2015年 12月 26日

近江と淡梅

 2015年2月、滋賀県議会で、滋賀県を「近江県」に変更すればいかがかという提案があった。そしてこの提案に対して、三日月大造知事が「議論を深めるのは、県のアイデンティティを見つめなおすきっかけになり、対外的な発信につながる」と理解を示したことから、県名変更への関心が高まってきた。
「地域ブランド戦略サーベイ2013」によると、全国的に滋賀県の認知度は37位だったが、37番目には、岩手県、秋田県、千葉県、栃木県などが並んでいて結果、最下位だというのである。
県議会では「近江商人」「近江牛」「近江米」などと世間的に知られる「近江」を冠した県名変更の提案であったが、「若い人は近江を『ちかえ』と読むかもしれない、やっぱ象徴的な『琵琶湖県』でしょう」という意見も浮上している。一方では、変更必要なしとする声も少なくはない。そして提案を受けてかどうかは知らないが、本年度の県民意識調査では、「県名変更」に関する設問があると聞く。そのアンケート結果はまもなく公表されるので結果が楽しみだ。
県名変更の議論は、平成22年の県民アンケートでも問われたが78%が「変更必要なし」と回答しており、平成2年には「琵琶県」への変更提案もあった。この時、当時の稲葉稔知事は「『滋賀』が環境先進県の代名詞として認められるようにしたい」と変更する考えがないと応えた。
ところがこの稲葉知事は、施策の中心に「新しい淡海文化の創造」を据えられた。近江という国名は、大宝令制定の頃から使われ、「古事記」では「近淡海(ちかつあわうみ)」と記されている。大和の朝廷から近い湖としての琵琶湖の存在があり、「近江」が琵琶湖を取り巻く国名とされた。対して、大和から離れた遠い湖として浜名湖の存在があり、「遠淡海(とおつあわうみ)(遠江国)」となる。
この呼び名に対し、私たちの土地の文化を語るとき「近江」ではなく「淡海」の文化を考えようと提唱したのが稲葉知事だった。滋賀は、自ら輝く琵琶湖を有していると同時に、現在の人々の暮らしや文化活動こそが滋賀の輝きであることから「新しい淡海文化を創造」を推進された。
この時期、滋賀の歴史や文化を伝えるシリーズ本の創刊を準備していたので、すぐさまこの名称を拝借し、1994年4月に淡海文庫を創刊した。それから20年余、豊かな自然の中での生活、先人たちが築いてきた質の高い伝統や文化を、今に生きるわたしたちの言葉で語り、新たな感動を作り上げていくことを目的に、75冊の淡海文庫を発行してきた。
近江を冠した言葉は多く、人々によくしられているが、淡海は一向に浸透せず、なかなか「おうみ」とは読んでもらえない。それでも、いつかはあの淡海文庫といってもらえることを夢見ている。県名変更の議論も表面的に言葉遊びに終始するのではなく、知事がいう、滋賀県のアイデンティティを真剣に見つめなおすことができ、しかもど真剣に取り組むことが重要だと思う。(2015年12月25日京都新聞夕刊「現代のことば」より)

2011年 12月 28日

どうぞ良いお年をお迎えください

昨日FM滋賀でも紹介しましたが、本年、滋賀県の大きな歴史トピックとしては、やはり大河ドラマ効果が筆頭でしょう。長浜市で開催された大河ドラマ関連の博覧会への入場者も予想を大きく上回り、長浜城博物館そして彦根城への来場者も前年よりはるかに多く、関係者の御苦労の成果と嬉しく思います。
新年早々の降雪にもめげず連日テレビ出演されていたHさん御夫妻や、番組への助言や講演にご活躍の太田浩司さん、さぞお疲れであったことでしょう。視聴率も良好で成果も生まれたことは喜ばしいことでした。

そしてもうひとつ、3館連携の「神仏います近江」展の開催は素晴らしい企画でした。全国でも有数の神様、仏様を有しながら、どうにも多くを発信できていなかったのか、近年とみに再認識されていることは、嬉しいことです。企画展の開催はまさに時期をえたもので近江の歴史の奥深さをまざまざと示したものだったといえましょう。

多くのすぐれた文化資産を有しながらも、ともすれば発信力が乏しかった滋賀県ですが、これを契機に奥ゆかしさをふっ飛ばして、新しい年には果敢な挑戦を始めたいものです。滋賀の優れた自然、歴史、文化の発信により一層精進できるよう来年も邁進したいと思っております。
新年早々には、若き民俗学者橋本章さん著の『近江の年中行事と民俗』を刊行します。さらに2月には第24回大近江展の開催テーマにそって『近江のまつりを歩く』の発行を予定しています。どうぞ来年もサンライズ出版にご期待ください。本年も大変お世話になりありがとうございました。どうぞ良き年をおむかえください。

