2012年 5月 4日

ゴールデンウィークは山菜三昧!


昨年は不作だったのに今年は大豊作のタケノコ。
そんなわけで毎日タケノコ料理のオンパレード。
ちなみに今年作った料理を思い出しつつ書きあげてみます。
・タケノコごはん
・タケノコの酢炒り(砂糖、醤油、酢、ダシで炊いたもの。木の芽も入れる)
・タケノコの木の芽味噌あえ
・焼きタケノコ
・タケノコと山椒のしぐれ煮
・タケノコの炊いたんオカカ合え
・タケノコカレー
・タケノコカレーうどん
・タケノコの味噌汁、澄まし汁
・バラ肉とタケノコの炊いたん
・タケノコとワラビと木の芽の三杯酢
・タケノコ入りチャーハン

庭の草ブキも炊いてみました。


なんとまあ、こんなに毎日食べても飽きない。
そしてこの時期だからこそ食べる食材なのかもしれませんね。

朝掘ってきたタケノコはすぐさま茹でて、親戚にもおすそ分けし、
毎日食べているのに食べきれないので、余った分は干しタケノコと瓶詰めにしました。
もう1、2度藪へタケノコを掘りにいくので、次は塩漬けに挑戦してみることにします。
 
 
さて、29日はお天気も良かったので、タケノコ掘りを終えてから
ワラビ採りに出かけました。
ちょうどこの日は鳥居本で一斉獣害駆除が行われていて、
猟友会のメンバーが、オレンジのベストを着て、ところどころに待機していました。
「サルとまちがえられたらアカンなぁ」と思いながら、
山歩きをしながら、ワラビ採りして、午後はゼンマイ採り。
ワラビの半分とゼンマイは干しました。


最近は保存というと、すぐ冷凍、冷蔵保存ということになりますが、
省エネに乾燥・塩漬けという昔からの保存方法を
もっと実践していきたいものです。

2012年 3月 25日

私と山城の関わり

今年の秋に『三重の山城ベスト50を歩く』を発刊することになり、
本日は届いたアクセス図の整理をしていました。
私は出版の企画をするときに、いわゆる「なんでも帳」的なノートに
いろいろ思いついたことを書きとめます。
そのノートといえば、手近にあるノートを使うのですが、
さっき引き出しから見つけたA5版ノートの1頁目を見たら、
こんなことを書いていました。  

   1994.3.6 おも城学臨地講座
     長光寺城  講師 長谷川銀蔵
  銀蔵さんと息子さんの説明で瓶割山へ上がる。
  腰のまがったおじいちゃんも来ていた。
  「虎口」という名前を覚えた。古墳もあった。
  平らな地に凸があると専門家はそれが城や屋敷跡とわかるらしい。

     
     

へぇーっ、そうか。このときに初めて「虎口」という言葉を学習したのですね。
確かその半年ほど前に鎌刃城へ登ったのが、
私にとって「山城へ行く」第一歩だったのです。    
     
     
    
当時は中型バイクの免許を取って、休日になると近隣の林道を
テクテク走っていたので、ついでにお城のこともちょっと知りたいなぁ
という感じだったのですが、
まさか山城の本を作る仕事に関わるとは思っていませんでした。

それにしても人間の記憶って結構あいまいなのですが、
何かに書き留めておけば、後々にいろいろと思い出すものですね。

2012年 3月 18日

岩瀬谷古墳群と中世の矢穴見学


2月にチラッと話を聞いた中世の矢穴に興味を覚え、本日湖南市の現地説明会に参加しました。雨天でも開催、長靴着用ということだったのですが、大砂川の砂防工事に伴う発掘調査だったので、現地は沢登りするという感じ。でも鉄板を敷いたり、土嚢を積んでいたりと至れりつくせりで、傷害保険もついてました。 

 
横穴式古墳の実物は何カ所か見ているけど、中に入ったのはたぶん20年以上ぶり。この古墳からは受付で見た、銀で象嵌した剣の鍔や銅銭が見つかったところだそうです。つまりムラのちょっと偉いさんのお墓でだったところで、中世になって誰かがここで一時キャンプ地としていたのか、石室に煤が付いていたそうです。
  

で、そこから少し先にいったところにあったのがこの矢穴石です。
なんで中世というのがわかるのかしらとずっと気になっていたのですが、矢穴の形で時代が特定でき、矢穴の底が丸くなっているのが特徴らしいです。近世城郭の石垣の矢穴は底が角張っていて、しかもまずは石に線をひいて、まっすぐ矢穴をあけるのだけれど、この矢穴はちょっとイビツなのです。

 

この発掘現場の近くは善水寺、正福寺、少菩提寺など古刹があり、また石造物も多く、寺院の塔を作るために石切りをしていたのではないかということで、見学の帰り道にこれまで写真でしかみたことのなかった、菩提寺の三体地蔵さんを観に行きました。

