2008年 8月 12日

杉原千畝と命のビザ展

甲西図書館で8月24日まで開催の寿福滋さんの展覧会会場の様子です。

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図書館2階、階段を上がるとこの巨大なシベリア鉄道の「ちぎり絵」が出迎えてくれます。
県内各地で展覧会をしておられ、私は今度で3会場目ですが、このちぎり絵は初めてでした。
お聞きすれば、やはり今回のために作られたものだそうです。

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10年前、アウシュビッツへ行ったときから寿福さんの旅が始まりました。
正面にあるのは、二度と戻ることのできない収容所への線路です。
矢印に沿って、その旅を一緒にしていく……。
写真ひとつひとつに多くのユダヤ人の叫びと悲しみが伝わってきます。

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ナチスの「魔の手」から逃れるため、出国ビザの発給をとリトアニア領事館へ次々と訪れたユダヤ人。
杉原千畝は29日間に2000通以上のビザを出しました。領事館だった建物は今も残されています。
8月16日(土)午後2時から、展覧会場で寿福さんの説明があります。お時間のある方は是非ご来場ください。

『杉原千畝と命 のビザ 』

日本文と英文で書かれた写真集。約80点の写真を収録。

2008年 8月 3日

彦根で大切にすべき希少酒場?

以前ブログに書いたことのある、彦根の北村酒店へ、念願?の立ち飲みに行きました。
東京の安くて旨いお店をよく知っているカルロスさんが彦根に帰ってきたと聞き、
「一緒に行こう!」と誘った次第。
夕方6時に彦根駅で落ち合い、歩いて京町通りのお店に入り、
暑かったのでまずは缶ビールの小さいのを1本。

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お店にいた二人のおじさんは常連さんで、仕事帰りに立ち寄るらしいです。
正面に座っているのが、以前特製手提げに一升瓶を2本入れてくれた
北村酒店のお母さん。立ち飲みできる時間は午後7時までで、
一人3合までしか売らないそうです。
ビールもいいけど、やっぱり日本酒ということで、コップに並々と注いで
もらった地酒の「富鶴」もいただきました。

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カルロスさんの巧妙な話を聞いて、隣りのおじさんは
「あんたは医者さんか?」と考えこんでました。

さて、次に行ったのが立花町の「すぎもと」。
このお店は朝鮮人街道沿いにある築200年位であろう
江戸時代後期の建物で、営業をしています。
寿司、丼、麺類などメニューはバラエティで、お客さんも歴代滋賀大学の
学生さんのコンパに使われている他、ミシガン日本センターの
留学生もお客さんで、あるとき、入ったら、外人さんだらけだったこともあります。
この立花町の通りは道路拡幅計画で、近い将来壊されてしまう
危機に遭遇しています。

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「すぎもと」では厨房に置いていた天ぷら(こあゆ)と出し巻きを注文。

さて、もう一軒ということで、オープン以来、宣伝をしないで営業を続けている
ブーズ・バー(ブーズのスペルを忘れたよ、日向マスター、ごめん)へ
行ったところ、あいにく休業。
場所は申しませんが、ショット・バーです。
ずいぶん昔にDUETで紹介したことがあるけど、そのとき
「住所と電話は載せない」というのが条件でした。
で、最後は市場の「大関」へ。
この通りは、昔「びっくりや」「トラジ」「ありらん」などというホルモン屋さんが
並んでいた通りで、現在営業しているのが「大関」さん一軒。
エアコンは置いていましたが、動かないらしく、戸を開け放して、
扇風機の回る店内ではお姉さん二人が汗を拭きながら、
肉を焼いてました。

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ここで、ホルモン注文。きゅうりのキムチもおいしかった。

最近、彦根の小さな町でも、フリーペーパーでいろんな飲食店が
紹介されたり、広告を載せていますが、たぶん今回行ったお店は
そこには載っていないと思います。
訪れたお店のなかには、都市計画で近い将来、店を建て直したり、
移転する可能性のあるところもあるので、これはレッドリストでいう
希少種に匹敵しそうです。

