2012年 12月 8日

『山村大好き家族ドタバタ子育て編』の現場に突入

ずっと前から知っていたミユキちゃんなのですが、ご自宅を訪問したのは今回が初めて。
とにかく、県道23号線をドンドン走れば突き当たりというわけで突入しました。
走ってみてびっくりしたのは、昔木地山まで行ったときは、もっと道が狭かったはずなのに、途中までは道が広くなっていました。
ニュースでもお知らせしていたように、木地山で本日から9日の日曜日まで、「風と土の工藝2012」の会場として、マンガの展示をしています。
 
それが、ここ。まんなかの二階建てのお家です。まさに琵琶湖の源流に住んでいるのですね。
家の横には沢から水を引いた池があり、見るとワサビが……。上に網をかけているところをみると、獲った魚を泳がしているイケスを兼ねているのかなぁと思いながら、玄関で「コンニチワ」というと、現れました、オノミユキご本人。
 
茶の間の長押に原画をグルーッと掲げていて、後日談などのコメントも書かれています。ひと通りみたら、なんだかホッコリと座り込んで、もう自宅の茶の間気分。
イヤイヤ本日は月2回連載を続けている毎日新聞さんの取材もありました。

紀之介君とさわちゃんは学校、新九郎君は保育所なので、ミユキちゃん曰く、いつもととは違ってとても静かだと。そうか、普段はここでドタバタしていて、ミユキかあさんの怒りの声が集落中にコダマしているのかと一人で妄想。

読み聞かせサークル「ホットケーキ」のお仲間と朽木の暮らしのいろいろも聞いていると、もう少し集落に子供がいたらねという話になり、よくよく考えたら、私の住んでいる町内には小学生が一人もいなくて、組単位で計算したら木地山以上に限界集落だったことに唖然。
そうか、限界集落って実は地理的条件だけではないのねと変なことで納得してしまった一日でした。

2012年 12月 7日

藤森照信のコンセプト・そして説得力

本日、滋賀県立大学DANWASHITSUの第47回講演会を
聞きに行きました。
ニュースでも書いていた藤森氏の「建築は自然と仲良くできるのか」
という講演。
とてもユニークで見るのは楽しい・おもしろい建物なんだけど、
もし私が施主ならば絶対に頼まないだろうと思う建物の数々。
しかしながら、私が最初に藤森氏の存在を知った
「路上観察学」のおじさん、樹木に対する興味が強そうなこと、
そして容貌が父ととても似ているということで、
とても気になる存在だったのである。
講演では最初に設計を頼まれた「神長官守矢資料館」の話から
始められたのだが、設計のコンセプトとしていわゆる民家は
作らない、人のマネはしないという2点だったという。

茶室がお好きなようで、確か熊倉功さんとの講演会も最近あったようだが、たぶんそれは利休がいろんなものをそぎ落とした究極の茶室を作ったように、狭い空間を「空」の場所に作るというあらゆる実験を楽しんでおられるように感じた。
話の中で焼き杉使用の北限が滋賀県といわれていたが、ベンガラの北限も滋賀県ではなかろうか? 以前中山道歩きをしている旅人に「柏原から西は、町が赤い」と言われ、赤いというのはベンガラの赤だとわかったのだ。
一番聞きたかったのは、とても普通だと使いにくそうな建物を設計する過程で、施主をどう納得させるかだったが、秋野不矩美術館の展示室を素足にするというのに難色を示した人たちに「日本画は和室があう」といって丸め込めた説得したという。そうか、しっかりしたコンセプトを持ち、それを施主に納得させる巧みな会話術を備えているのが一流の設計士なのだ。
板を割ったり、焼いたり、銅板などいろいろな素材に挑戦されているそうだが、土を吹き付けるのはやめて、できればチベットのポタラ宮のように歌を歌いながら漆喰を固めた壁も使ってほしい。

2012年 11月 20日

お待たせしました。オノミユキ10年ぶりのマンガ本、まもなく発刊です。

『HAPAHAPA朽木村』『HODIHODI朽木村』では男の子とまちがえられると言ってたミユキちゃんはその後、東京から朽木にやってきたダーリンを見つけ、今や3人の子どものおかあさんとなりました。でもマンガはその後も観光協会のHP、毎日新聞滋賀版、MOH通信などに書き続けてました。
 
