2010年 9月 23日

仏像の本がもうすぐできます。

読者からよく「仏像の本」はありますか?とお問い合わせをいただいていました。既刊本では『近江観音の道』や『近江湖北の山岳信仰』などがあるものの、滋賀県の仏像を集大成した本はちょっとやそっとで作れるはずがない。でも、いつか作りたいと思っていました。 
1930年に創業したサンライズは今年80年を迎え、昨年秋頃から何か記念になるような本を作ろうと考えていたこともあり、作るのなら今かも…ということで、清水の舞台を飛び降りる気持ちで取り組んだのが今回の『近江の祈りと美』です。
遅ればせながら、ようやく予約申し込みのリーフレットができました。リーフレットには掲載尊像一覧も入れておりますので、最寄りの書店でご覧ください。

 

2010年 6月 23日

DUET101号まもなく発行

1989年4月に創刊のサンライズ情報誌『DUET101号』のゲラが回ってきた。今回は湖南市菩提寺の地域史が特集。実は先般菩提寺の方から出版のお問い合わせがあり、聞けば「淡海文化を育てる会」の創設期からの会員さんであった故・鈴木儀平さんの「儀平塾」に集まられたメンバーが本を作りたいとのことで、その打ち合わせ兼取材をまとめたものだった。儀平さんは小柄な白髪の方で、「育てる会」のツアーで何度もお出会いしていた。儀平さんは昨年亡くなられれ、ご家族が引き続いて「育てる会」の会員として、『淡海文庫』の購読をしてくださっていたのだが、90歳になられた2年前に「儀平塾」という地域の歴史をまとめる会を作られたということは存じなかった。
 菩提寺といっても、地元以外の方はどこだかわかりにくいだろうが、名神高速の菩提寺PAというほうがわかりやすいだろう。実はあの近くに人口1万人の町があるのだ。そしてその菩提寺というところは、かつて良弁が開基したという少菩提寺という寺院があったのだ。今回の特集はとにかくおもしろい。昭和の終わりにニュータウンができて20数年、第2の故郷・まちづくりを担う人々が、その土地の歴史を聞き、調べて次代に伝えていこうとしている。
 詳細は『DUET』で読んでいただくとして、今回から『DUET』はカラー印刷となる。創刊当初はちょうどお役所がB判からA判に移行する時期であり、『DUET』もA4判だった。
そして発刊の目的は、当時は印刷と自費出版をしており、広報誌の印刷も多かったため、取材や原稿作業がいかに大変かを現場の社員が体験しながら、さらに提案をしていこうということで始めたのだった。
 いつしか隔月から季刊になり、今回は9カ月ぶりというダダ遅れではあるが、内容は濃いものになっています。7月初旬、毎回図書目録をお送りしている読者の方にはお届けいたしますので、乞うご期待!

2009年 11月 20日

日曜日は伊勢神楽見物に行きます

私は10年ほど前まで、実は獅子舞がカドヅケに来るのは、寒い時期だとばかり思っていた。
実際、彦根の町中に住んでいたときは確か1月で、鳥居本へは2月の初めにお神楽が来たし、獅子舞の絵は年賀状のデザインにもなっていたから、そう思って 40年以上過ごしていたわけである。
ところが、オノミユキさんの『HAPAHAPA朽木村』の原稿をもらったとき、なんと朽木村には6月に獅子舞が来ると書かれていて、驚いた。つまり、お神楽の講社は三重県にあり、滋賀県から各地へ回るらしい。
 
先般、『山ふところにいだかれて』と『物づくり大好き 花愛し』の2冊の本を作らせていただいた栗東市荒張の髙野喜代造さんから、「喜寿の記念にお神楽奉納をしてもらい、みんなに見てもらう」とお電話をいただいた。当日は16の舞いを全て演じられるという。
場所は荒張の春日神社境内、雨の場合は金勝小学校体育館、11月22日午後1時からとのこと。
演じるのは伊勢大神楽・加藤菊太夫組。
お時間のある方はぜひ足をお運びください。

