2012年 1月 22日

これは近江以外の人にも読んでほしい年中行事の本

来週発行する『近江の年中行事と民俗』をひと足早く読みました。  

実は私もそうなのですが、お正月に鏡餅をお供えしたり、
豆まきをすることについて由来や意味を誰かに聞かれたら、
戸惑ってしまいませんか?  
  
たとえば普段毎年の行事だからと、町内で行っている地蔵盆。
実は「地蔵盆」という言葉はどうやら近代の言葉だそうで、
江戸時代には地蔵祭りと言われていたことや、
明治5年7月に滋賀県庁では「地蔵祭り禁止」の
通達があったことの原文まで載っていて、
思わずヘェーッ、ソーカァと、1節ずつ読む度に
驚くことしきりの内容です。  
  

夏越の祓の茅の輪くぐりは『備後国風土記』によれば、
茅の輪を腰につけていて、くぐるようになったのは
室町時代だったなど、文献史料を明示しながら、
わかりやすく書かれています。  
  
  
五節句を決めたのは、江戸幕府で『徳川禁令考』にあると
書かれていましたが、偶然先週彦根東高校図書館で撮ったのが、
こちらの本。
背がボロボロってことは、きっと大先輩達が
繰り返しひいていた本なのでしょうね。

彦根東高校図書館の蔵書は凄い。

2012年 1月 16日

鳥居本と関ヶ原は近いのです。

本日、図書館で『北近江の山歩き』を見て、買いに来られたお客さま。
どちらからお越しいただいたのかとお伺いしたら、
岐阜県の関ヶ原から、車でお越しいただいたのでした。
お隣りの県とはいえ、そう言われて、地図で距離を調べたら約26キロ。
鳥居本から木之本へ行くよりも近いのです。
関ヶ原や大垣市内から、当社まで直接本を買いにきてくださる方が
結構これまでにもおられたのですが、これで納得。  
   

  
でも、できれば不破の関を越えて車を飛ばして来ていただかなくても
よいように、岐阜県の書店さんで、サンライズ本を取り揃えて
いただける基幹店を作らなければ……と思ったのでした。
 

2011年 12月 31日

おせんのこの一年

平成23年も余すところ本日1日。 
いつもならば、仕事の片付けや掃除に追われているところですが、
今年は結構のんびり……、ということは、仕事が少ないことなのか(トホホ)。 
 

    

   
さて、今年一年私が関わった本の総括です。
お城本5冊に加え、全部で9冊の本に携わりました。  
 

 

    
1   『無辜の人たち―被差別の蒼氓から』
内容はとても重いのですが、著者・山村先生の力量で
それを読者にじわーっと伝えてくれる一冊です。  
 

 
 
  
2    『宿場町つちやま―つちやま宿を歴史する』
長年ボランティアガイドとして活躍されている
著者が、土山の歴史や句碑、歌碑を解説。
歩きながら読めるように地図も収録。   
 

 
  

3    『彦根城の諸研究―海津榮太郎著作集』
故・海津氏の論考を長年交流のあった森山氏を中心に
再編したもの。城郭研究の草分けとして原典にあたり、
研究を続けた姿勢が伝わる本です。  
  

 
  

4   『戦国時代の静岡の山城』
2010年に開催された静岡のシンポジウムの内容を新たに
書き起こし、新たな調査結果により、城の変遷を論じています。  
  

 
  

5   『静岡の城―研究成果が解き明かす城の県史』  
静岡の城に関する4冊目の本。静岡は城取り合戦のメッカ、
様々なお城の構造、変遷がわかる必読書。1月8日は
浜松でトークセッション開催。  
  

 
  
 
  
6   『熊本城を極める』
7  『大坂城を極める』  
  
2007年に発刊した『彦根城を極める』をシリーズ化しました。
中井均・加藤理文の両氏で全8冊を書いていただきます。
本を片手に極めていただけるよう2月には大阪でトークセッション
開催します。  
  

 
  
  
8   『彦根ことば―翻刻版』
昭和27年に発刊された彦根・湖東地域の方言集の翻刻。
全部で約4000語、今はほとんど聞くことのない方言も
収録されています。 
  

 
  

9    『彦根ことばとその周辺』
中国語の翻訳をしている著者が、郷里の方言を共通語に
置き換えればという視点からまとめた一冊。ことばの背景と
共通語の置き換えを紹介しています。  
  

 
   

以上、来年も何卒よろしくお願い申し上げます。

2011年 9月 6日

MIHOMUSEUMの「神仏います近江」展、始まりました。

今年の1月に開催した「『近江の祈りと美』出版記念講演会」の時、
秋に滋賀県で最大級の展覧会が企画されていると聞いたのが、
「神仏います近江」展のことでした。
私立と県立と市立の3館が、それぞれテーマを分担して一堂に会する
という趣向といい、その出品点数といい、まぁ今回を逃したら、
次は10年後かどうかというぐらい、おびただしい神さま仏さまが
お出ましになる展覧会ということで、ずっと心待ちにしていました。

