2009年 6月 23日

小江戸と小京都の近江屋

NPO法人三方よし研究所の仲間で秩父・川越へ 研修に出かけた。
秩父の矢尾直秀社長に出会うことが最大の目的であったが、近くの川越にも足を 延ばした。

矢尾さんは創業260年の矢尾酒造と地域一番店の矢尾百貨店の社長で、近江商人的経営を継承している。昭和40年代ころまで、単身赴任、地元滋賀県 からの社員の採用などが続いていた。
現在では近代的な設備で製造が進む「秩父酒づ くりの森」では工場長であり館長の新井さんから酒づくりの秘策をお聞きし、地酒秩父錦を試飲。そして秩父における矢野家の歴史と商いの極意をお聞 きした

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矢尾百貨店に隣接する旧酒造りの蔵。大きな杉玉がかかる

そして翌日は川越に、蔵の町として人気がある川越には年間60万人の観光客が訪れるという。朝の連続ドラマの舞台でもあり、都心から30キロという 利便性、そして町の活性化を推進する町衆の熱気があふれている。

街角で案内に徹するボランティアガイドさんもみな親切で食事どころもガイドさんが紹介してくださった。その「幸すし」さんは、近年「近常」さんとい う近江商人ゆかりの蔵づくり商家を譲り受け「明治の館」となっている。川越のシンボル「時の鐘」の近所の「近長」さんも近江商人ゆかりの商店で、川越でも 「近○」という商店はほとんど近江の商人によるものだ。

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川越に現存する蔵の多くは、明治26年の大火ののちに建築されたものだが、唯一、江戸時代からの蔵造り商家「大沢家住宅」は重要文化財の指定を受け る。そしてこの建物は、「近江屋」西村半右衛門が建てたものだ。

江戸に近く、大都市の物資斡旋の拠点として栄えた川越には、「近江屋を冠した近江商人の足跡が残るものの、この町での近江商人への好感度はあまりよ ろしくない。

「近江から来た商人は成功したが、その後は定石どおりに・・・」という話も聞かれ、近年では転廃業する近江ゆかりの商店が目立つとのことだった。

地元に溶け込んだ秩父、矢尾家の印象が強烈だっただけに、少し悲しい思いが残った。この町での足跡の詳細を再確認する必要がありそうだ。

そして、先週は社内研修で、城崎、出石方面に出かけた。
出石では名物のそばに期待がかかったのであったが、どうにも満足できるものではなかった。今やうまい「そば」は各地にあるので、歴史があるだけでは、人気 を獲得するのが難しいようだ。

ところが、やはりうまいと評判の店には行列ができている。それが「近又」というそば屋であった。

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近江屋又兵衛さんが篠山築城の頃、近江からこの地にやって来て旅籠を営み代々又兵衛を襲名し当主は11代という。「近又」は明治になって命名され、 そばやは2代目という由緒が店頭に記されている。
京都の高級料亭に同じ「近又」があるが、偶然なのだろう。出石という予期しない場所での近江商人の足跡に出会えたのであった。川越での暗い気分がすっかり 晴れた。

全国各地で商いをした近江商人の数は、他の地方に比べて圧倒的に多いらしいが、その商いの精神が現代にまで、営々と受け継がれ続けてほしいものだ。

2007年 1月 21日

現代の三方よしとは?

NPO法人三方よし研究所の1月例会は新年会もかねて、メンバーの徳島さんが大奮闘の「黒釜」で開催。特別に設立当初からのメンバーである高橋卓也さんの講話があった。
愛媛県生まれ、蒲生家の最後の領地で生まれ、その後、中江藤樹先生が赴任した大洲に移られ、そして、カナダでは、秦荘出身の権並さんや遊学中の末永國紀先生とお知り合いになったという経歴をお持ちで、現在は県立大学に勤務されている。

ご自身でもなぜか近江のご縁があると話されていたが、権並清さんの名前が出て驚いた。カナダと日本の架け橋として特に滋賀からカナダを訪れる人に親切な方で、以前、寄稿いただいたこともある。
人のご縁とは、不思議なものだ。

この高橋先生、ご専門は環境経済学、本日は森林認証という聞きなれない言葉をお聞きしたが高橋さんの研究テーマであるという。県立大学にこられて、森林林業分野の方とのお付き合いがふえたそうで、滋賀県の森林審議会委員でもある。