 
説明会でもお話があったので、参加した方が数人来られていました。
これが、三体地蔵さんの背面の矢穴です。
先に来られていた男性が石造物にお詳しく、いろいろと教えていただいているうちに、もしやと思いきって聞いてみたら、予想通り、以前自費出版のお手伝いをさせていただいた池本たまきさんのご主人・池本良一さんでした。
 
閻魔像の後補の彫り方の決定的な違い、閻魔像の後ろに丸い穴が何カ所かに彫られているのは「ハイジョウケツ」ではないだろうかということ(帰って調べたら「盃状穴」と書くのでした)、多宝塔の基壇と軸の間の石は当初はなかったのではないかなど、一人でフラッと立ち寄っていたら、絶対見ないし、わからないという細かいところまで説明していただきました。

2012年 3月 4日

琵琶湖の恵みを満喫

「鮒ずし食べる会があるけど、行くか?」
と姉に誘われたので、二つ返事で参加した本日。
はっきり趣旨を理解していなかったのですが、
参加してびっくり。
参加者約50人ほどのうち、どうやら自家製鮒ずし作りを
している人がどうやら7割以上おられたような集まりで、
「鮒ずし品評会」という濃い集まりでした。
そして参加者の4割位でしょうか? 滋賀県の水産課や
水産試験場の職員さんやOBでした。 
審査についての説明もあり、
まずは自分のテーブルに出ている鮒ずしを5点満点で採点し、
テーブルの上位2品と下位1品、計9品で2次審査をするというもの。 

 
私のテーブルに並んだ鮒ずし。盛り付けも様々。見た目も大事なポイントですね。審査となると、まず1品食べて、すぐ点数がつけられるかというと、実はそうでもなく、結構難しかったです。
 
お料理屋さんのお弁当もあったのですが、ビワマスの塩焼き、すごもろこの佃煮、氷魚の佃煮、ビワマスの刺身も出てきました。
 
「えーっと、ビワマスの赤い色はなにヨコエビと言うのでしたっけ?」と私の稚拙な質問に「アナンデールヨコエビです」と答えてくださったのは、もちろん水産課の方。そうそう、琵琶湖の固有種で小さなエビだったっけ。 
ビワマスの塩焼きを食べたのは初めてでしたが、くせもなく頭もパクッといけました。実は残っていたのを見つけ、3尾も食べてしまいました。

 
2次審査風景です。
真剣そのもの。
私が食べて一番美味しかったと5点をつけた鮒ずしは堂々の2位になり、
私の鮒ずしに関する味覚は結構いけてると、自画自賛。
 
「是非、今年は自分で鮒ずし漬けられるように、講習会に参加してください」と藤原さんに言われましたが、是非参加します。
7月の最終土曜日、ノートに書き込んでおきます。

2012年 2月 22日

大坂城×熊本城

遅ればせながら、2月12日にジュンク堂大阪店で開催された中井均先生と加藤理文先生のトークセッションの模様です。 
 
 
遠方でははるばる愛知県からお越しいただいた方や、『大阪城今昔』の著者・志村清先生も来られ、驚くやら感謝するやらの内、両先生のトークセッションが始まりました。
お城少年だったときの話から、小さい頃愛読していたお城雑誌に自分が原稿を書くなんて思っていなかったこと、そして今回の「極める」をシリーズ化することになったいきさつやそれぞれのお城の見どころ、一番好きなお城のことなど、お話は次々に展開しました。 
  

最近話題になっている城跡に樹木が茂っていること、特に数十年前から石垣に桜を植えることにより根が張って、石垣が崩れる問題についてもお話がありましたが、考えてみれば、石垣の上にはかつて櫓や塀が巡らされていたということを、私もこの仕事をするまでは全然知らずに、彦根城の麓の学校に通っていたのです。 

 
加藤先生は熊本城の本を作るにあたり、紙面が限られているから膨大な写真からどれを選ぶかが大変だったということ、中井先生は今現存する大坂城は太閤さんではなく、徳川の城跡であるというお話もありました。 
極めるシリーズは、今後二条城・姫路城・名古屋城・金沢城・江戸城をお二人にご執筆いただきますので、今後ともよろしくお願い申し上げます。 
 
それにしても今回も女性の参加が多く、バレンタインデーの直前ということで、サイン会ではチョコレートのプレゼントもあり、熱気に包まれたトークセッションでした。

2012年 2月 6日

獅子舞が毎年来るのは普通ではないということ

2月4日の土曜日。休日ながら会社で仕事をしていたら、伊勢大神楽・山本長太夫社中がやってきた。毎年2月の初めと決まっているのだが、休日出勤していたから今年も出会えた。
まだ道路には雪が残っているから、親方以外はお獅子もお囃子方も長靴はいていたけどね。