そして先陣を切って9月3日(土)から信楽のMIHOMUSEUM
「天台仏教への道」が開幕し、早速でかけました。
時折美術品の図録や書籍の仕事をしているとき、写真をお預かりして、
尊像や屏風、絵図を編集・校正作業などで見ているものの、
やはりこの目で本物を拝観するというのは、大きさや質感に驚くことが
しはしばあります。
書籍では寸法明記をしているはずでも、
実物を見ると「えー、こんなに小さかったのかぁ」とか、
その反対にあまりの巨大さに驚くということがしばしばあります。
 
今回の展覧会では、最初の「釈迦入滅」のコーナーで、
ずっとお出会いしたかった荒神山の中腹、
千手寺の僧形坐像さまに初めてお出会いしました。
38センチの小さなお方だとは存じていたのですが、
柔和なお顔と鼻筋の通った異国のお坊さまに、見とれてしまいました。
 
最初にボーッと見とれてしまうと、他の作品を見るのが
ついついおろそかになってしまうのですが、
次にくぎ付けになったのがMIHOMUSEUM所蔵の持国天立像さま。
どうしてもお顔に目がいくというか、整っておられるのです。
また細かな彩色も残っていて、アッチコッチから拝見。
元は興福寺に安置されていたとする説もあるとかというお方で、要チェックです。
 
パンフレットに掲載されていた栗東市善勝寺の千手観音さまは
1998年に「近江路の観音さま」でお出会いしたのですが、
左右に大きなお顔があるという三面千手さまです。
様々なバリエーションの仏さまがおられるというのも
近江のおもしろいところなのかもしれません。
 
そして、伊東先生が解説されていたのですが、
園城寺の不動明王さまが今回の「目玉」というか、
要チェックのお方だそうです。
実は後補の玉眼が全体の作風と合わないとのことで、
今回は紙を貼って当初の雰囲気を損なわないように
されたそうです。
また、2年前だったかの国宝三井寺展のときにはお顔が
正面を向いていたのだそうですが、
今回は少し右にお顔を振られたとのことです。

MIHOMUSEUMの会期は12月11日(日)と最も会期が長いのですが、
たとえば金剛輪寺の強面の大黒さまや(この方のことは
20年ほど前にご住職からお話を伺ったので、馴染み深いのですが)、
長く展示すると負荷のかかる絵図などは適宜展示替えされるので、
できれば複数回行かれることをお勧めします。

展覧会の図録は500頁以上の分厚いものですが、
でもこれで近江の神仏を網羅していると思ったら大間違いです。
滋賀県には国宝・重文・県指定の彫像だけで400以上もあるのですから……。

ということで、最後に宣伝させてくださいね。
滋賀県の秘仏や指定文化財一覧など、もっと深く知りたいと思われる方は
『近江の祈りと美』を是非御覧ください。
彫像200点以上と高梨純次氏の論考、滋賀県の指定文化財一覧表も
掲載していますので、仏像ファンには必携の一冊です。
MIHOMUSEUMのSHOPでもお買い求めいただけますので、
是非ご覧ください。

2011年 7月 18日

「神仏います近江」展のネット配信

9月からはMIHO MUSIUMと滋賀県立近代美術館、10月からは大津市歴史博物館で開催される3館連携の展覧会「神仏います近江」。先週は大津市の西教寺さんの木造阿弥陀三尊像の観音菩薩さまの足ホゾから行快さんのお作だと判明したニュースが席巻しましたが、展覧会前にこういった話題があると、よけい楽しみです。
行快さんと言えば、旧西浅井町阿弥陀寺の阿弥陀如来さまも行快さんの作でした。旧信楽町の玉桂寺に以前おられた阿弥陀さまも同じく行快さんだったのですが、行快さんの作品が発見されたのは25年ぶりだとのこと。
ところで、阿弥陀寺は「法眼行快」で西教寺は「法橋行快」。法眼・法橋というのは仏師の階級だそうで、西教寺さんの仏像は行快さんがまだ若い時分に彫られたそうです。

さて、前置きはこれくらいにして、開催をワクワク楽しみにしている人にお知らせです。
「神仏います近江展実行委員会」はtwitter、facebook、ustreamにも公式アカウントができて、刻々とニュース発信しています。もうすぐ巷に貼られるであろうポスター、展示される尊像について、講演会のことなど情報が逐一わかります。

えっ、どうしたらわかるかって……? すみません、私って結構パソコン音痴なので、とりあえず、検索で「神仏います近江展」とやらを入力してくださいね。
実行委員会の担当の方、日々ありがとうございます。楽しみにチェックしております。

2011年 2月 5日

ダシガラを捨てないお料理

版元ドット・コムの忘年会では毎年、版元が自社の本を1冊持ち寄り、交換会をします。昨年、GETしたのは『新版 ごはんとおかずのルネッサンス 基本編』、イル・プルー・シュル・ラ・セーヌというフランス洋菓子店が版元さんの本でした。 
 