最後に、一人ではなんとなく行きづらかったけど、ご一緒いただいた
カルロスさん、ありがとうございました。

2008年 7月 21日

男鬼の民家

鳥居本の奥にある男鬼(おうり)は、彦根市と多賀町の境目で、河内の風穴からもいける山間にある集落です。鳥居本の駅から、林道を車で約20分くら い行った先にあり、集落の人は昭和40年代頃から山を下りてしまったのですが、数年前までは、夏場に「彦根市少年自然の家」として民家を開放していまし た。
20年前、私がオートバイの免許を取った頃は、男鬼に出かけると、数軒の家で生活をしている方に出会いました。畑があるからと、軽トラックで通っている大正から昭和の初めに生まれたおじさんやおばさんでした。

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あの山を越えて、坂をまっすぐ下ると男鬼の集落にたどりつく。今日は林道の草刈りが行われていたが、たぶんこの男鬼やさらに奥の武奈集落に土地を持っている人たちの総出だったのだろう。

「自然の家」の活用が終ったころ、滋賀県立大学で「男鬼楽座」というプロジェクトが始まりました。今年で5年目になるそうです。最初は民家調査をしていた のを知っているのですが、、なんとまあ、しっかり事業を継続しているのですね。昨年に引き続き、かやぶき屋根の葺き替えをしているとの新聞記事を見て、 ちょっと出かけてみました。

男鬼へ行くのは数年ぶり。旧の林道は道のまんなかに杉の落葉が積もっているわ、落石が散らばっているわで、荒れていて、人の行き来がずいぶん減っていることを実感しました。
20年前にはバイクで麓の自宅と山を行き来していたおじさん達もすでに80歳。
毎日のように山行きができない状況です。人が出入りしないと山は荒れるのです。
知らない人は「自然はいいね」というけれど、本当は一見自然に見える山は、草刈りや枝打ち、道普請など人の手が入っているのです。

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今年は家の裏手の屋根を葺き替え中。実は全部吹き替えるだけのカヤが確保できなかったそうで、秋にはカヤ刈りをするそう。

学生を率いるのは、民家の調査、古民家再生と言えばお馴染みの濱崎先生。海外遠征も多いのに本当にパワフルです。今回のカヤは、他の集落の方から分 けてもらったそうですが、カヤを貸してもらったら、返すのが「結い」ということを承知の先生は、新しいカヤ場作りをしていると聞きました。机上の空論では なくて、まさに現場主義の先生です。
男鬼では最近シカの被害が多く、家の横に植えてある山椒の木の皮がかじられて、枯れていくそうです。気になったのは学生たちが休憩していた近くの茗荷の葉っぱもかじられていたみたいけど、あれもシカ被害なのでしょうか?
確か、サルは茗荷は嫌いだったと聞いているのですが、以外とシカは刺激が好きなのかもしれませんね。

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私はこの暑い日にお手伝いは勘弁ということで(実は仕事をためていることもあり)、スイカ(糊男さんからのもらいもの)を差し入れして、帰りました。

2008年 6月 19日

あの安藤忠雄さんが彦根に来る

今日、滋賀県立大学に行ったら、安藤忠雄さんのポスターが貼っていた。
事務のTさんの話によると、今回の特別講義は大学が頼んだのではなく、
安藤さんからのオファーで、日時指定だったらしい。

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なるほど、「夢をつくる―地域を元気に―」のポスターに書いている
ここがポイントなんですね。

若者たちに言いたいことがある-。
そして対象は滋賀県立大学学生・滋賀大学学生・聖泉大学学生および一般で、
定員は学生400人、一般100人。
さぞかし辛辣なお話がポンポン出てくるのだろうなぁ。
是非行きたいところだが、あいにく当日は出張と重なって聞きにいけない。

お時間のある方、あっ、特に学生諸君はぜひ講義に出席するように!!