で、今回は10年間のマンガをまとめ、『山村大好き家族ドタバタ子育て編』『山村大好き家族おもしろ地域編』の2冊にまとめ発刊することに相成りました。
 
そして第1弾の子育て編は12月7日に堂々発刊です。
何で12月7日というかといえば……。
実はこの日から高島市一円で開催される「風と土の工藝in高島」というイベントで、オノミユキのマンガ原画を展示するというので、じゃあ決めよ!!ということになったのです。会場は朽木の木地山にあるお寺・長泉寺。
最終日の12月9日午後4時からはこの会場で嘉田知事と木地山集落のみなさんによる「TAKASHIMA六郷講座」も開催されるそうです。
 
そうそう、今回の本は長男・紀之介君……もとい、カトキヨ氏の特別寄稿マンガも1編掲載されています。そして、カバーのタイトル文字は長女・かとうさわちゃんが書いてくれました。
 
田舎暮らしをしてみたいなと思う人にとっては、必読の一冊です。

2012年 10月 8日

へーっ、そうだったのかと再確認した「石山寺縁起絵巻」

10月6日から11月25日まで滋賀県立近代美術館で開催されている
「石山寺縁起絵巻の全貌」を観に行ってきました。
「石山寺縁起絵巻」は断片的には書籍で見ていたものの、
当時の風俗がわかる絵巻が全部見られるのだというだけの軽い感じで出かけたところ、
これが実は大違いでした。
鎌倉時代から江戸時代までという長い年月をかけて作られたということ、
文一本、仁和寺本、伝光起本などいろいろな模本があり、
今回はそれらとの調査研究の途中報告として開催されたのだそうです。
途中で母を休憩コーナーへ連れて行き、一人で駆け足で見て周り、
そして改めて家で図録を読むと、エェーッ、ハーッと驚くことしきりでした。

しかしながら、私の興味といえば、やっぱり当時の庶民の服装や
持ち物、生活の様子などで、
今回は二巻の着物を着て冠をかぶった龍の兄さんと
五巻の宇治川のところで子供を抱いたお母さんの草履が気になりました。

絵巻全部が一挙公開は今回が初めてとのこと、
ご興味のある方は是非この機会にお出かけください。

2012年 3月 18日

岩瀬谷古墳群と中世の矢穴見学


2月にチラッと話を聞いた中世の矢穴に興味を覚え、本日湖南市の現地説明会に参加しました。雨天でも開催、長靴着用ということだったのですが、大砂川の砂防工事に伴う発掘調査だったので、現地は沢登りするという感じ。でも鉄板を敷いたり、土嚢を積んでいたりと至れりつくせりで、傷害保険もついてました。 

 
横穴式古墳の実物は何カ所か見ているけど、中に入ったのはたぶん20年以上ぶり。この古墳からは受付で見た、銀で象嵌した剣の鍔や銅銭が見つかったところだそうです。つまりムラのちょっと偉いさんのお墓でだったところで、中世になって誰かがここで一時キャンプ地としていたのか、石室に煤が付いていたそうです。
  

で、そこから少し先にいったところにあったのがこの矢穴石です。
なんで中世というのがわかるのかしらとずっと気になっていたのですが、矢穴の形で時代が特定でき、矢穴の底が丸くなっているのが特徴らしいです。近世城郭の石垣の矢穴は底が角張っていて、しかもまずは石に線をひいて、まっすぐ矢穴をあけるのだけれど、この矢穴はちょっとイビツなのです。

 

この発掘現場の近くは善水寺、正福寺、少菩提寺など古刹があり、また石造物も多く、寺院の塔を作るために石切りをしていたのではないかということで、見学の帰り道にこれまで写真でしかみたことのなかった、菩提寺の三体地蔵さんを観に行きました。

 
説明会でもお話があったので、参加した方が数人来られていました。
これが、三体地蔵さんの背面の矢穴です。
先に来られていた男性が石造物にお詳しく、いろいろと教えていただいているうちに、もしやと思いきって聞いてみたら、予想通り、以前自費出版のお手伝いをさせていただいた池本たまきさんのご主人・池本良一さんでした。
 