ちなみに加藤菊太夫組は元旦に八日市の野々宮神社(『近江鈴鹿の鉱山の歴史』の著者・中島伸男さんが宮司)で舞い始めをする講社でもある。

2009年 10月 21日

佐和山のご城下+中山道宿場町=鳥居本

10月18日は「とりいもと宿場まつり」が開催されました。
昨年に引き続いて2回目なのですが、今回は始まる前から
町は色とりどり……というか、赤一色。

09101801.jpg

「赤」と言っても、この赤は「赤鬼魂」井伊家の赤ではなくて、
鳥居本の三 赤=合羽、スイカ、赤玉神教丸の赤なのです。
そうそう、鳥居本駅 の屋根も赤でした。
この日は朝から駅舎に続々と人が集まってきます。
そう、この小さな駅でお祭りのオープニングです。

09101802.jpg

400年祭でもお馴染みのチンダンバンドは
この後も街道を練り歩いてくれました。

09101803.jpg
さて、この日の午前中は公民館で
田附清子さんの講演会「佐和山城と石田三成の城下町」が
開催されました。この模様は社員ブログに譲り、
鳥居本の町 の様子をご紹介しましょう。

09101804.jpg
ところで、三赤のひとつ、赤玉神教師丸というのは、
万治元年創業の有川製薬さんのお薬です。
名所図会にも描かれているお屋敷の一角には、
明治天皇がご休憩された御座所も保存されていて、
この日は午後から特別に市役所の文化財課次長さんの説明による
見学会がありました。

09101805.jpg

入口には秋盛りの草木がとてもきれいに活けられています。
私は、もっぱら美味しそうな「あけび」に気を取られていましたが…。

09101806.jpg

南会館では、先般佐和山城下町で発掘調査があり、
その時のパネルや出土物展示、説明を県の文化財保護協会の方が
してくださいました。

09101807.jpg

こちらは元醤油屋さんの店先を開放して、
三成汁とおにぎりの食事処。
ケーキや湯豆腐のお店やふなずし、焼き芋などもありましたが、
いずれも盛況。残念ながら、私は食べ損ねました。

09101808.jpg

そして、我が家も座敷を開放し、合羽の型紙や日比野克彦さんの絵を見ていただきました。

お天気も良く、佐和山登城とともに、遠方よりお越しいただいた方も大勢おられたようでした。
普段は並行する国道8号を通るため、鳥居本の町なかをご存じない方もおられたそうです。
開発の波にのまれることなく、昔のおもかげを残している鳥居本、
これが一番のお宝なのかもしれません。

2009年 9月 23日

信楽で若冲と魯山人の展覧会が!!

初めてのシルバーウィーク。遠出をするつもりなどなかったのだが、
ミホミュージアムで「若冲ワンダーランド」が開催されていたので、
友人4人で行くことにした。
せっかくなので、他の美術館は…とチェックしたところ、
同じ信楽の陶芸の森で「北大路魯山人展」が開催されているではないか。

ということで、芸術の秋を満喫!!

以前、魯山人を描いたドラマがあったが、結構勝手きままに振る舞う嫌な人という
イメージが強く、何となく即興で作ったような作品という感じで好きでなかった
のだが、食わず嫌いというのは良くないという意味もあって、会場へ。

魯山人の作品とともに、才能はあったものの短気で屈折した生涯がわかり、
なかなかおもしろかった。大ぶりの作品が多いなか、大正時代に作られた
鯰の染付向付が可愛く、やはり器用な人だった。
竹内栖鳳が滋賀県に逗留していたときに出会ったことなども紹介されていたが、
「七本鎗」の看板は図録に載っていたものの、現物展示はなかった。
見たい方は直接木之本へ!!

午後、信楽の長野の町を散策しようと、地図を広げていたら、
カメラをぶら下げたおじさんが親切に案内してくれた。
「平井のおっちゃん」と言っておられた。
窯元散策をして、若冲展へ。

ミホ・ミュージアムっていつも思うのだが、車の多くが県外ナンバー。
この日も少し遅かったから、いつもの駐車場に止められたが、すごい入り。
若冲人気のほどが窺えた。

若冲の絵は目が可愛い。
目玉はもちろん、ゾウとクジラの図だが、私は口をあんぐり開けた「龍図」に
惹かれた。まんなかに少しマンガ的なおどけた龍の顔が描かれ、
長い身体は紙の向こう側なのに、くねらせている様がわかるようだ。

