅したまさに深泥池の百科事典といえる書籍『深泥池の自然と暮らし-生態系管理をめざして-』がようやく完成した。

深泥池は、普通によむと「みどろいけ」であるが、本書は「みぞろいけ」と呼ぶ。
この池の調査に係った7人の研究者を中心に、生態学、生物学、地質学、考古学、歴史学などあらゆる分野の専門家が、より平易に執筆いただき、実際保全活動に係る児童・生徒にも理解できるように腐心された。それだけに制作に時間を要し、まさにようやくという言葉がぴったりである。
時間がかかった分、その出来上がりには自信が深まる。
自然環境が激変し、道路の開設問題が浮上する中、瀕死に近い深泥池、洛中洛外図屏風にかかれた風情は薄れている。それでも四季の自然の変化に富み、都会の喧騒から少し離れただけなのに、豊かな自然が広がる。
できあがった書籍を手にすると、2006年の冬、深泥池に隣接する集会所で、地元の古老のお話を聞いたことが思い出されてきた。以前はどこもがそうであったように人と自然、水環境を取り巻くお話が思い出される。水がぬるみ、芽生えの時期、深泥池は今どのような姿を見せてくれるのであろうか。
この本を片手に散策はいかがか。

2008年 1月 17日

シニアニュースにがっかり

連日知らないメールの波が押し寄せる昨今だが、今週になって「楽天シニアニュース」なるものが配信されてきた。一瞬「何だ」とはおもったものの、データは正直だった。
むかしなら小正月、あるいは成人式の祝日であった1月15日が私の誕生日。めでたくというか、とうとうというのか「還暦」を迎えた。ブログで自分の年齢をばらしてしまう羽目になるというのも辛いが、昨日は社員のみなさんから、真っ赤な大きな花束をいただいた。
「社長おめでとうございます。これからもお元気で」誕生日を社員のみなさんから祝ってもらえたのは、節目の年であったから。さらには互助会からはお祝い金もでるらしい。母や姉妹たちもかなり豪華に祝ってくれた。気恥ずかしいものではあるが、まいいか、あんまり無理するなということなのかとも思った次第。

2007年 12月 10日

玩具コレクター高橋狗佛の少年時代

彦根城築城400年祭期間中に開催された「高橋狗佛の玩具コレクション」がイベントの終焉後も彦根夢京橋あかり館で常設されるらしいという嬉しいニュースを聞いた。
この高橋狗佛の本名は高橋敬吉といい、井伊家17代当主で28年間彦根市長を勤められた井伊直愛と弟正弘さんの家庭教師であった。
彦根藩士族の家に生まれ、教育現場でご活躍の後、懇願されて井伊家に入られた。この高橋敬吉氏が最晩年、ご自身の少年時代の日常生活を記したものがこのたび『彦根藩士族の歳時記 高橋敬吉』として発行した。
築城400年祭のイベントの一つとしてまちなか博物館で高橋氏のコレクションの運営に係った藤野滋さんのご尽力で生まれた書籍である。
発刊後、改めて読んでみると高橋さんの礼儀正しい中に、奔放かつ豪胆な性格が当時の風俗を背景にとても清冽に描写されている。藤野さん自身「文才があればなんとか小説にしたいものだが」と言われていたが、まさにそのとおり、時代小説と異なり、あまり多く世に出ていない明治の末から大正時代の地方都市のなにげない日常生活の中から今私たちが学ぶものが少なくはないと思うのだが。

