2011年 8月 14日

浜松との繋がりがまた増えました

数年ぶりに高校の同窓会があり、
一番びっくりしたのは同級生のIさんに出会い、
「わあ、久しぶり」と言ったとたん、
「ホラ、これ持ってるよ」と差し出されたのが
なんと『浜松の城と合戦』だったことです。
彼女が浜松に住んでいることは知っていたのですが、
実は浜松観光ボランティアガイドの副会長をしていて、
ガイドの参考本として活用してもらっているとのことでした。
静岡のお城本は8月末に『戦国時代の静岡の山城』
11月に『静岡の城』を発刊するのですが、
浜松市は今年市制100周年ということで、
各地のお城ではイベントが盛りだくさん。
彼女も忙しくなりそうです。

2011年 7月 18日

「神仏います近江」展のネット配信

9月からはMIHO MUSIUMと滋賀県立近代美術館、10月からは大津市歴史博物館で開催される3館連携の展覧会「神仏います近江」。先週は大津市の西教寺さんの木造阿弥陀三尊像の観音菩薩さまの足ホゾから行快さんのお作だと判明したニュースが席巻しましたが、展覧会前にこういった話題があると、よけい楽しみです。
行快さんと言えば、旧西浅井町阿弥陀寺の阿弥陀如来さまも行快さんの作でした。旧信楽町の玉桂寺に以前おられた阿弥陀さまも同じく行快さんだったのですが、行快さんの作品が発見されたのは25年ぶりだとのこと。
ところで、阿弥陀寺は「法眼行快」で西教寺は「法橋行快」。法眼・法橋というのは仏師の階級だそうで、西教寺さんの仏像は行快さんがまだ若い時分に彫られたそうです。

さて、前置きはこれくらいにして、開催をワクワク楽しみにしている人にお知らせです。
「神仏います近江展実行委員会」はtwitter、facebook、ustreamにも公式アカウントができて、刻々とニュース発信しています。もうすぐ巷に貼られるであろうポスター、展示される尊像について、講演会のことなど情報が逐一わかります。

えっ、どうしたらわかるかって……? すみません、私って結構パソコン音痴なので、とりあえず、検索で「神仏います近江展」とやらを入力してくださいね。
実行委員会の担当の方、日々ありがとうございます。楽しみにチェックしております。

2011年 7月 17日

アイスクリーム製造機

夕食後、無性にアイスクリームが食べたくなったのだが、コンビニに行くには車で5分かかるし、それだけのために出かけるのも面倒なので、手作りすることにした。ムッ、よく考えてみれば、手作りするより5分で手に入れることができるのなら、手作りするほうがもっと面倒かも知れない。しかし私は一旦自宅に戻ると、もう出かけるのが面倒だったのだ。
それはともかくとして、アイスクリームのレシピを料理本で調べてみた。
 卵黄    1個
 砂糖    40~50g
 牛乳    150cc
 ラム酒   少々
 バニラエッセンス 少々
 生クリーム 100cc
と書いていたが、生クリームがなかったので、その分牛乳を少々増やすことにした。
 
さて作り方は卵黄と砂糖を白くなるまで混ぜて牛乳を入れて再度混ぜる。
これを中火にかけて木じゃくしで混ぜ、少しとろみがついて鍋の縁が泡立ったら
火から下ろす。
水につけて冷やし、ラム酒とバニラエッセンスを入れて、氷水でさらに冷やす。
卵白をそのままにしておくのは、もったいないので、ここで泡立てて、ピンと
してきたら、一緒に混ぜ混ぜしてみた。

冷めたところで冷凍庫に入れ、30分ほどしたら、アイスクリームの種をかき混ぜる。時折かき混ぜて約1時間半で、なんとかアイスクリームらしくなった。

なあんだ、アイスクリームって意外と簡単に作れるのだとわかったのだが、我が家にあるアイスクリーム製造機ならもっと簡単なのではないかしら。
というわけで、部屋の隅にほったらかしでほこりまみれになっていたアイスクリーム製造機を洗った。