2010年 3月 8日

近江に春がやってきた

湖国滋賀の春を告げるという大きなイベントの一つ「びわ湖毎日マラソン」が昨日小雨降る大津市で行われた。第64回を迎える本大会は国内最古のマラソン大会で、例年好記録が誕生している。
本年は新しいコースとなったことからスタートして間もなくコース誘導ミスがあったようだが、日本選手が2位に入るなどの活躍ぶりが報道されていた。

昨日は冬を思わすような寒さのぶり返しであったが、毎日マラソンのニュースは湖国滋賀の春の訪れでもある。積雪がある北近江では、「川道のおこないが終わらないと春が来ない」と言われるが、今年はその祭礼にめぐりあうことができた。
なんせ女人禁制の行事なので、遠慮がちな取材ではあったものの、旧来の伝統を極力、できる限り引き継いでいくというその熱意に驚嘆したものだった。以前に比べるとずいぶん大きく変化した。と古老の方が話されていたが、文久年間の印のある杵による鏡つくりから、献鏡された鏡餅を各戸に下げられるまで、例年になく暖かな日よりの中、粛々進行する行事の隅々に、地域の人々の一体感、連帯感をひしひしと感じたものだった。

世間では「暑さ寒さも彼岸まで」というが、湖国近江では彼岸過ぎの比良八講が終わるまで本格的な春は来ないといわれる。このところの天候は、まだ冬ではあるが、週末の私はすっかり春の訪れを感じていた。そのひとつ、6日には、川渕依子さんの『高橋潔と大阪市立聾唖学校』出版祝賀会と高橋潔さんの生誕120年のお祝いが行われた。そして、翌7日には、5人もの子供の里親として元気に歌づくりに励む「のぶかあちゃん」の2回目のコンサートが開催された。

どちらの会場にも、彼女らを応援し支えあう人々が集い来て、暖かかな雰囲気に包まれていた。
両日とも冷たい小雨が降り続いていたが、心の中にはやわらかい日差しが差し込み春到来を感じたのだった。

そしてもう一つ、今年で3年目の京阪電車石坂線にラッピング電車が走る。
京阪石坂線の駅数21にちなんで、石坂線を愛する会が、全国から募集した21文字のメッセージの中から選ばれた最優秀作品などが車体を飾る。入選作品 100点は「電車と青春21文字のメッセージ」として3月10日発売。
最優秀作品、石坂洋二郎青春賞に輝いたのは

 11枚綴りの回数券 あなたに会える予約券

今回は親子のきずなをテーマにしたものが多かった。明日から大津パルコで開催される京阪電車開業100周年記念イベント会場で入選作品が紹介される。

2009年 2月 3日

安土城再建!!

先日、安土城を作ろうという本の発売告知があった。なんでも完成までに10数万円の投資が必要らしいが、50センチ程度の安土城天主が完成するというものだ。城ファンならずとも心躍る企画である。過去にも企画があったが、ようやく陽の目を見たという。『安土城 信長の夢』の表紙には内藤昌氏の安土天主の復元図を用いたが、今回の企画は、広島大学の三浦正幸氏のものである。

ところで本物の安土城を作ろうという話しが30年前にあったと聞いた。元滋賀県知事武村正義さんが、知事時代に近畿知事会議の席上で、景気浮揚対策の一環として滋賀には安土城を、京都には羅生門を、奈良には平城京をという具合に、建設当時の形で再建しよういう提案をしたのだという。

お話によると、西欧では焼失した価値が高い建築物の復元の例は多いが、日本では、かなり曖昧に、お茶を濁した再建をしているといわれる。文化を残すためには、建設当時そのままの形が望ましいというものだった。
ただし、正確さが要求されるので再建はかなりの困難な問題が多いという。話を聞いて早速に「再建はわが社で」という引き合いまであったという。
それはともかくも、景気対策としては妙案だと思う。

近年「三方よし」という言葉が独り歩きしてすっかり有名になった近江商人は、利益を社会貢献事業に費やしたことで知られる。近江商人の社会貢献は、人知れず善行をおこなうことで陰徳善事といわれ、不況時に自宅や寺社を建設した「お助け普請」は、民間による公共事業投資であるといえる。城主などからは、この時代に贅沢なという批判もあったらしいが、不況だからこそ建設をして仕事を作り、食べられる生活を求めるという目的を聞いて、批判なく許可されたという。
現存する近江日野商人館や豊郷町の豊会館などは、お助け普請によって建設されたものである。
安土城の再建とまでいかなくても、財政難を理由に、文化施設を閉館に追い込むだけではなく、いまだからできる新規事業で新しい価値を見出すことが求められているのだと思うが、いかがなものか。ピンチはチャンスという元気な企業者の声も聞かれる。景気回復には時間がかかる様相であるが、今だからできることもあるのではないかもしれない。冷静に見つめなおしてみたいものだ。