若冲って錦市場の青物問屋のボンボンで、お母さんは近江出身だったらしい。

モザイク画は展示替えで今月末から見られるそう。

ところで今、滋賀県の「湖南4館スタンプラリー」が開催されていて、
展覧会のハシゴをする人はこちらを利用すると、入場料の割引があります。
是非、ご利用ください。

2009年 9月 11日

近江と遠江

その昔、京から見て、
近つ淡海=琵琶湖がある国「近江」
遠つ淡海=浜名湖がある国「遠江」
として国の名前が付けられたという。

浜名湖は今は海とつながっているが、それは
明応7年(1498年)の地震で繋がったらしく、
それまでの浜名湖は淡水だった。

関ヶ原の戦いで功を成した井伊直政さんは
佐和山城の城主となり、2代目藩主・直孝さんのときに
彦根城を公儀普請で築城したのだが、
直政の祖先は遠江・引佐の出身である。
近江と遠江って結構繋がりがあるようだ。

今年の1月、以前執筆していただいた加藤先生の講演会が
あるとのことで、愛知県豊橋市へ直販に行ったときのこと。
加藤先生、『近江の山城ベスト50を歩く』を見ながら
「遠州も山城がたくさんあるよ」
「それなら、遠州のベスト50作りましょうか?」
「近江は1国だけど、静岡県は遠州・駿河・伊豆の3国だなぁ」
ってことで、決まったのが、
『静岡の山城ベスト 50を歩く』である。

 
10月、浜松市では「城跡フェスティバル」が開催される。
これに併せて『静岡の山城ベスト50を歩く』を発刊する。

2009年 9月 5日

戦国文化史検定

検定試験に「戦国」もラインナップしたようで、
10月12日に「戦国文化史検定」が開催されます。

あっ、トップページの屏風、覚えています。
『信長の城・秀吉の城』で掲載させてもらった
大阪城博物館所蔵のものです。

参考図書は学研の既刊本2冊ということで、
戦国グッズや戦国ゲームソフトの会社の協賛。
ネットで問題例もでています。

そんなことより、今日は静岡県地図とニラメッコしながら
城跡の位置をチェックしていました。
編者のK先生に印をつけたデータを作ってもらっていたけど、
やっぱり難しいものです。
近くの城跡とか、市町村の境、川などを基準に
校正したけど、たぶん何か所かずれているでしょうね。

2009年 5月 21日

淀川のワンド

5月20日の朝日新聞夕刊、「コウケンテツの思い出レシピ」に「淀川ワンド」のことが書かれていました。
料理人コウさんは淀川べりを走ってはったんですね。
そしてこんなことも書かれていました。「天然記念物のイタセンパラの稚魚がここ数年確認されていない」

そうなんです。イタセンパラ、アユモドキ、かつて琵琶湖・淀川水系にいたお魚たちはどうしてお目にかからなくなったのか。その原因は何なのか。今、琵琶湖と淀川周辺に生息する生物はいったいどうなっているのかという状況を伝える本が出来上がりました。

『とりもどせ!琵琶湖・淀川の原風景』
編者の西野麻知子さんは琵琶湖の生物を研究している学者さんなのですが、「琵琶湖だけではなく、淀川も含めて、そこの生物のことを併せて知らさないとあかん」ということで、今回の本が出来たのでした。

高度成長期に人間という生き物だけの都合で川と陸の境界をプッツリ分断してしまった結果、水辺で生育していた魚や植物の環境を破壊してしまったのです。
本書は各専門分野の方が長年調査研究されてきたデータをもとに、特性や現状を詳述されています。また、環境保全や自然再生についての取り組み事例も報告されており、今後の河川再生に向けての好書でもあります。

2009年 4月 15日

太鼓が神輿の春祭

4月12日、彦根ではひこにゃんの誕生を祝してのお祭りとか、佐和山の麓でもさこにゃんやかねたんが出陣したお祭りが繰り広げられていましたが、も うひとつ古くからのお祭りが中山道で2番目に大きな宿場町だった高宮町でありました。
愛知川図書館で開催されている岩田重義さんの展覧会を観に行った帰り道、中山道沿いの家々にはお祭りの提灯が掲げられていています。私の町では5月が春祭 りなのですが、豊郷から原までは春祭りは4月なんですね。
阿自岐神社のお祭りは数年前に見に行ったけれど、高宮は一度も見たことなかったので、ちょっと立ち寄りました。