三方よし研究所でインターンシップ的な教育や研究はどうかとの提言があった。まさしくこの会設立の理念である。設立後、地域での近江商人啓発には力を入れているが、当初の目的達成には、大きな労力がいる。どうにも片手間ではできない問題ではあるのだが。

2006年 10月 12日

本当の近江商人

視察研修の同窓会お集まりの余興として「近江商人」の話をせよとのことで長浜に出かけた。
少人数のお集まりだったので、テーブルを囲んで、和やかであったが、開口一番「みかたよしさん」といわれてしまった。
「三方よし」はまだまだ定着していないらしく、「さんぽうよし」と読んでもらえないことは多い。

さらに続けて「近江商人といえば西武の堤氏がそうなんだね」またまたパンチ攻撃が続く。
すぐさま「いいえ、近江のご出身ですが」と言葉をさえぎってしまった。

お客様に対して自尊心を傷つけた態度であったことを反省はしたが、そのままではすまなかった。そしてすぐさま本題に入り、近江商人の経営理念が今見直されていることを話した。

琵琶湖が滋賀県にあることの認識が薄いと同じぐらい、まだまだ近江商人に対する認識は浸透していない。当然ながら「三方よし」の経営理念は言うに及ばない。
こうした現状を打破したい思いから出版したのが、まもなく、発売となる『近江商人ものしり帖』である。

わかりやすく、親切な構成、さらにはお手軽な価格設定にしたので是非多くの方に読んででもらいたいと願うばかりである。

2006年 9月 7日

信長の楽市楽座令と近江商人

三方よし研究所恒例のなるほど三方よし講座がいよいよ10月から始まる。今年は、近江商人が誕生した近江の歴史的背景に迫る企画となっている。10月7日には安土城下町散策と講演の集いを行う。
滋賀県がAKINDO委員会を解散後、三方よし研究所を設立し、小さな力ではあるが、近江商人の経営姿勢を広く全国に伝えよることを目的としている。興味のある方は是非ご参加を。

2006年 9月 5日

近江の発信力

このところ三方よしに関する取材が多い。本日は『近江の商人屋敷と旧街道』を携えてご来社された。三方よし研究所発行、サンライズ発売の近江旅の本シリーズである。情報を確実に発信できていると思うと嬉しい限り。

このAさん、滋賀は今まで通過していたばかりだったが、「やってきて始めて感じたのが、なんとも興味が多いことか。」とおっしゃる。当然でしょう。古くからの歴史の宝庫であり、自然環境が多彩、しかも現在も確実に前進しているのだから、とつい胸をはってしまった。

7月以来、滋賀での取材が続き、まだ少しかかるらしい。はてさて、今日の取材の結果がどのように料理されるか楽しみである。

それにしても、滋賀県が格好の発信源であるAKINDO委員会を終息してしまったことは惜しいと何度も言われた。AKINDO委員会が目指していたものは「近江商人の理念を新しいまちづくりや産業おこしに生かす」ことであったが、現在の経済社会状況の中、企業の社会的責任は、当時の目的をはるかに超えて重大な問題になっている。いまこそ近江商人をアピールできる大きなチャンスであり、滋賀の発信力を増大するべき時であるはず。

行政が事務的に10年を経過した事業の見直しということを繰り返していては、この先本当にしなければならないことが見えてはこないのではないだろうか。とはいえ、弱小NPO法人三方よし研究所が行政と同様の事業展開は困難である。
しかしながら、私たちらしい展開を発揮しなければ、それこそご先祖様に顔向けできないではないか。済んだことを悔やむことなく、それこそ進取の気性で歩みたいものだ。

2006年 8月 1日

CSRの潮流と商人道

彦根青年会議所が、『企業倫理とは何かー石田梅岩に学ぶCSR-』の著者平田雅彦さんを迎えての講演会が開催された。先日、同書を読み終えて早速講演をお願いしたいと思っていた矢先で、彦根青年会議所に先をこされたことを悔やんだものの、ともかくも出かけた。

講演の前のあわただしい時間にあつかましくもご挨拶ができ、「三方よし研究所」の名詞を出すと、「さすが滋賀ですね。いいことです」とお褒めの言葉をいただき恐縮した。

「見直そう商人道」というテーマのレジュメで講演が進められ、今、非常に監視が高まっているCSRとはなにか、どうしてかという話から、商業者の道徳観を説いた石田梅岩の思想、当然ながら近江商人の商いの理念も紹介された。最後には経済価値と社会価値の両方で企業全体の価値が判断され、21世紀の新しい企業像は「尊敬できる企業」であると結ばれた。