2008年 7月 25日

東京で見るおこない

先週、自費出版フェスティバルのために上京。折角だからと、京橋のINAXギャラリーでの「おこない」展に立ち寄る。
展示には長浜城歴史博物館、高月歴史民俗資料館の収蔵品が多く展示され、壁面を彩るパネル写真は「DADA」編集長の杉原正樹さんの撮影がほとんど、彼の眼が素晴らしい。

DSCF23861.JPG

なんども見ているはずの「おこない」にかんする道具や写真が、ここではなんともお洒落に見える。いつもは、湖国の風俗には「べた酒とふなずしが一番」と思いながらこうした風習を見ていたのだが、おっと、このときばかりはワインに手が出そうな感じになった。展示の方法でこんなにも変わることを実感した次第。
23日には中島誠一長浜城歴史博物館館長の講演があったのだが、同行した太田浩司さんいわく「なんでこんなに人が集まるか不思議」という状況だったらしい。そりゃ、花のお江戸はともかく人が多いのですから仕方ないです。
それにしても、INAXでおこないというこの組み合わせがなんとも面白い。今後全国巡回されるらしいが、どのような反響をあつめるのであろうか楽しみである。

もう一つこの件の話題。制作部のMさんは川道の住人。そして今年はトウヤ。図録には少しだけその勇姿が覗いている。

2008年 1月 17日

シニアニュースにがっかり

連日知らないメールの波が押し寄せる昨今だが、今週になって「楽天シニアニュース」なるものが配信されてきた。一瞬「何だ」とはおもったものの、データは正直だった。
むかしなら小正月、あるいは成人式の祝日であった1月15日が私の誕生日。めでたくというか、とうとうというのか「還暦」を迎えた。ブログで自分の年齢をばらしてしまう羽目になるというのも辛いが、昨日は社員のみなさんから、真っ赤な大きな花束をいただいた。
「社長おめでとうございます。これからもお元気で」誕生日を社員のみなさんから祝ってもらえたのは、節目の年であったから。さらには互助会からはお祝い金もでるらしい。母や姉妹たちもかなり豪華に祝ってくれた。気恥ずかしいものではあるが、まいいか、あんまり無理するなということなのかとも思った次第。

2007年 10月 15日

藍は青より出でて・・・

サンライズ出版が加盟する日本グラフィックサービス工業会(通称ジャグラ)の組織の中の任意団体の一つに藍友会という組織がある。表題のとおり、子どもが親を追い越し成長することを願い命名された。ちなみに全印工連(全国印刷工業会連合)には同様のグループが緑友会という。後継者問題解決の手段としての設立でもあった。

業界の時代を担う若者らがともに悩みを打ち明け研鑽し、輝かしい企業と業界を目指そうと1967年に設立。いまから40年も前のことである。

設立当時の思惑のとおり、藍友会からは業界リーダーが多く誕生し、今も業界を牽引しているが多い。
40年も経過すると紅顔の美少年もダンディなシニア世代となった。すでに次代にバトンタッチをした人もあり、残念ながら鬼籍に入った人もいる。それでも長年、互いに膝と突合せ問題解決を求めてきた仲間同士はお互いに心が通い合い、毎年1度各地で出会う機会を作っている。

今年は有馬温泉に集い、六甲、明石、灘で遊んだ。

総勢30数名の中、チャーターメンバーは数えるほどだが、私もそのひとり、まだ学生だった時、仕事のことはほとんど理解のないまま、この会で多くのご教示いただき、必死で追いつこうとした時機があった。

次に逢うまでには必ずや、という目標設定を作って1年業務の励んでいた頃を懐かしく思う。現在と大きく違った情報環境の中、都市と地方の、また最先端企業と零細企業の格差は大きく、話題についていけえないことも多かった。しかし、ここで学んだ一番大きなことは、独自色を強化するということであったと今思う。

かつて業界団体は護送船団のようにみんな一緒に夢を追っていた。しかし今は違う。今年も出会ったそれぞれが、各地で独自色を強化している。40年を節目に今後は親睦を中心の集いとなることと決定。

