2013年 1月 13日

1930年代を忘れるな――柴山桂太著『静かなる大恐慌』(集英社新書)

 また更新に間があいてしまった。一応、滋賀県がらみの本として、9月に出た柴山桂太著『静かなる大恐慌』(集英社新書)というネタはあったのだ。著者は、彦根市にある滋賀大学経済学部の准教授。
 テキストデータの日付を見ると、去年の10月21日に最初の下書きをしているが、政治がらみの話になるので、会社のサイト内ブログに書くのはどうかと躊躇しているうちに、衆議院選挙が行われることになり、さらに書きづらくなって放置……したが、その後のようすをみると、結局、政策は経済学の流行で動いているだけのようなので、書いてしまうことにする。
 『静かなる大恐慌』は、12月にアマゾンのページを見た日には集英社新書のベストセラーランキングで1位になっていたし、一昨年に出た『グローバル恐慌の真相』(中野剛志氏との共著。集英社新書)も、中野人気も手伝いよく売れていた。                                                                                                               
 柴山本2冊の主張で、私が賛同するのは、「政府は緊縮財政だの貿易立国だの言ってないで、最初の世界恐慌後の1930年代にならってケインズ主義的経済政策で内需の拡大に努めよ」といっている点(全体では「そうそう」が2分の1、「わからない」が4分の1、「それはどうなの」が4分の1ぐらい)。 
 これは本当に勉強しなかったので恥を忍んで書くのだが、私は大学で日本近代史を専攻していた。だから、近代史関係の本は、一般の人よりは読む。それらでなじんできた歴史観だと、1930年代の世界恐慌を経験した自由主義経済の国々=アメリカとイギリスなどのヨーロッパ諸国、そして日本は、その後、社会主義との折衷で自国の経済を維持・発展してきた。なぜか、この感覚が日本では一般化していない。いま検索してみたら、wikipediaでも「混合経済」という項目でちゃんと解説されているではないか。
「1929年から発生した1930年代の世界恐慌後、特に、第二次世界大戦後の資本主義国に広まった政策である。世界恐慌における記録的な民間投資後退が金融システムの疲弊や資産市場の衰退を通じて、著しい景気後退と深刻な社会不安を招いた反省があったからである。
 政府が均衡財政にこだわらず歳出を行なうことで、乗数効果による国民所得維持を図り、民間投資の減少を引き止め、完全雇用の達成と経済成長を図ることが目的である。
 さらに、所得再分配をはかり消費性向低下を抑制することや、社会福祉の充実により社会不安を背景とした過剰貯蓄を回避し個人消費の育成を図るなどの政策も前述の目的に沿っている。さらに、規制などによりあらかじめ産業の需給調整を図り、投資リスクの低下を図る。」
                                                                     
 1929年の世界恐慌後、日本の主要な輸出品だった生糸の価格は暴落、さらに欧米のブロック経済化が進むと、日本は市場を求めてアジアへ進出していくという話は、柴山本ともからむのだが、ここでは置いておいて。
 日本でも世界恐慌とそれに続く昭和農業恐慌の後には、政府が失業者対策のために国道の改良・港湾改修工事や田んぼの耕地整理など、インフラ整備を兼ねた公共事業をそれ以前とは一ケタ違う予算を組んでおこなっている。1932年には、「失業救済事業」から「産業開発(または振興)事業」に名称を変更。内務省の主導で、「農村に『現金をばらまく』ことを主眼(こう当時の計画案にある。不況時には市場に流通するお金を増やすことが大事なのだから、緊縮財政策よりも有効)」に具体化された。家の本棚にあった加藤和利著『戦前日本の失業対策―救済型公共土木事業の史的分析』(日本経済評論社)という本をもとに書いてみた。1998年に出た定価7140円(税込)の本がやっと役に立った。
 ついでに本棚から1999年に出た20世紀を振り返った内容の対談本を読み返してみたら、次のような発言がある。
 「それにしても不思議でならないのは、こうした混乱期[1999年当時]こそある種の社会主義的な経済政策が必要だということを二十世紀の歴史が人類に教えたはずなのに、市場経済という名の弱肉強食が横行していることです。」
 言ったのは、当時の東京大学総長。きわめて常識的な発言である。本人も経済学が専門でもない私がなぜ言わなきゃいけないのかという半ばあきれた感じで言っている。なのに、肝心の経済学者の中では、こう考える人が少数派となっており、そのまま10年余り。
 先の発言にある「ある種の社会主義的な経済政策」とは、柴山本でも唱えられている「ケインズ主義的な経済政策」のことで、昨年12月の選挙で大勝した某党が打ち出している「政府による積極的な金融介入と公共投資」のことなわけである。おわかりだろうか。本来の公共事業は、「某党十八番の無駄使い」なんかではなく、「不況時に雇用を創出する社会主義的政策」だということ。公共投資(事業)が継続されるうちに、日本でもアメリカでも政治家の選挙対策と化し、不当なレッテルを貼られてしまった。
                                                                     
 イギリスの経済学者、ケインズの再評価は、リーマンショック以降、アメリカの経済学者ポール・クルーグマンらを中心に欧米では主流になりつつあるのに、日本の新聞・テレビでは一向に浸透していない。
 各党の政策を云々しているマスコミの記者もわかっていないらしい。昨年12月30日付の日本経済新聞・読書欄では「エコノミストが選ぶ経済図書ベスト10」として、「危機突破導く力作ずらり ケインズ的発想再評価」という見出しのもと、2位にポール・クルーグマン著『さっさと不況を終わらせろ』(早川書房) [何度も笑わせてもらえる] 、9位にニコラス・ワプショップ著『ケインズかハイエクか』(新潮社) [ケインズの人となり(個人崇拝につながるのは警戒すべきだし、主張と人格は切り離して考えるべきだけれど、ケインズの言動って魅力的)とともに、欧米の経済政策の背景がコンパクトにまとめられている] が並んだ。
 エコノミストは、さすがに流れが変わったなとわかっている。某党の政策もそれに合わせた。
 なのに、同日同紙1面のコラム「春秋」には、「新政権は10兆円規模の補正予算案の編成に躍起だが、無駄な公共事業のバラマキにつながる気配が拭いがたく漂う。それ橋だトンネルだハコモノだ、と大盤振る舞いするなら財政のタガは一気に緩むだろう。こうして借金を膨らませてきた過去をお忘れか」と書かれている始末。
 思い出すべき過去は、1930年代なのに。

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