部品はいたってシンプル。木桶、材料をいれる蓋つきの缶、ミキシングするための羽根、手回しハンドルつきギア、持ち運び用の取っ手。GREENLAND FREEZERというのがどうやら商品名のようだ。

こうして洗ってマジマジと見て、初めて知ったのだが、木桶にはしっかり、購入履歴を記していた。「1926・7」。反対側には「KAYOMON IWANE」。つまり昭和元年7月に岩根嘉右衛門が買ったらしい。でも、私の祖父であるカエモンじいさんがローマ字でKAYOMON IWANE と書いたかどうかというと、どうも疑わしい。おそらく明治39年生まれの父が20歳の誕生日を迎えた月であるから、きっとカエモンさんにねだって買ってもらったのだと思う。うん、きっとそうに違いない。当時父は鶏を飼っていて、品評会で銀賞をとった頃だから、そのご褒美だったかもしれない。

あっ、ここでひとつ断っておこう。明治生まれの父の子供でとすると通常戦前生まれだが、父は晩婚だったので、子供はみんな戦後っ子です。

さて話を元に戻し、このアイスクリーム製造機は外国製だし、彦根の金物屋さんに売っていたとは思えない。時折東京へ出かけていたという父の事、上京したときに探し求めたのか、はたまた、雑誌の通販記事で見つけたかのいずれだろう。
父は片田舎のコセガレだったが、やたら西洋カブレしていたようで、このアイスクリーム製造機を買った4年後の昭和5年に開業した謄写版屋の屋号は「サンライズスタヂオ」とつけたのだ。昭和の初めのデザイン雑誌『アイデア』のボロボロになったものなどが残っていて、どうやら定期購読していたようである。
こうして、85年前のアイスクリーム製造機をしげしげ見ていると、昭和の初めみんなが木桶を囲んで、交代しながらハンドルを回し、できあがったアイスクリームをガラスの小皿に入れて、ワイワイ騒ぎながら食べていたであろうと、勝手に想像してしまう。
そのことを5歳上の姉に言ったところ、「あら、私は食べたよ。あんたは知らへんの?」と自慢げに返された。悔しいから私もこのアイスクリーム製造機で作ろうと試みたのであるが、残念ながら木桶の下のタガがないため、桶の底が不安定で、結局手回しアイスはできなかった。

でも、手作りアイスクリームは意外と簡単にできるということがわかったし、この年代物のアイスクリーム製造機は横浜市歴史博物館、江戸東京博物館では収蔵品として保管・展示されているらしいから、今まで通り我が家のガラクタ骨董品として、残しておいてあげよう。

2011年 6月 17日

「神仏います近江」展のリーフレットが届いた

MIHO MUSEUM、滋賀県立近代美術館、大津市歴史博物館という3館連携の展覧会が開催されることは既に聞いていたのだが、本日母の元に近代美術館友の会だよりが届き、一部出品される美術品がわかった。
MIHO MUSEUMでは百済寺の金銅弥勒菩薩半跏像、金剛輪寺の大国天半跏像、園城寺の尊勝曼荼羅図、MIHO MUSEUM蔵の紫紙金字金光明最勝王経巻第二が挙がっていたが、国宝3点、重文40点余りを含む計120点とのこと。天台仏教がテーマなので奈良、平安の名品が鑑賞できるようだ。
滋賀県立近代美術館では櫟野寺の地蔵菩薩坐像、善勝寺の三面千手観音立像、永昌寺の地蔵菩薩像、園城寺の金剛力士立像、金剛輪寺の不動明王・二童子像など。
そして大津市歴史博物館では館蔵の日吉山王祭礼図、百済寺の日吉山王神像、山王祭礼貼交屏風など。お神輿もなども展示されるのかな?