来年は四国での開催が決まった。口にすることはなくとも、また新たな目標に向かう第一歩が始まった。楽しかった2日間の別れと告げた新大阪駅。この日は一番の人気商品「赤福」が姿を消していた。

2007年 10月 11日

応募してみました一夜城の幟

彦根商工会議所青年部のみなさんからのお知らせで、先月華々しく開催された佐和山一夜城イベントの幟をお分けしますとのこと。
佐和山が目の前のサンライズにとっては必需品だとばかりに、「ほしい」と手を挙げたのでした。
ただし応募者多数の場合は抽選らしく、しばらくは情勢を静観という状況。

今年一夜城ができた清凉寺側の反対、鳥居本内町町内会でも、新幹線から見えるところに是非とも「佐和山城」の大きな看板を立てたいとの意向があるらしい。

国宝彦根城は素晴らしいが、佐和山城ファンも多い。早く大きな表示ができることを希望するものだ。

2007年 9月 25日

琵琶湖文化館閉館か

屋根の上のトンボが象徴的な琵琶湖文化館が閉館されるらしいという。
滋賀県で最も古くまた収蔵品(寄託が多いらしいのだが)も多く、残念なことである。

国宝、重要文化財、県指定文化財など合わせて70件以上を越え(『淡海の博物館』より)、近江の文化の特質を知ることが出来る有数の施設である。

ただし、エレベーターがなく、職員のみなさんの負担は大きいという。それでも、毎年、素晴らしい企画展が開催される。しかし、入場者はいつも多くはない。

かつて、写真家の壽福滋さんが、水族館跡のギャラリーで「杉原千畝」の写真展を開催されたが、会場の特質を旨く利用された素晴らしい写真展であった。この施設でこんなに感動的な構成ができるのかと目を見張ったものである。

閉館となった過程の中では、建物の老朽化というだけではなく、利用の仕方や運営面にも大きな問題があったのではないかとも思える。

閉館となれば、ここの多くの文化財はどこに行くのだろうか、心配なことである。

水族館施設が琵琶湖博物館に移ったことも入場者減に結びついているのかもしれないが、ここに至るまでになんらかの方策がなかったのであろうか。
全国で有数の文化財を保持する滋賀県に文化博物館も文書館もないというのは、あまりにもお粗末なことである。

幸いにも、近年、県内には民間の優れた博物館施設が誕生し、積極的な企画展の開催や設備拡充で、大きな成果を見せている。そしてこれら施設に訪ねた人が周辺観光地に立ち寄り近江の文化の奥深さに惹かれる人が多い。先だって取材のお手伝いをしたTさんもその一人。

「白州正子の世界展」で初めて近江に来て、大きな感動を受け、そしてご自身が担当する雑誌に近江特集を組んだのであった。
昨日、出来上がった雑誌[ACT40]が届いたが、「日本の憧憬を往く、近江」と題した近江特集は素晴らしい近江の文化を紙面一杯に構成されていた。

今までに見たどの近江特集よりも素晴らしく、おそらくTさんのあふれんばかりの感動がこのような形になったと思う。女性が読者だというが、この反響は楽しみである。

琵琶湖文化館の行く末も心配ではあるが、何よりも多くの文化財のこれからの行く末が気がかりである。

2007年 9月 21日

にゃんこと社会貢献事業に取り組む

学生のみなさんに中小企業の実態を学んでもらうことを目的に始まった彦根商工会議所のインターンシップ事業に本年はサンライズ出版も参加。

面接の結果5名の学生が当社で課題に取り組むこととなった。

テーマが「ひこにゃんを活用した地方出版社の社会貢献事業」
本日その最終プレゼンテーションが行われた。

生憎と中間発表に立ち会えなかったので、結果が大変心配だった。
彼らとの連絡調整役のKさんが途中、頭を抱えていただけに、結果が不安でもあった。

サンライズ出版で体験することを希望した学生の多くが、なんとなくひこにゃんに惹かれたようで、思いのほか苦戦していたらしい。

それでも、きょうのプレゼンテーションは、よくまとまり、新鮮な企画が誕生し、とにかくよかった。

自分の思いを言葉で伝えることの難しさ
求められているものに対して的確に対応する判断力
何よりも足で情報を収集することの重要性
などなど

おそらく、はじめての体験であったと思うが、彼らにとってなにかのお役に立てれば幸いである。
お疲れ様 そしてありがとう。

それにしても、なにか明るさ、元気さが乏しく感じられた

今どきの若い人って自分を傷つけないのだろうか、お行儀よすぎるばかりで、肩透かしされた印象が残る。

もっともっとガンガンおしゃべりがしたかったのだが・・・。

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