2016年 1月 10日

ガリ版と孔版画

元旦の朝、各戸に届く年賀状は新年の大きな楽しみの一つである。年々正月らしさが少なくなった中、良き風習だと思っている。近年は、メール配信で年始の挨拶をすます人も多く、お年玉つき年賀はがきの発行数はこのところ減少し、さらに年賀状印刷を取り巻く環境も刻々と変化している。一昨年頃までは、コンビニの店頭に「年賀状印刷承ります」のポップが賑やかだったが、昨年は、年末の商材はおでんに代わっている。かつて、写真入り年賀状や、自分で作る「プリントゴッコ」の隆盛期があり、その時期のテレビコマーシャルは年賀状印刷のオンパレードという状況でもあったが、今や業者も個人もほとんどの年賀状印刷はデジタルプリントが主流となった。
わが社の創業は1930年、当時から干支を配したデザインを考案し、デザイン集の販売や年賀状印刷を受注し、積極的に年賀状に取り組んでいた。50年代、印刷を受注する業者の多くが活版印刷所であったが、全国的には謄写印刷で色刷りの年賀状づくりに意欲を持つ人は多く、印刷機材業の昭和謄写堂(現ショーワ)の主導で年賀状交換会が10年余継続開催され技術を競ったものである。参加した作品は、木版画ではなく独特の風合いがあり、すべて謄写印刷で作られた「孔版画(こうはんが)」に限定していた。
謄写印刷は、紙に蝋を引いて加工した原紙に文字や絵を鉄筆で蝋をこそげ取り、その穴からインキがにじみ出て用紙に転写する印刷で、一般的には「ガリ版」といい、年配の人なら、学校や事業所などで一度は経験のある手動式の印刷方式である。この原理から誕生した「プリントゴッコ」が、一時、年賀状作りに威力を発揮していた。
少しややこしいが、謄写印刷で作品をつくる人は「ガリ版」という言葉を好まない。しかし一般には「ガリ版」が通じやすい。謄写印刷は、1895年に滋賀県蒲生町岡本(現東近江市)出身の堀井新治郎親子が発明し、大量に同じ文章が複製できる印刷機を「謄写版」と命名し、明治期の事務作業効率化の躍如した一大革命であった。 
堀井親子の旧宅は、現在「ガリ版伝承館」として公開され、毎年11月に限って各地の孔版作家の作品展が開催される。見学に訪れた人々は、一様に独特な温かみを感じる多色刷りの孔版画に驚く。謄写印刷を取りまく環境は今や風前の灯で、すでに機材や資材の供給もままならない状況になっている。
ところが、今になってこれらの作品が注目されてきている。版画作品を収集する和歌山県立近代美術館ではガリ版をアートととらまえ、2013年に開催された「謄写版の冒険」展では、おそらくこれまでになかった規模での謄写版、孔版画の企画展が開催され大きな波紋が広がった。コピー機の登場、パソコン全盛期になって改めて手作りの孔版画が注目されてきたのである。
謄写印刷で作られた手作りパンの包装紙に人気が集り、京都精華大学では学生が孔版画の作品作りを進めていると聞く。昨年、『ガリ版ものがたり』著者、志村章子さんの講演会が東近江市で開催され、全国から孔版画に興味のある人が相当数集まった。この時、資材供給を検討するような機運が出てきたことは喜ばしい。発祥地で「ガリ版伝承館」を守る「ガリ版ネットワーク」の運営は厳しいが、消えゆきそうな文化に何か明るい兆しを感じたのである。(2016年1月7日京都新聞夕刊「現代のことば」より)

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