09041201.jpg

阿自岐神社と同様に、ここ高宮神社の春祭りも神輿は大太鼓です。この太鼓は重さ1トンあるそうで、町内のみならず近隣の住民にも担ぎ手を募って渡御してい るそうです。運よく、地元で店を営んでいる同級生に出会い、その辺の事情を教えてもらいました。

全部で太鼓神輿は8基あるのですが、担ぎ手が足りない組は太鼓の下に車輪をつけて引っ張って渡御しています。
そのひとつがこちらで、この太鼓は2トンもあるそうです。
09041203.jpg

南彦根駅からでも歩いていける距離に、こんなに立派な太鼓神輿があるのに、どうも宣伝不足なんとちがうかなぁ。
新しくイベントを立ち上げることもそれなりの意味はあるけれど、連綿と続いている祭りも観光資源です。是非とも男手の力で肩にその重みを感じながら、高宮 神社まで担いでいくお祭りが続いていってほしいものです。

高宮は近江線の駅もあるから、もっと多くの人にこのお祭りに参加してもらう策はあるような気がしました。

09041202.jpg

2009年 3月 28日

甲子園への道

3月26日、会社を休んで母校の応援に行ってきました。
なんせ、56年ぶり3度目の出場という彦根東高校。2度目の出場のときは私はまだ母のお腹のなかにおりました。
彦根東が甲子園に出られるなんていうのは、夢の夢。一生に一度あるかないかだと思っていましたが、現実となれば、2度とない機会だから、寄付もしたし、 やっぱり実感したい!!

024.JPG

同級生からの誘いで応援バスの申し込みをしたところ、このバスは7年前に21世紀枠で漏れた野球部の保護者会の一団でした。バスに乗り込むと、親戚のおば さんや高校の恩師がすでに乗り込んでいてびっくり。
バスのなかでは、校長先生の挨拶や野球部員の紹介、そしてひこにゃんの画像も盛り込んで校歌や応援歌の練習ビデオまで上映されていました。応援団長とチア リーダーが応援練習も指導してくれていたのですが、「○○選手のときはこの歌で、エールはこれ」と言ってたけど、おじさん、おばさんはそんな臨機応変に対 応できひんのですわ。
あー、テンポがあわんなぁと思ってた私ですが、同乗の56年前に応援にいったおじさま軍団は、宣戦前の杯を酌み交わしつつ、若かりし頃の思い出話に花さい ておりました。

027.JPG

見てください、この赤鬼魂の赤いウインドブレーカー。
この赤鬼軍団が続々と甲子園に向かう様、これだけで習志野を威嚇するという策略。
実は私は野球観戦といえば、20数年前、膳所高校対彦根東高校の決勝戦と今回しか行ったことのない人なんで、甲子園なんて、もちろん初めてです。何度も高 校野球観戦に行っているおじさまにバスでレクチャーしてもらい、へーっ、こんなところなんかと、お上りさん状態。

でも、集まるもんです。球場のアルプススタンド入口に行くと、知った人に続々出会うんですね。
そりゃ3500人も集まったんだから、知った人の10人や20人なんて、ヘノカッパ。

観戦って、あんなに慌ただしいとは知らんかったです。テレビだと解説聞きながらのんびり見てるけど、球場では試合を見んならんわ、指示に従って応援 をせんならんわ、忙しいことこの上なかったです。
もう、写真撮ってる余裕などなかったのですが、後ろを振り向くと、赤一色!!!
前列は現役高校生で、次のシマにいたのですが、未来を背負う野球少年がいっぱ詰めかけていました。
029.JPG

そうか、「君達がまた東高校に来て野球してくれるんだね」とおばさんは納得。
「一生に一度と思っていたけど、きっとまた君達が大きくなったら甲子園に呼んでね」と
心のなかでつぶやいていました。

結果は負けたけど、なかなか見ごたえのある好試合を展開してくれた野球部でした。
帰りのバスでは、奇しくも往年の陸上部員4名が集まり盛り上がっていました。

最近の記事

カテゴリー

ページの上部へ