思い返せば、ちょうど一年前の今頃、たくさんの貴重な写真をお預かりして、そのお名前、所蔵者、形状、寸法などのチェック、掲載申請書の作成などをしていたあの方たちと間近でお出会いできるのだと思うとワクワクしてくる。

1998年に滋賀近美で開催された「近江路の観音さま」も一堂に会されたけれど、今回も近江の南部の3館に集合されるというのだから、仏像ファンにとってはまたとない機会でもあろう。

2011年 6月 12日

あなごめし

今年の社員旅行は広島。
広島は初めてでしたが、機会があれば行ってみたいところでもあり、まずは平和記念館を訪れました。見学時間が足りなかった分は佐々木雄一郎さんが撮られた『広島の日記』で補うこととし、帰りのバスで読みました。2日目に訪れた大和ミュージアムでは、声をかけてくださったボランティアガイドの金平さんに案内していただいたおかげで、呉の町のことから、空襲や原爆のことなどのお話も聞くことができ、本で読むだけではなく、遺品を間近で見ることや語り部の大切さを改めて感じました。 
 
……と言いつつ、やはりその土地の美味しいものにも目が行く私ということで、社長が一押ししていた「宮島のあなごめし」のことを書くことにします。
 
 宮島口駅前「うえの」の「あなごめし」。
今回はバスで行ったので、片道約6時間。
そんなわけで、2日目の朝に幹事さんが予約しておいてくれたお弁当をバスに積み込み、大和ミュージアムを見学した後、帰りのバスで食べました。 
帰ってからネット検索したら、なんとお昼は1時間ほど待たないと、
店内では食べられないとのこと。
予約・車中食は大正解でした。
メチャレトロな包装紙で、容器は紙でも、発泡スチロールでもなく、
昔ながらのヘギってところが嬉しい限り。
アナゴはもちろん、ごはん粒も美味しいから、
ヘギにくっついたのも一粒一粒食べました。
  
一口ずつ食べながら、レトロな包装紙は大正11年9月に使用されていたこと、レッテル(あー、包装紙ではなくレッテルなのね)の印刷と広告の取り扱いは東京・神田の丸ノ内商店が作っていたこと、両脇には宮島の案内コピーがあったりと、とても楽しめました。
で、食べ終わったあと、隣りの母の包装紙を見たら、「あれっ、違うデザインやね」
お隣りのY君のも違ってる。
 
そこで、みんなのレッテルを頂戴ということで集めたのがこちらです。
 
全部で10枚集まり、そのうち1枚だけ同じのがあったので、全部で9種類です。一番古いのは創業時より大正初期の15銭、次が創業操業時より大正11年の30銭。もうひとつ大正中期の30銭というのがあるがこれは大正初期のものと構図が同じもの。以下、大正11年9月、大正12年2月、大正12年6月、昭和初期、昭和11年4月、昭和11年7月と続きます。 
さて、この復刻レッテル、何枚あるのでしょうか?
ところで、私が食べたお弁当には貯金局の広告とともに「星胃腸錠」の広告が掲載されていたのだが、レッテルに広告協賛を取っていた丸ノ内商店というのが気になります。それと「星胃腸錠」とは星製薬のことなんだろうと思うのですが……。
それにしても、お弁当の美味しさとともに、レッテルの内容も他にもおもしろいものがいろいろあり、調べれて見る価値ありそうです。

2011年 5月 20日

これ、なーんだ?


実物はもう少し緑っぽいのですが、何だかわかるでしょうか?

ヒント1
 食べられます。
 
ヒント2
 甘いです。
 
ヒント3 
 一般に見るのは、もっと太くてまっすぐです。
 
ヒント4 
 洋風にいうとアンゼリカ です。
 
 

実は、母がもらってきたフキを砂糖煮したものです。
 
家の庭の草ブキよりも少しだけ太かったので、少しお菓子にしてみました。 
お味といえば、市販のアンゼリカとは全然違って野趣そのもの。
青臭さが残っていますが、ウイスキーの水割りのお伴に
ちょっとつまむのには、まあ有りかな? 
  