2007年 12月 3日

研究成果の社会化

 淡海文庫39冊目の『近江の峠道-その歴史と文化-』がこのほど発行された。そして出版を祝う会が12月2日に開催。著者との旧知の方々がお祝いに駆けつけてこられた。
 本書は、木村至宏編著で、木村至宏さんのほか草津街道交流館の八杉純さん、高島市教育委員会の山本晃子さんの執筆で四方を山に囲まれた近江の峠道の歴史とその峠がもたらした文化の交流など多彩な視点での読み物となっている。祝詞の中で「親子のような研究者の共著」「木村さんの健脚ぶりに感心」など、親しいお仲間からの忌憚のない祝辞で会場が和やかな雰囲気が漂っていた。参加者は、木村至宏さんが主唱して設立された近江地方史研究会のメンバーを中心ではあるが、著者のみなさんの幅広いご活躍を示すように多彩な顔ぶれであった。発起人のお一人でもあった京都産業大学の井上満朗さんが最後のご挨拶の中で「研究者の日常の研究の成果の社会化が出版という形となる」というお話をされたが、そのようなお手伝いをさせていただいていることに誇りを感じたと同時に、さらに心してまい進することの必要性をも痛感したものである。

2007年 11月 22日

昭和30年代の記憶の写真展開催中

と き 平成19年11月29日(金)~12月7日(金)

ところ 東近江市立八日市図書館 2階集会室
 

 

このほど、東近江市の野村しづかずさんが『写真で綴る湖国の原風景-昭和三十年代の記憶-』を出版された。
本書に寄稿されている画家成瀬国晴さんが「この写真集を手にしている間、涙が頬を伝い止らなかった」と記しているように、この時代をすごした人にとっては、思いっきり郷愁を誘う写真が詰まっている。さらにご自身の克明な調査と資料をもとに丹念に書き上げられた時代の背景が、タイムスリップしたような気持ちになる。

大阪から疎開して、近江湖東地域で少年時代を過ごした成瀬さんにとっては真実の言葉であろう。

昭和三十年代に撮影されたと同じ場所に再度出かけてその変遷のようすが収まっているだけに、時の流れと時代の変化が良くわかる。
本日の中日新聞朝刊には野村さんの晴れやかな笑顔が掲載された。写真集発行を記念した写真展が11月29日から東近江市八日市図書館で始まるが、書籍とは異なった感激となることが今から楽しみである。野村さんおめでとうございます。

2007年 10月 27日

初体験「番方講」

 ご町内会からの要請を受けて、はじめて「番方講(ばんがたこう)」なるものに参加。車で迎えにきてくださったベテランのIさんは、番方講用の輪袈裟を準備してくださり、本日の行事内容を簡単にご説明いただいた。
 浄土真宗の門徒としての最大の行事が報恩講であり、宗祖親鸞聖人の命日である11月28日の前後に、その遺徳を偲ぶ法会が報恩講であるが、当地ではとくに番方講という組織があり、当番寺院の回り持ちで開催され、周辺から数十人が参加する。講は、各地にさまざまあるらしいのだが、この番方講は本山でも一目置かれている存在であるという。
 なんでも弾圧から逃れた蓮如がもち出し、大津三井寺の近松坊に移した親鸞の遺影を7年間にわたってお守りしたことが番方講の始めであるらしく、この講が今に続く。
 現在、滋賀県内の蒲生・神崎・愛知・犬上・坂田五郡の3500戸で構成され、現在は形式は大きく変わってきているが、戦国時代からの歴史ある行事なのであった。
 郷土料理の中には「お講汁」と呼ばれる報恩講に否んだメニューがあるが、この日のための特別メニューだったのであろう。本日も、簡素になったとはいえ、味噌汁や、手作りらしい漬物が用意されていた。
 ほとんど知識なく参加したが、連綿と続く近江の歴史の奥深いことを再認識するとともに、凛とした雰囲気の本堂で、お経を唱え、法話を拝聴し、そして心づくりのオトギおいただき、身も心もすがすがしい気分になった。
 それにしても、戸数20数戸という小さな集落で寺院の維持も大変だろうと人事ながら心配する。番方講にはご本尊があり、このご本尊をお迎えしたときの報恩講はそれは大変だと、帰りがけにIさんから教えていただいた。

2007年 10月 26日

信楽汽車土瓶

汽車で旅した時代、「旅の友 お茶」は陶器の土瓶であった。
この汽車土瓶の大半が、日本の六古窯のひとつ信楽で作られ、その製法にもとことんこだわり続けていたという。

知的障害児をあずかる信楽学園では、開所当時より、地域の暖かい支援の中で、汽車土瓶の生産を行い、彼らの生産技術習得と自立への道を切り開いていった。

今では、土瓶型のポリエチレン製、あるいはペットボトルのお茶が主流になったが、このたび発行した『信楽焼 汽車土瓶』では信楽汽車土瓶の歴史をたどるとともに、作り手たちにも目を向けている。