そして、例の石油ストーブの件について、深くお詫びの言葉を述べられたのには、少し驚いたが、今日のような話の中では当然ともいえよう。商いの理念は作るものではなく、生まれるものだということを実感した。

2006年 6月 5日

現代の近江商人

塚喜商事の塚本喜左衛門さんからのご案内状を頂戴し、京都の重森美玲邸にお伺いした。
重森美玲さんのことをほとんど知らなかったのであったが、テレビコマーシャルに登場していた庭園であった。重森さんは、昭和を代表する造園家であると同時に多彩な才能をお持ちの人であったことを改めて知った。

重森邸と、隣接する屋敷を「招喜庵」として、このほどオープンされたのだ。

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塚本さんは、本業と同時に、伝建地区の五個荘金堂のご自宅を毎年公開されたり、また今は新たに登録文化財の保存にご尽力されていると聞き及ぶ。

かつて近江商人がさまざまな形で地域への社会貢献事業を展開してきたが、まさに塚本さんは現代版近江商人として先人と同様の事業展開をされている。

真夏を思わすような日差しではあったが、涼やかな風が吹く中、清廉なお庭を拝見して豊かな心持ちがする。

イサム・ノグチに影響を及ぼしたという、林立した四国の青石が、一層涼やかさを増幅している。

楽しいひと時を過ごさせていただいたことに感謝感謝である。

塚本様ありがとうございます。

2006年 5月 16日

近江商人誕生の背景

創立以来4年を迎えたNPO法人三方よし研究所「石の上にも3年」「3号雑誌」などどうにも3という数字を越えると永続性への道筋らしい。

事業の永続性を求めた近江商人の経営理念に学び波及することを目的としているのであるから、なんとしても長く活動を続けねばならない。

5月13日は通常総会を開催。
総会に先立って木村至宏氏の
「近江商人誕生の時代背景を探る」
と題する講演会を開催した。

近江の近世史、とりわけ交通史がご専門ではあるが、広い見識があり、独特の話術は参加者一同が吸い込まれえるように聞きほれる。

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たちまち時間が過ぎる。

本年は、なるほど三方よし講座のテーマとして、中世から近世の近江状況から近江商人誕生の要因を探ろうとするが、総会後、本日の木村先生のお話に酔った面々、もっともっと聞きたいとの合唱。
ご多用の先生にご無理をお願いすることになることであろうが、
再度のお話が楽しみでもある。

2006年 4月 22日

金亀食堂のポスター

まちの駅「寺子屋 力石」でスピーチをする。
彦根商店街の花しょうぶ通りの中心にある商家が最近リニューアルしたもので、
彦根景観フォーラムと商店街のみなさんが運営。

まちの駅は以前、駄菓子屋さん風で商店街有志の方が運営されていたが、ようやく本格的な活動が始まり喜ばしく思う。

今日は「私と三方よし」という話をするように言われていたのだが、
どうしてもみなさんに見てもらいたい孔版画があったので、スライドでご覧いただいた。
それがこの孔版画
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昭和15年ぐらいの頃の作品であろうと思うが、

私が一番好きな作品

この金亀食堂が力石のまん前にあったのだ。
ここのマスターに独身時代の豊秀はフランス料理の手ほどきを受けたと聞いている。

どこか夢二のイメージが漂う作品である。

画像が小さいのでわかりにくいが、
女性の着物の柄が金色で鶴の刺繍を描かれている。

色合いが豊秀らしく、一番多く作品を作った時代でもあった。

2006年 2月 20日

なるほど三方よし講座

三方よし研究所では近江商人の経営理念の普及を目的に楽しみながら、理念を理解してもらおうと毎年、理念講座を継続開催してきた。

本年はとりわけ、近江商人の扱い商品をテーマにした。
夏には「ヨシ」秋には「近江上布」そして、2月18日には、日本酒をテーマに木之本の冨田酒蔵の酒蔵にお邪魔した。

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酒蔵ではまさに絞りたてを試飲し、みな上機嫌。続いては
『近江の酒蔵』の著者、家鴨あひるさんのお酒談義。

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まさに旨い酒と、旨い肴が登場し、冨田酒蔵製のお酒に飲比べ、
なんとも満足な一日でした。
なるほど講座 042.jpg ずらり並んだお酒を前にして冨田専務のそれぞれの味の解説

それにしても家鴨さんの日本酒へのこだわりと情熱、脱帽です。
いいお酒をどんどん紹介してください。

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