2008年 5月 31日

『信楽汽車土瓶』の営業

東京には、地方出版物のコーナーを作ってもらっている書店が何店かある。
そこで、東京に行く機会があれば、できるだけ立ち寄ることにしている。
29日は初めてジュンク堂池袋店さんに出かけた。

ジュンク堂池袋店さんでは2階の地図・旅行コーナー、
4階の地方の歴史書コーナーなどに並べてもらっていたのだが、
ちょうど4階では
「鉄道を研究したいひとのために」というフェアの最中だった。

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「あっ、これだぁー」とばかり、持参していた『信楽汽車土瓶』を担当の方にお見せしたところ、
「えー、こんな本があったのですか」と即注文していただいた。
今回は来月10日発売の『びわ湖検定公式問題解説集』
『信楽汽車土瓶』の販促が目的でもあり、本当にラッキーだった。

あとで地方小の担当者さんに聞いたら、『信楽汽車土瓶』は上の階の
美術書・骨董品コーナーに置かれていたらしい。
そういえば2階の鉄道コーナーにはこの本なかったっけ。

本をお店のどこに置いてもらうとよいのか、また各お店のフェア予告を調べ、
それにあった本の販売促進をしていくことの大切さを今更ながら
知った次第。

ちなみに『信楽汽車土瓶』は大宮の鉄道博物館でも販売している。
……もちろん本の話であり、汽車土瓶そのものとは違う。
それを物語っているのが下の鉄道博物館の展示写真。

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展示物には複元品と書かれていた。
えっ、汽車土瓶って何ですかって?
では、ぜひ、本をお読みください。

2008年 5月 5日

伊庭の坂下し

連休前に新聞で5月4日に能登川駅集合のハイキング記事を見つけ、JR能登川駅に着いたところ、すごい人、人、人。
JRのふれあいハイキングの冊子に掲載されていて、当日受付もOKだったので、総勢220人とのこと。健康と気軽に行けてお金もかからないハイキングブーム。参加者には子供もいたが、大半は私と同じ中高年。友達や夫婦連れもあるけど、結構独りで参加する人も多い。コースは飛鳥・白鳳時代の大きな礎石のある法堂寺遺跡から前方後方墳の神郷遺跡、明治時代に伊勢神宮の本殿を譲り受けたという乎加神社から、五個荘の近江商人屋敷、繖山の地獄越えを経て、不動の滝、安楽寺、繖三峰神社の「伊庭の坂下し祭」見学。

一番見たかったのが、「伊庭の坂下し祭」。山頂から約500メートルの急峻な坂を500キロもある神輿三基を下ろすという危険を伴うお祭りで、近江の奇祭として知られている。この祭で下ろされる神輿は大浜神社に安置されているのだが、実はこの大浜神社の神主さんは、30年近く前に自費出版のお仕事をさせていただいた方だ。

私たちがここへ到着したのは、ちょうど最終の麓の鳥居前近くまで神輿が下りてきたところで、最後の坂を下りるのを皆が待ち受けていたところだった。 集落の入口には御稚児さんがゴムのタイヤをつけた近代的な?輿に乗せられ、鳥居まで行くところだった。以前はもちろん古式ゆかしい男たちが担ぐ輿だったら しいが、なんせ若衆は3基の神輿を山頂から引きずり下ろすという命がけの行事に参加しなければならないから、御稚児さんの輿の担ぎ手が足りないのだろう と、納得。

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神輿が降りてくるのを待っていると、一見暴走族風のお兄さんの集団???
いえ、違う違う。
神輿を下ろすのはだいたい高校生以上の若衆で、これを卒業すると、声をかけたり、
神輿が下りるのを手伝ったりする役目の兄さん達のようだ。

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これが、鳥居前の最終の坂道を通過中の神輿。もっと上の方は大きな岩がゴロゴロしているらしく、
警備役のおじさんは「今日は怪我人が3人や」と話してくれた。

ところで、2基目の神輿を見ようと少し坂を登って見物していたら、例のお手伝い役の若衆に見覚えのある人が……。
クレフィール湖東に勤めているN君ではないか。
「えー、まさか?」

神輿が無事、麓まで下ろされたので、N君に声をかけた。
「人手が足りんからねぇ。まだ手伝ってるんや」
彼は37歳。
この神輿は前日に山の上まで上げるらしく、それも未だに坂道を人手だそう。
下ろすよりも引き上げるほうが大変だと話されていたが、納得。
こうして郷土の伝統的なお祭りを担っている知り合いが、また一人増えた。