閻魔像の後補の彫り方の決定的な違い、閻魔像の後ろに丸い穴が何カ所かに彫られているのは「ハイジョウケツ」ではないだろうかということ(帰って調べたら「盃状穴」と書くのでした)、多宝塔の基壇と軸の間の石は当初はなかったのではないかなど、一人でフラッと立ち寄っていたら、絶対見ないし、わからないという細かいところまで説明していただきました。

2012年 3月 4日

琵琶湖の恵みを満喫

「鮒ずし食べる会があるけど、行くか?」
と姉に誘われたので、二つ返事で参加した本日。
はっきり趣旨を理解していなかったのですが、
参加してびっくり。
参加者約50人ほどのうち、どうやら自家製鮒ずし作りを
している人がどうやら7割以上おられたような集まりで、
「鮒ずし品評会」という濃い集まりでした。
そして参加者の4割位でしょうか? 滋賀県の水産課や
水産試験場の職員さんやOBでした。 
審査についての説明もあり、
まずは自分のテーブルに出ている鮒ずしを5点満点で採点し、
テーブルの上位2品と下位1品、計9品で2次審査をするというもの。 

 
私のテーブルに並んだ鮒ずし。盛り付けも様々。見た目も大事なポイントですね。審査となると、まず1品食べて、すぐ点数がつけられるかというと、実はそうでもなく、結構難しかったです。
 
お料理屋さんのお弁当もあったのですが、ビワマスの塩焼き、すごもろこの佃煮、氷魚の佃煮、ビワマスの刺身も出てきました。
 
「えーっと、ビワマスの赤い色はなにヨコエビと言うのでしたっけ?」と私の稚拙な質問に「アナンデールヨコエビです」と答えてくださったのは、もちろん水産課の方。そうそう、琵琶湖の固有種で小さなエビだったっけ。 
ビワマスの塩焼きを食べたのは初めてでしたが、くせもなく頭もパクッといけました。実は残っていたのを見つけ、3尾も食べてしまいました。

 
2次審査風景です。
真剣そのもの。
私が食べて一番美味しかったと5点をつけた鮒ずしは堂々の2位になり、
私の鮒ずしに関する味覚は結構いけてると、自画自賛。
 
「是非、今年は自分で鮒ずし漬けられるように、講習会に参加してください」と藤原さんに言われましたが、是非参加します。
7月の最終土曜日、ノートに書き込んでおきます。

2012年 2月 6日

獅子舞が毎年来るのは普通ではないということ

2月4日の土曜日。休日ながら会社で仕事をしていたら、伊勢大神楽・山本長太夫社中がやってきた。毎年2月の初めと決まっているのだが、休日出勤していたから今年も出会えた。
まだ道路には雪が残っているから、親方以外はお獅子もお囃子方も長靴はいていたけどね。

夜、「獅子舞が来たよ」とtwitterしたら、門付け(家々を回ってくれる)してくれるというのが珍しいと言われてしまい、あっ、そうや以前もそんなことをブログに書いていたことを思い出した。
2009年に普通の舞いだけでなく、全ての舞いや曲芸が演じられた荒張に行ったときも、一緒に見ていた旧知の女性は新興住宅地に住んでおられるため、回って来られないと言っておられたが、平たくいえば伊勢神楽は江戸時代に伊勢参りに行けない民衆のために、いわば出張して回ったのだから、ルートとしては旧街道や古くからある村々を回っているわけである。
そのため、お昼ご飯の接待をしてもらえる家もあるらしい。先日も近江八幡で獅子舞のお接待に、昔作っていた「お平(ひら)」という食事を作ったということが新聞にも載っていた。
そういえば、私たち四姉妹が通っていた彦根幼稚園に毎年獅子舞が来て、曲芸を演じてくれたのだが、この行事は今も続いているのだろうか?

2011年 10月 9日

アケビ見~つけた!!