ところで急に暑くなってきたので、庭の山椒の実が膨らんできました。
ちょっと放っておくと、芯が堅くなるので、急がねばならないわ。 
 

ボチッと茶摘みの早乙女ではなく、
山椒の実摘みの晩乙女(オバサン)しましょ。

2011年 5月 8日

ハーブティーと簡単スイーツ

姉が庭にいろんなハーブを植えていてくれます。 
ミント、ペパーミント、オレンジミント、レモンバーム。 
放っておくと、どんどん大きくなるし、終いには野生化してしまうので、 
ハーブティーに変身。 
摘んで、サッと洗って、手でちぎってポットに入れて、 
そして沸騰したお湯を注いだら出来上がり。 
熱いまま飲んでも良し、冷めてもよし。 
ウイスキーのハーブティー割りは、お勧めです。
 
 
 
 
さて、ちょっとスイーツが欲しいと思ったのだけど、既に午後8時。 
何か冷蔵庫にあるもので、簡単にできるものはないかと料理本を見たら、
ありましたよーっ!!
クレーム・ブリュレ 
作り方はすごく簡単。
卵黄2個と砂糖40グラム、ふるいにかけた薄力粉30グラムを 
泡立て器で混ぜる。 
人肌に温めた牛乳200ccを加えて混ぜる。
これを弱火でトロリとするまで木べらで混ぜる。
溶かしたバター大匙1/2とウイスキー少々を加えて冷ます。
生クリーム100ccを泡だてて、冷ませたものに加えて混ぜる。
容器に入れてグラニュー糖を表面に振りかける。
熱したスプーンで表面をなでて焦げ目をつければ完成。
 
なあんだ、こんなに簡単に出来るのですね。

2011年 5月 8日

連休の過ごし方

 
ゴールデンウィークもあと一日。みなさんはどんな過ごし方をされたのでしょうか?
私はもっぱら、山菜採りの日々でした。 
新幹線のそばの休耕田で見つけたノビルは畔道のとは違い、ショベルを遣わなくても手でスッと引き抜けるので、とてもラクチン。近くの湧水でドロを落として、お掃除。結構大きかったので、らっきょうのように酢漬けにできるかも知れないと、冷蔵庫に入れています。 
今年はタケノコが不作でしたが、でもタケノコごはん、豚肉との炒め煮、お寿司、木の芽あえ、味噌汁、カツオ煮、佃煮など毎日食べました。
草ブキは昆布と山椒の実の佃煮、2時間かかって採った木の芽はジャコとカツオブシと刻み昆布とともにじっくり炊き上げ、保存食に。 
 
田舎ならではの休日を満喫いたしました。
 

 

2011年 4月 11日

お花見している場合じゃない

鳥居本の本陣にある桜も咲いて、本日はまさにお花見日和です。でも私と言えば、桜を愛でつつ、のほほんとしていられない季節なのです。
なぜかというと、4月、5月といえば野山に食材になる植物が
ドンドン顔を出すのですから。
まずはこの山椒の芽。柔らかい新芽をいっぱい採ったのですが、
お醤油とお酒でコトコト炊いたら、小さな容器にちょこっとだけ。
でも年に一度しか食べられない贅沢品です。 
 
前栽の隅にミョウガが出てくるところがあり、
姉が「あの葉はミョウガと違うの?」と言うので
見ると、以前食べたことのある緑の葉。
ウーン、何という名前だったか覚えていなかったので、
引き出しにしまっていた1993年の「早春の草花観察」と
いう冊子を見ると、ヤブカンゾウの若芽でした。
こちらはサッとゆでて酢味噌和えにしました。
 


