2007年 8月 05日

隠れたキーワードは「家畜」

 私は今の会社の前に勤めていた編集プロダクションで、全農畜産生産部情報サービス課が畜産農家に配布する畜産情報誌を編集していたことがある。私に畜産の知識はまったくなし。私が担当した間で3人いた編集長(全農職員)のうちのお一人は、専門が肉牛で、近江八幡市出身だった。同郷のよしみでよくしていただいたが、湖北出身の私は近江牛についてもほとんど知らなかった。
 そんなわけで、畜産関係の本に自然と目が向くようになっていた時期に、秋篠宮文仁ほか著『欧州家禽図鑑』(小学館)が出た。英国で見ることができる家禽(ニワトリ117種、アヒル・ガチョウ33種)を秋篠宮殿下が撮影なさった写真に同じく執筆なさった解説をつけた図鑑である。仕事の帰りにいつも寄っていた地下鉄近くの書店の新刊の棚から抜いて買ったのは覚えている。上製本・函入、家禽の写真の部分はオールカラー。本棚から久しぶりに出して見てみると、奥付にある発行日は1994年12月12日。一昔以上前の話だ。定価は5200円。
 小学校低学年の頃、子ども向け動物図鑑の中の「家畜」のシリーズを何気なくめくっていて、脚に羽毛のある自分のイメージしていた鶏とずいぶん違う品種の図を発見し、「さっそく父にバフ・コーチンが欲しいと頼んでみた」という出会いのエピソードで始まり、狭い国土の日本にふさわしい肉用鶏開発の夢を書いた卒業文集収録の作文も引用してある「後書」は、かなり強烈で、以後、「秋篠宮殿下=鶏」は私の数少ない皇室知識の一つになる。
 以上は、長い前置き。

 7月28日(土)、琵琶湖博物館ホールで行われた企画展関連シンポジウム「東アジアにおける生き物と人 ―これからの関係を探る―」を、同館発行の情報誌『うみんど』の仕事で聴く機会を得た。開館以来、館内外のさまざまな分野の研究者の参加も受けて取り組んできた総合研究「東アジアの中にある琵琶湖 ―コイ科魚類を展開の軸とした環境史に関する研究―」の、これまでの研究成果を発表するものである。
 プログラム巻頭の「趣旨」には次のように書かれている。
 「基調講演を含めた前半の4つの講演では、縄文時代以降から現在に至るまで、コイ科魚類を人びとがどのように考え、どのような関係を持っていたのか、またコイ科魚類はどのように人の社会的・文化的多様性を利用してきたのかを琵琶湖の具体的な事例でみていく。後半の2つの報告では、琵琶湖をより客観的に眺めるために、中国という同じ東アジアに位置する国の生き物と人との関係性を概観し、琵琶湖のまわりでの生き物と私たちとの関係性と比較してみることにしたい。
 以上の報告を受け、討論では本シンポジウムのテーマである生き物と人のこれからの関係を探るために、その関係性は歴史的にどのようなものだったのか、またどのようにして生まれてきたのかを整理し、これからの私たちの生き物と人との関係性はどのように作っていったらよいのかを、フロアの参加者と共に考えていきたい。」

 会場ホールの最前列中央には、社団法人日本動物園水族館協会総裁の肩書きで秋篠宮殿下がお座りになっていた。
[基調講演]内山純蔵(総合地球環境学研究所)「人間にとっての琵琶湖とは:魚と人の関わりの歴史を中心にして」
[講演]春田直紀(熊本大学)「魚食からみた中世の漁撈―コイが魚の王様だった時代―」
    安室 知(国立歴史民俗博物館)「田んぼから米と魚を」
    牧野厚史(琵琶湖博物館)「米を作るために魚を育てる」
    菅  豊(東京大学)「家畜としての魚―中国江南デルタの伝統的資源循環システム-」
    西谷 大(国立歴史民俗博物館)
     「水田漁撈をする村、しない村―多民族が住む雲南省者米谷―」
 これらに続く討論で、コメントを求められた秋篠宮殿下は、「本日の皆さんのお話されたなかの、隠れたキーワードは『家畜』だと思います」とおっしゃり、「家畜化」の不思議について、目下のご自身の興味関心とからめてかなりの時間お話になった。一研究者としてかなりの関心を示しておられたことがわかる。
 キーワードは「家畜」。さすがです。殿下!
 「生き物と人との関係性」なんていう持って回った言い方はなさりません。
 5つの講演の中でも特に、中国・江南省にみられる農業生産に家畜(牛・豚・鶏と魚)を複雑に組み込んだシステムと、それに比較するとかなり単純な日本の農業生産システムを紹介した菅氏の講演は刺激的だった。
 これに対しては、殿下のお隣に座っていた嘉田由紀子滋賀県知事が「いえ、日本でも江戸時代までは高度な循環型システムをつくる意識が云々」式の予想したとおりの反論をおこなったが、これは当たっていないだろう。
畜産文化の歴史の差を認めるべきだ。一度でも畜産の世界にふれたら、この分野で日本は「後進国」だなぁと思い知らされる(そもそも、家畜飼料のほぼすべてを輸入に頼っていること自体が、そうしたシステムが作り上げられないうちに無理矢理、輸入文化を導入した後進性の証拠なわけで)。
 講演者の一人、琵琶湖博物館の牧野学芸員は、ちょうど『うみんど』の最新号(43号)で、カワウの糞を肥料として利用するために愛知県美浜町上野間地区では、カワウの営巣場所である森林の手入れを共同でおこなっていた事例を紹介しているが、これに「半栽培」という言葉をあてている。中国なら、カワウの肉や羽毛も利用しようとするだろうということである。「もったいない」から。

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