このお祭りは正午から行われる山頂の神事が見ものとも聞いた。
また、もう一度見に行くことにしよう。

2008年 4月 21日

小鮎の佃煮

和歌山出身で現在は神戸に住んでいる友人から、イカナゴのクギ煮をもらったことがある。「近所の人に作り方を教えてもらってから、毎年炊いている」と聞いた。
神戸がイカナゴならば、さしずめ滋賀県は小鮎というわけだが、親戚に鮎炊き名人のおばさんがいて、いつもいただくので、作ろうとしなかった。いや、実を言えば数年前に一度チャレンジしたが、うまく炊けずに、半ばあきらめていたというのが正しい。

ところが昨日、昼前に出かけたスーパーの魚売場で小鮎が出ており、小鮎をトレーに入れていたおじさんに思い切って「それで何グラムですか?」と思わず聞いてしまった。
「あー、1キロあるねぇ」
「……、私炊くのが下手やから、そんなに多くは要らないし、600ほどもらえますか」

鮎がとてもきれいだったし、取り立てて用事のなかった休日だったので、思い切って買ってしまった。

幸いなことに、我が家には「小鮎の佃煮」を記した料理本、『つくってみよう滋賀の味』とか『改定豊かな食生活のための料理レシピ集』などというのがあるため、分量はわかっている。

前回の失敗はたぶん火加減と時間だったような気がしたため、今回は最初はガスで炊いて、しばらくしたら炭火にすることを試みた。最初、醤油と砂糖と酒を入れたものを沸騰させたら、パラパラと小鮎を少しずつ入れていくのがコツだった。泡だってきたところに一匹、二匹入れてしばらく待ち、また鍋の違うところで泡立ってきたら、今度はそこに一匹と、少しずつ入れていくのが第一のポイントやったのね。そして生臭さをとるために、山椒の葉と、昨年塩漬けにしていた山椒の実を塩出ししたのも入れてみた。

あとは落としぶたをして、炭火に変えて、とにかくグツグツと気長に約1時間弱。煮汁が底にほんの少しになったので、火からあげて、中鉢にすべらすように入れてみた。

調味料は他にみりんを少し入れただけだったが、魚に照りも出たし、生臭くもなかった。お蔭さまで家族にも好評。

あー、これでやっと一人前の滋賀県人になれたような気がした。

2008年 4月 13日

仏桑花の会「茶会」

まさに桜が満開の今日、「埋木舎」ご当主、大久保治男先生ご夫妻をお誘いし、茶会に出かけました。「仏桑花の会」は1972年に井伊文子さんが設立された社会奉仕団体で、毎年茶会では井伊家ゆかりの茶道具が使われ、そのひとつひとつを拝見することがとても楽しみでした。平成16年に文子さんが亡くなられ、お道具のお披露目は無きものの、茶会は続けておられたのですが、一旦今年で毎年の茶会は終わることになったのですが、大久保先生は東京にお住いなので、今回初めてのご参加とのこと、まさに一期一会の茶会でもありました。

茶会は薄茶席とともに、沖縄のぶくぶく茶席もあるのですが、同席した大久保先生の教え子・中国の李海燕さんに「ぶくぶく茶の歴史は古いのですか?」と聞かれ、私は今までその歴史については何も知らずにいて、言葉につまってしまいました。帰ってから調べるとなんと1719年に遡るそうでした。地元やそれに関連する歴史について、日々その地で暮らしている者は往々にして何も疑問にも思わず、やり過ごし

てしまっていることに、気づかせてもらいました。

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ぶくぶく茶はいわゆる抹茶ではなく、簡単にいうとさんぴん茶というお茶の上に、米を炒ったものを使った泡立てたものをトッピングしたお茶で、日本では松江のぼてぼて茶や富山のばたばた茶と同じ部類のようです。