夜、「獅子舞が来たよ」とtwitterしたら、門付け(家々を回ってくれる)してくれるというのが珍しいと言われてしまい、あっ、そうや以前もそんなことをブログに書いていたことを思い出した。
2009年に普通の舞いだけでなく、全ての舞いや曲芸が演じられた荒張に行ったときも、一緒に見ていた旧知の女性は新興住宅地に住んでおられるため、回って来られないと言っておられたが、平たくいえば伊勢神楽は江戸時代に伊勢参りに行けない民衆のために、いわば出張して回ったのだから、ルートとしては旧街道や古くからある村々を回っているわけである。
そのため、お昼ご飯の接待をしてもらえる家もあるらしい。先日も近江八幡で獅子舞のお接待に、昔作っていた「お平(ひら)」という食事を作ったということが新聞にも載っていた。
そういえば、私たち四姉妹が通っていた彦根幼稚園に毎年獅子舞が来て、曲芸を演じてくれたのだが、この行事は今も続いているのだろうか?

2012年 1月 22日

これは近江以外の人にも読んでほしい年中行事の本

来週発行する『近江の年中行事と民俗』をひと足早く読みました。  

実は私もそうなのですが、お正月に鏡餅をお供えしたり、
豆まきをすることについて由来や意味を誰かに聞かれたら、
戸惑ってしまいませんか?  
  
たとえば普段毎年の行事だからと、町内で行っている地蔵盆。
実は「地蔵盆」という言葉はどうやら近代の言葉だそうで、
江戸時代には地蔵祭りと言われていたことや、
明治5年7月に滋賀県庁では「地蔵祭り禁止」の
通達があったことの原文まで載っていて、
思わずヘェーッ、ソーカァと、1節ずつ読む度に
驚くことしきりの内容です。  
  

夏越の祓の茅の輪くぐりは『備後国風土記』によれば、
茅の輪を腰につけていて、くぐるようになったのは
室町時代だったなど、文献史料を明示しながら、
わかりやすく書かれています。  
  
  
五節句を決めたのは、江戸幕府で『徳川禁令考』にあると
書かれていましたが、偶然先週彦根東高校図書館で撮ったのが、
こちらの本。
背がボロボロってことは、きっと大先輩達が
繰り返しひいていた本なのでしょうね。

彦根東高校図書館の蔵書は凄い。

2012年 1月 21日

圧力鍋で省エネ

常備食作り。イカは塩辛と煮物に。

2年前に2番目の姉にもらった圧力鍋、とても重宝しています。
なんといっても時間短縮、そしてガス代節約で本当にラクチンです。
最近は1番上の姉もその便利さに惚れて、朝食のスープや
お豆さんを炊いたりしています。 

  
さて、今日は午前中に買物に行き、午後からは圧力鍋とお友達。
作ったのは、
・イワシの佃煮
・ワラビとお揚げと昆布の炊いたん
・スジ肉を茹でたの
 
久しぶりにまとめ買いしたから、お料理もまとめていろいろ作りました。
・イカと小芋の炊いたん
・イカの塩辛
・スジ肉とコンニャクとレンコンのどて煮
・壬生菜の漬物
 
で、今晩の夕食は、アジを炭火で焼いたのとナバナのゴママヨ合え、
ワラビを炊いたん、スジ肉のドテ煮、シジミのお味噌汁、白菜と日野菜の漬物。
  

2012年 1月 16日

鳥居本と関ヶ原は近いのです。

本日、図書館で『北近江の山歩き』を見て、買いに来られたお客さま。
どちらからお越しいただいたのかとお伺いしたら、
岐阜県の関ヶ原から、車でお越しいただいたのでした。
お隣りの県とはいえ、そう言われて、地図で距離を調べたら約26キロ。
鳥居本から木之本へ行くよりも近いのです。
関ヶ原や大垣市内から、当社まで直接本を買いにきてくださる方が
結構これまでにもおられたのですが、これで納得。  
   

  
でも、できれば不破の関を越えて車を飛ばして来ていただかなくても
よいように、岐阜県の書店さんで、サンライズ本を取り揃えて
いただける基幹店を作らなければ……と思ったのでした。
 

2012年 1月 11日

干し柿で和菓子

秋に干し柿を作りました。彦根では「ツルンボ」とか「ツルンボシ」ともいうのですが、これは関西だけなのかなぁ?   
年末に出来たのを母にもお毒見してもらったのですが、種があるから、どうも食べにくそうだったので、ちょっと加工してみることにしました。
それが、こちらです。

  
  
干し柿の両端を切っててお腹を広げ、種を取り、梅酒漬けの副産物で作った梅ジャムをまんなかに入れて巻いたもの。  
他には柚子の皮を入れたものも作ってみました。
ラップに包んで、冷凍庫に入れておけば、切るときもラクチンです。  
なんてことないものですが、ちょっとしたお茶受けや、お抹茶のお菓子として、
甘味もあるし、ヘルシーです。
どうぞ、一度お試しあれ。

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