近くの湧き井へクレソン摘みに行った後、ムカゴ採りに自転車で出かけたのだが、
昨年ムカゴを採ったところで、アケビを見つけた。
数年前、ここで一度アケビを見たことがあったのだが、昨年は出かけた時期が
晩かったのかお目にかからなかった。
  

  
パックリと実が割れていて、もう「早く食べてね」と言っているかのよう。
1個だけ、ツルを引っ張ってようやく採って食べたのだが、
もっと高いところには鈴なりになっている。
これは、脚立に登らないと、とても採れない。
すぐさま家に戻り、車に脚立を積み、剪定鋏を持って、再びアケビの発見地へ!!
お向かいさんには「脚立から落ちんように気をつけいやー」と言われていたから、
そこは慎重に、イバラをかき分け、足場を固めて、「食べてね」と言ってる
アケビさんだけ採ってあげた。
なんせこの辺はサルがしょっちゅう出没しているので、
「サルに盗られぬうちに、私がいただくのだ」という具合。
  
 
 
さあ、アケビはこれくらいにして、ムカゴを採ろうと探したのだが、実はあたり一面の木々にはアケビのツルが巻きついていて、脚立なしでも充分採れるところにもアケビが成っていた。
なあんだ、わざわざ帰らなくても採れたんだ。 
収穫物はご近所さんと、中山道を歩いておられた旅人の御夫妻にもおすそ分け。
   

さて、アケビは実だけでなく皮も食べられると聞いていたので、早速調べてみた。
フライパンで味噌炒め、ひき肉やキノコを詰めて焼いたり、揚げ物にする、アケビ酒にする……。 
ウーンいろいろあるのね。お店で買うと150円とか300円とかしていて、 
高級料理店で旬の食材として使われているらしい。
さあ、明日は早速アケビ酒とアケビ料理に挑戦だ~。
 

2011年 9月 19日

「神仏います近江」瀬田会場「祈りの国、近江の仏像」を観に行きました。

「神仏います近江」展の第2ステージ瀬田会場が9月17日から始まり、
早速滋賀県立近代美術館へ出かけてきました。
     
 

同じ仏師や作風の似た仏像を対比できるように
展示されているのが見どころのひとつのようで、
『近江の祈りと美』の解説にも書かれていた、
金剛輪寺と常照庵(金剛輪寺山内)の阿弥陀さまが
しっかり見比べることができるように並んでおられました。
そしてその先には、昨年愛荘町の博物館でお目にかかった
仏心寺の矢取り地蔵さんと聖観音さまがおられ、
仏師・経円さんの仏像が同じフロアにご登場という感じです。
       

     
 
 
私が勝手に「百済寺の観音シスターズ」と命名している
聖観音さんと如意輪観音さんはお初にお目にかかりました。
母とは「聖観音さんが1歳上のお姉さんやわ」と言ってましたが、
観音さんって実は男でも女でもないのでしたっけ。
  
  

石山寺の快慶作の大日如来さんの横には西明寺三重塔にお住まいの
大日如来さん、そのお二方の斜め向こうには、
敏満寺の小さな銅像の大日如来さんがケースに収まっておられ、
こちらはさしずめ大日ファミリー。
   

  

地蔵ストリートでは、醒井の居醒の水をいただきに行ったとき、
いつもお参りする尻冷やし地蔵さんと同じような半跏像や、
足を前に出したお地蔵さんなどバラエティそのもの。
   
   
 
それから、ちょっと気になったのが、西明寺の魍魎鬼人像です。
魑魅魍魎(ちみもうりょう)の魍魎さんということは、
魑魅鬼人像もおられたのでしょうか?
赤ら顔に赤い目、赤いパンツをはいて、大きな錫杖を持ったお姿は
怖いというよりは、むしろ愛嬌があり、塑像というのも
気になる方です。
   

   

そして今回のビッグな方といえば三井寺の仁王さんですが、
ほんとーに大きくて、筋骨隆々、眼は血走っていて圧巻です。
元々は近江西国一番札所の常楽寺さんにおられ、
豊臣秀吉が伏見の舟入に持って行き、
その後徳川家康が三井寺へ移したというお二人。
   
 

  
 
