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2012年 4月 19日

野口雨情と滋賀県 (「菜の花」第四号より)

 
『近江作庭家の系譜 小堀遠州・鈍穴・西澤文隆』の著者・角省三さんから、
文芸誌「菜の花」第4号をご恵贈いただきました。ありがとうございます。
 
角さんは野口雨情の「彦根音頭」に関する随筆で、
野田山の慈眼寺にある雨情歌碑について言及されています。
  
野口雨情といえば童謡「しゃぼん玉」などで有名な詩人ですが、
昭和13年に彦根に立ち寄り、「彦根音頭」を作詞したそうです。
歌詞は、
 
   琵琶湖めぐりは彦根が泊り
   泊りゃ帰るがいやになる
   見てけ寄ってけ彦根城

 
と以下17番まで続き、
多景島、伊吹山、佐和山城址、多賀大社などに次いで、
 
   山の中でも野田金比羅は病疫除けあらた神
 
と、歌碑そのままに慈眼寺が歌われていることを確認され、
(秋山清・伊藤信吉・住井すゑ・野口存彌監修『定本 野口雨情 第五巻 地方民謡』未來社、1986)
歌詞をすべて読み通したうえで次のように記されてます。
    
「七十三年という年月を経て尚、彦根の風景、叙情に変化がないということである。言いかえれば、雨情がのちのちまでも残してもらいたいと願い詠んだであろう彦根の風物は、見事にそのまま残されていて、そのことは彦根市民として雨情に報告したいことであり、市民が誇りに思ってもいい、と考えるのはどうであろう」 
 
ネットで検索してみると、長浜の「長浜節(リンコ節)」
米原の「醒井小唄」、野洲の「野洲町町歌」、大津の瀬田、磯田と、
滋賀県ゆかりの雨情作詞民謡はほかにもあるようです。
 
角さんのように、郷土に埋もれつつある文化を
顕彰しつづけておられる方々のご活躍もまた、
県民が誇りに思ってもいいのではないでしょうか。
 
いつか新刊『野口雨情 滋賀民謡(全)』を出せるよう、
小社も埋もれずに生き残っていきたいと思います。
 
                              (編集部Y)
 

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