そろそろノビルやツクシが出ているはずだろうということで、
近江鉄道と新幹線の間の野道を歩いてみると、
ほら、ニョキニョキ顔を出していました。
ツクシはハカマを取るのがとても面倒なので、
こういう茂みに頭を出しているツクシを採ります。
ウーンと草の間から背伸びしているので、
実はこのツクシン坊は結構背が高く、
ハカマの間隔が長いので、取るのがラクチンです。
採ったツクシの半分は熱湯でサッとゆがいて、
薄い醤油ダシで炊いて卵とじにし、
残りは油でいためて醤油と砂糖を入れ、
カツオをまぶしました。
 
 
 


以前琵琶湖博物館のタンポポ調査に参加したとき、タンポポの見分け方を学んだのですが、このあたりのタンポポは関西タンポポです。
見分け方は花の裏側、総苞外片が花弁にピタッと沿っています。
ちなみに西洋タンポポの総苞外片はカールしています。
開発が進んだ土地には西洋タンポポが勢力を伸ばしているようですが、このあたりは、土地改良もされていないので、関西タンポポが健在です。
この時期のタンポポの葉っぱは柔らかいのでサラダに変身させました。
タマネギのスライスとタンポポの葉っぱにクレイジーソルトを振り、いためたベーコンを油ごとナッパに入れて、あとはお酢をたらして、チャッチャッと混ぜたらできあがりです。

午前中は久しぶりに南浜にある
産直びわ・みずべの里に行き、
石貝のむき身と鮒を買ってきました。
こちらがその石貝と大豆を炊いたもの。
えび豆、いさざ豆など、湖魚とお豆さんは
どうしてこんなに愛称がよいんだろう。
ごはんに良し、お酒にも良し。
そして炊きたてはやっぱりおいしい。
 
 
 
 

 そしてこちらが初挑戦した鮒の甘露煮。
子つき鮒のウロコを取り、筒切りにしていたものが売られていたので、私は煮るだけ。
昨年採った実山椒が冷凍庫に残っていたので、ドーンと奮発して甘露煮に投入。

焦がさないようにと、庭のハランをお鍋の下に引いたのでお魚は無事でしたが、どうやらザラメが十分溶けていなかった模様で、お鍋にハランの一部が焦げ付いてしまいました。
お鍋は目下重曹入りの水をつけて回復を待っているところです。 
 

2011年 3月 17日

編集を一手に引き受けていただきました

3月15日、彦根市の記者クラブで『彦根城の諸研究』のプレス発表をしました。今回の本は彦根市出身の海津榮太郎さんが長年彦根城の研究をされており、その論考を1冊の本にまとめたものです。
 海津さんは『近江佐和山城・彦根城』にも原稿を書いていただいているのですが、私は全く面識はありませんでした。しかも構成をご覧いただいたものの、出来あがった本を手にとってもらえないまま、お亡くなりになったのです。
 城郭研究の中井均さんがまだ「城好き少年」だった頃、海津さんにお城のことをいろいろ教えてもらったということは聞いていたものの、本当に仔細に彦根城のことを調べておられ、その原稿は多岐にわたっていました。
 ところが、この原稿をそのまま本にするというのは、今流行りの「自炊」であるため、ある程度編集するべきだということになり、その労苦を一手にこきうけていただいたのが、30数年来のおつきあいのある森山英一さんでした。 
 
 
海津さん同様、某大な資料をお持ちの森山さんは再度原本に当たり、細かくチェックをしていただき、初めて読まれる方にもわかりやすいようにと補註をいれて、著作集が出来上がりました。記者発表では、海津さんの人となりから研究の内容までくわしく説明していただきました。
 お城関連の会は全国にたくさんあり、機関誌も種々でていますが、一般読者の目に触れることは少なく、また何十年も前に発行されたものを手にすることはなかなかありません。そういった意味で今回の本は彦根城に関する資料として、是非残しておかなければならないものでした。
海津さんは彦根高商を卒業後、尼崎、大阪に住んでおられたものの、彦根へ何度も来られては、図書館で一日中史料を調べておられたと聞きます。ひとつひとつ彦根城の謎ときをしている本で、お城を好きな方は必携です。

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