今回、約400年ぶりに移動されたわけで、移動には10人以上の人が
関わったそうですが、湖南市から伏見、そして大津へと
あちこち移られたときは、あの大きな仁王さんを
果たしてどうやって運ばれたのだろうと考えると
当時の天下人の力の凄さを思い知らされることしきりでした。
  

   
 
普段仏さまがおわすお寺へも足を運んでいただけるようにと、
各寺院の紹介やお堂や塔の写真が展示されており、
その心遣いの細やかさにも感心した展覧会でした。

2011年 9月 6日

MIHOMUSEUMの「神仏います近江」展、始まりました。

今年の1月に開催した「『近江の祈りと美』出版記念講演会」の時、
秋に滋賀県で最大級の展覧会が企画されていると聞いたのが、
「神仏います近江」展のことでした。
私立と県立と市立の3館が、それぞれテーマを分担して一堂に会する
という趣向といい、その出品点数といい、まぁ今回を逃したら、
次は10年後かどうかというぐらい、おびただしい神さま仏さまが
お出ましになる展覧会ということで、ずっと心待ちにしていました。

そして先陣を切って9月3日(土)から信楽のMIHOMUSEUM
「天台仏教への道」が開幕し、早速でかけました。
時折美術品の図録や書籍の仕事をしているとき、写真をお預かりして、
尊像や屏風、絵図を編集・校正作業などで見ているものの、
やはりこの目で本物を拝観するというのは、大きさや質感に驚くことが
しはしばあります。
書籍では寸法明記をしているはずでも、
実物を見ると「えー、こんなに小さかったのかぁ」とか、
その反対にあまりの巨大さに驚くということがしばしばあります。
 
今回の展覧会では、最初の「釈迦入滅」のコーナーで、
ずっとお出会いしたかった荒神山の中腹、
千手寺の僧形坐像さまに初めてお出会いしました。
38センチの小さなお方だとは存じていたのですが、
柔和なお顔と鼻筋の通った異国のお坊さまに、見とれてしまいました。
 
最初にボーッと見とれてしまうと、他の作品を見るのが
ついついおろそかになってしまうのですが、
次にくぎ付けになったのがMIHOMUSEUM所蔵の持国天立像さま。
どうしてもお顔に目がいくというか、整っておられるのです。
また細かな彩色も残っていて、アッチコッチから拝見。
元は興福寺に安置されていたとする説もあるとかというお方で、要チェックです。
 
パンフレットに掲載されていた栗東市善勝寺の千手観音さまは
1998年に「近江路の観音さま」でお出会いしたのですが、
左右に大きなお顔があるという三面千手さまです。
様々なバリエーションの仏さまがおられるというのも
近江のおもしろいところなのかもしれません。
 
そして、伊東先生が解説されていたのですが、
園城寺の不動明王さまが今回の「目玉」というか、
要チェックのお方だそうです。
実は後補の玉眼が全体の作風と合わないとのことで、
今回は紙を貼って当初の雰囲気を損なわないように
されたそうです。
また、2年前だったかの国宝三井寺展のときにはお顔が
正面を向いていたのだそうですが、
今回は少し右にお顔を振られたとのことです。

MIHOMUSEUMの会期は12月11日(日)と最も会期が長いのですが、
たとえば金剛輪寺の強面の大黒さまや(この方のことは
20年ほど前にご住職からお話を伺ったので、馴染み深いのですが)、
長く展示すると負荷のかかる絵図などは適宜展示替えされるので、
できれば複数回行かれることをお勧めします。

展覧会の図録は500頁以上の分厚いものですが、
でもこれで近江の神仏を網羅していると思ったら大間違いです。
滋賀県には国宝・重文・県指定の彫像だけで400以上もあるのですから……。

ということで、最後に宣伝させてくださいね。
滋賀県の秘仏や指定文化財一覧など、もっと深く知りたいと思われる方は
『近江の祈りと美』を是非御覧ください。
彫像200点以上と高梨純次氏の論考、滋賀県の指定文化財一覧表も
掲載していますので、仏像ファンには必携の一冊です。
MIHOMUSEUMのSHOPでもお買い求めいただけますので、
是非ご覧ください。

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