編者は、『信楽焼の考古学的研究』を著した畑中英二さん。
仕事上のお仲間の協力で、このほど完成。現在、甲賀市土山歴史民俗資料館では、本書に掲載された汽車土瓶の展示が行われ、27日には畑中さんの記念講演会が開催される。
日本の近代化とともに始まった鉄道の旅は、弁当とともにお茶を販売するという日本独自の駅弁文化を生み出し、その中で多くの汽車土瓶が信楽で作られたことを著書では詳述されている。

引き込まれるように読み進む中、青春時代に、中央線に乗ると必ず塩尻で釜飯を求めたことが思い出されてきた。

2007年 10月 23日

老舗学

NPO法人三方よし研究所の主たる事業として「なるほど三方よし講座」を1年に3回程度開催している。今年は「老舗に学ぶ」をテーマとしている。しなやかにしたたかに長年、営々と事業を継続してきた背景を探ろうという趣向である。

先月には、五個荘出身の近江商人、京都の塚喜商事社長の塚本喜左衛門さんのお話を伺い、そして塚喜さんの社会貢献事業に一端を見学させていただいた。
その感動覚めやらぬうちに、今回の「赤福問題」が浮上。
 おかげ横丁の事業展開を見学した折には、随分と感激した印象が残るだけに、残念な気持ちで一杯だ。

来月には、老舗学研究会代表の前川洋一郎先生から「今 なぜ老舗が話題か」をテーマのお話を聞く予定になっている。前川先生からは業態変革を続けながら、暖簾を守ってきたその底力を聞こうとするものである。今回の問題を、どのような見解でお話いただけるのであろうか。

2007年 10月 15日

藍は青より出でて・・・

サンライズ出版が加盟する日本グラフィックサービス工業会(通称ジャグラ)の組織の中の任意団体の一つに藍友会という組織がある。表題のとおり、子どもが親を追い越し成長することを願い命名された。ちなみに全印工連(全国印刷工業会連合)には同様のグループが緑友会という。後継者問題解決の手段としての設立でもあった。

業界の時代を担う若者らがともに悩みを打ち明け研鑽し、輝かしい企業と業界を目指そうと1967年に設立。いまから40年も前のことである。

設立当時の思惑のとおり、藍友会からは業界リーダーが多く誕生し、今も業界を牽引しているが多い。
40年も経過すると紅顔の美少年もダンディなシニア世代となった。すでに次代にバトンタッチをした人もあり、残念ながら鬼籍に入った人もいる。それでも長年、互いに膝と突合せ問題解決を求めてきた仲間同士はお互いに心が通い合い、毎年1度各地で出会う機会を作っている。

今年は有馬温泉に集い、六甲、明石、灘で遊んだ。

総勢30数名の中、チャーターメンバーは数えるほどだが、私もそのひとり、まだ学生だった時、仕事のことはほとんど理解のないまま、この会で多くのご教示いただき、必死で追いつこうとした時機があった。

次に逢うまでには必ずや、という目標設定を作って1年業務の励んでいた頃を懐かしく思う。現在と大きく違った情報環境の中、都市と地方の、また最先端企業と零細企業の格差は大きく、話題についていけえないことも多かった。しかし、ここで学んだ一番大きなことは、独自色を強化するということであったと今思う。

かつて業界団体は護送船団のようにみんな一緒に夢を追っていた。しかし今は違う。今年も出会ったそれぞれが、各地で独自色を強化している。40年を節目に今後は親睦を中心の集いとなることと決定。

来年は四国での開催が決まった。口にすることはなくとも、また新たな目標に向かう第一歩が始まった。楽しかった2日間の別れと告げた新大阪駅。この日は一番の人気商品「赤福」が姿を消していた。

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