ちなみに、私に疑問を投げかけてくれた女優の松居一代さんに似た、李海燕さん。身長172㎝の美人だったのですが、それもそのはず、ミス秦皇島だったんですね。ハキハキしていてチャーミング。近々シンガポールへ行くと聞きましたが、世界へはばたく女性なんだと実感しました。

2008年 4月 6日

佐和山城跡は最高の人出

私はかつてこんな光景を見たことがなかった。
「佐和山城研究会」のTさんも初めてだという。
桜がチラホラ咲き始めた佐和山の山頂には若い女性、女性、女性。
主催者発表によればなんと300人。
約8割が女性で、北は北海道から南は福岡、佐賀からやってきたとのこと。

Tさんによる佐和山城の歴史についての話の後、
皆カメラを向けて「キャー、ワーッ」と歓声が………。

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最近、何度もこのような光景に遭遇するのだが、でもいったい何なんやろ。
そうです、お目当ては「しまさこにゃん」
LLPひこね街の駅主催のイベントが、佐和山で開催された。

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400年ぶりにしまさこにゃんといしみつにゃんが再会し、一緒にお茶を飲むというストーリーで、いしみつにゃんの着ぐるみも登場したのだが、それにしても こんなに多くの人を集めてしまうというキャラ人気にびっくり。いえ、キャラよりも先に戦国ゲーム人気というべきだろう。これまで城関連本は男性読者だけと 思っていたが、最近は女性読者が増えているのも、ゲームのせいであろう。
イベント集客はネットが中心だったということもあり、県外からの参加が多かったようだし、佐和山に初めて登ったという人が大半だった。予約販売の特製弁当は50食を150食に増やしたものの、完売したらしい。
彦根城・築城400年祭から佐和山城にも目が向けられたこと、地元の有志により、引き続き手作りイベントを始めいろんな活動が継続されていることが、一番の成果である。

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2008年 4月 5日

春、いただきます!

彦根城の桜も咲き始めた4月最初の土曜日、あまりの暖かさにジッとしてはいられません。
会社の前の鳥居本駅にはタンポポの花盛り。

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黄色いカンサイタンポポだけでなく、白いシロバナタンポポも多く咲いています。鳥居本駅のタンポポは全て「在来種のタンポポ」で、セイヨウタンポポは見られません。
どこで見分けるかと言えば、花の下のガクがピタッと花についているかどうかがポイント。セイヨウタンポポはガクがめくれています。毎年全国でタンポポ調査 があり、琵琶湖博物館が開館した当時に参加したときからもう10年経っていますが、ここの場所は古い線路があったところで、ずっと新しい土も入っていない から、在来種のタンポポの生育地として残っているのですね。

さて、この線路沿いの一帯はタンポポだけではありません。
実は「春の無人市場」なのです。
そんなわけで、春になると、籠を持っていそいそ出かけます。

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本日の収穫は、ノビルとツクシとタンポポの葉っぱ。
まさに「春が来た」食材。
でも、ノビルは洗うのが大変だし、ツクシは「ハカマ」を取り除くという仕事が待っています。

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まずは、歩いて3分の矢倉川横の湧水で、ノビルを洗います。
ミョウガを洗う時も思うのですが、採りたての野菜を洗うのは川が一番ラクチンです。滋賀県には「川戸」という家屋敷に小川の水を引いた洗い場があったり、 「カバタ」という湧水の洗い場があったりしますが、私にとっては矢倉川がまさに「川戸」です。土のついたノビルを水に放り込んで、一本一本、土を落とし、 外皮を一枚とって、葉の先の茶色くなったものをつまんで洗います。これを台所のシンクで洗うのは結構大変なんですね。

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そして本日の夕食がこれ。

ツクシをサッと茹でて、醤油とみりんで煮てカツオブシを入れた「ツクシのサッと煮付け」、茹でたツクシのゴマと酢醤油であえたもの、ノビルの酢味噌 あえ、タンポポの葉っぱ・レタス・アルファルファ・ミニトマト・オイルサーディンのサラダ、大学いも、キャベツとオクラの味噌汁、大根葉とカブの浅漬け& シラス、白菜の漬物。メチャメチャヘルシーですが、大学いもでお腹も満足。

「春、いただきました」

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