帰りの新幹線で、なぜ洋菓子店で素朴な材料で作る和の料理本を作ったのかとかという謎は解けたのですが、この本の一風変わったことは、イリコ・昆布・カツオで取ったダシガラを捨てるのではなく、一緒に食べてしまうということでした。 
ヘーッと思いつつ、茶の間の本棚に差して置いたら、姉が見つけて読んでいるなと思ったら、早速実践してくれたのが、これです。
 
 
 
ほんと、実だくさんの炊き込みごはんとお味噌汁でしょ。他にはフナのお刺身とお漬物でもう十分おなかがいっぱいになりました。たまたま、母が2週間ほど入院した後ということもあり、目下、食事係は姉が一手に引き受けてくれていて、ダシガラも食べてしまうお料理をいろいろ作ってくれています。大根、ひじき、しいたけ、こぼう、ニンジン、大豆など食材は一般に手に入るものばかり。昨年作った自家製の干しタケノコも使ってとリクエストしたところ、うまく調理してくれました。 

2011年 1月 29日

愛媛県美術館で近江の仏さまと出会えるチャンス

昨年10月に滋賀県立近代美術館で開催された「白洲正子 神と仏、自然への祈り」展が、明日から四国・松山で開催されます。『近江の祈りと美』に掲載の仏さまや神さまも10数点、愛媛県美術館へご出張……、いえご出展されています。
四国の皆さま、また期間中、四国巡礼をされるご予定の皆さま、一カ所で多くの仏さまに出会えるチャンス! 是非ご来館ください。
 
と き 2011年1月29日(土)~3月6日(日)
ところ 愛媛県美術館
 
ちなみに、この展覧会場で『近江の祈りと美』『近江観音の道』
を販売しております。
 

2010年 11月 4日

日野町正明寺の御開帳に行きました

文化の日、33年に一度しか拝観できない観音さまにお出会いしました。
正明寺さんは近江西国三十三所の札所で、十年ほど前に仕事の関係もあって、三十三所を廻ったこともあり、とても大きな魚板が印象に残っていたお寺でした。お寺のすぐ近くには鎌倉、室町時代の蔵骨器が見つかった大谷古墓があり、今はこじんまりしたお寺ながら(江戸時代に本堂は再建され、現在は黄檗宗の禅寺)、800年ほど前は、丘陵一帯に伽藍が建っていたのだろうなと、勝手に思いを巡らしてしまいました。
秘仏の三尊像は、お厨子の前まで行くことができ、じっくりと拝ませていただきました。秘仏として普段は開かずのお厨子におられるため、胸の瓔珞は色こそ褪めていますが、残っていました。
正面右手の禅堂は平成12年に落雷で焼失。ちょうど檀家の役員さんが寄り合いをしておられたときだったため、お堂の仏像はなんとか運び出して無事だったと聞きました。当時も禅堂には大日如来さんがおられたのかどうかを聞くのを失念していましたが、あの大日さんもなかなかの美形(こういう表現は不適切か?)で、必見。
ご開帳は11月23日までです。

2010年 10月 14日

正明寺は観音正寺・梵釈寺とつながるのかどうか?

『近江の祈りと美』の仕事をしているとき、写真家の寿福さんが「正明寺の千手観音さんは観音正寺の焼けた観音さんによく似ている」と言われた。なるほど写真で見ると本当に似ておられる。時代も同じく室町時代で共に天台宗寺院だったときの作である。観音正寺の観音さんは胎内に作者が書かれていたのだが、正明寺の観音さんは果たしてどうなのか?

先日、大石真人著『近江路の古寺を歩く』(山と渓谷社)を読んでいたら、蒲生町の梵釈寺は正明寺の晦翁禅師が天和年間に開創したお寺だと書かれていた。梵釈寺の御本尊・伝観音像は実は宝冠阿弥陀像であるということは『近江の祈りと美』で高梨さんも解説されており、「ここは重文の正式名称ではなく宝冠阿弥陀像と書いておこう」といわれた、謎めいた仏さまである。もしかしたら正明寺さんにおられた宝冠阿弥陀像が梵釈寺に来られたのでは……などと、勝手な想像をしてしまう。 

とりあえずは、17日からご開帳になる正明寺の観音さんを拝観に行くべし。

 

2010年 10月 13日

仏像ってむずかしい4

今回は仏像というよりも、お寺や神社の名前について、むずかしいことのお話です。
まず大津の園城寺(おんじょうじ)さんは通称は三井寺さんと言われています。三井寺の由来はといえば、天智、天武、持統の三天皇が御産湯をつかったという「閼伽井屋」という井戸があり、これが「御井」(みい)と言われ、それが三井寺になったのです。今回は図版に表記する所有者名として正式名称をいれたのですが、もしかするとわからない人もおられるかもしれませんね。
国宝十一面観音さんのおられる高月の向源寺さんについては、このお寺の住所が「渡岸寺」なので、ついつい渡岸寺の観音さんという人が多いのですが、これはまちがいです。
その他、高月の充満寺(じゅうまんじ)は西野薬師堂、日吉神社は赤後寺(しゃくごじ)、鶏足寺(けいそくじ)は己高閣(ここうかく)というように本当にややこしいですね。

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