2011年 8月 04日

蒸気船映画の系譜―フォード、ヒューストン、宮崎駿

 2007年1月28日にアップした「あなどるなかれ、琵琶湖の汽船」の追記である。
 この時、私は以下のように書いた。

中岡哲郎著『日本近代技術の形成 ―〈伝統〉と〈近代〉のダイナミクス』(朝日新聞社)の第七章「近代造船業の形成」は、まさに目から鱗。曰く「汽船は川で誕生しました。当時の蒸気機関は大型で熱効率が悪く、船にのせても静かな川や湖で短距離を走るのがやっとだったのです」。そう初期の汽船は「淡水向き」なのだ。

 ここで私は、「まさに目から鱗」と驚いてしまっているが、このブログの半分ぐらいを映画ネタで埋めてきた者として、この反応はちと恥ずかしい。
 思い浮かぶ蒸気船映画といえば、次の3本。

ジョン・フォード監督『周遊する蒸気船』(1935年、米)…19世紀末、ミシシッピー川の蒸気船を買った主人公が、死刑宣告を受けた甥っ子を助けるために、その恋人と奔走。ヒロインを演じた女優アン・シャーリー(『赤毛のアン』のアン役を演じて改名した)のかわいさと、蒸気船レースの「悪ノリ」ぶりが見どころ。

ジョン・ヒューストン監督『アフリカの女王』(1951年、米・英)…第一次大戦中の東アフリカを舞台。イギリス人男女(ハンフリー・ボガードとキャサリン・ヘップバーン)が、おんぼろ蒸気船「アフリカの女王」号に乗り込んで川を下り、湖に浮かぶドイツ軍の戦艦をやっつける。

ヴェルナー・ヘルツォーク監督『フィッツカラルド』(1982年、西独)…蒸気船がアマゾン川をさかのぼり、山も越える。(食わず嫌いで、私は未見)

 「川」ばかりだ。
 正確を期すために、「蒸気船」「映画」で検索して、2本を追加。
「喜劇王、バスターキートンの絶頂期を代表する一本」と紹介されている『キートンの蒸気船』(1928年、米)は、ミシシッピー川が舞台。
 ディズニーの『蒸気船ウィリー』(1928年、米)に至っては、ミッキーマウスのデビュー作だそうだ。川蒸気の船員として、ミッキーは初登場したのだ。世間では常識なのか? youtubeで見ることができる。
 映画史は、「蒸気船は、川もしくは湖のものだ」ということを語っている……と追記すべきだなと思いつつ、4年が過ぎたのだった。

 たまに、思い出されはしたのだ。
 『崖の上のポニョ』(2008年)で、水位が上がって熱帯のジャングルみたいになった家の前の海を、宗介とポニョがポンポン船に乗って進むシーンなど目にすると、「『アフリカの女王』じゃん」となる。
 『アフリカの女王』の、ドイツの戦艦に攻撃を仕掛けようとするが捕らえられ、あわやというところで一発逆転となるラスト20分ぐらいは、早送り1ぐらいで見ると、宮崎駿の画のアニメに脳内変換ができるんだよな。
 『周遊する蒸気船』にしても、男装で登場するヒロインや、当初は甥の恋人である彼女によい印象を持っていなかった主人公が、彼女の父親たちが連れ戻しにやってくると、なりゆきから一転彼女の味方につき、彼らを追い払う場面など、宮崎アニメに変換可能だ。
 それに、上の紹介文で「悪ノリ」と表現した蒸気船レースの場面を知っていると、『ハウルの動く城』でハウルの城が崩れて瓦礫となり、小さい動く城になってしまう一連の場面(ストーリー展開がわかりにくすぎて、よく覚えていないが)は、事情はなんであれハウルを助けるために急ぐ必要から、城の家具や外壁まで燃料になるものは何でも蒸気機関にあたるカルシファーの口に放り込んで、どんどん小さくなり、最後は板と脚2本だけでハウルのもとにたどりつくという展開の方が画の面でも観客の心情の面でもよっぽど盛り上がるではないか……と考えたりする。魔力がなくなって何だかよくわからんキャラになってしまう荒地の魔女は、終始一貫『周遊する…』に登場する悪ノリ預言者ニュー・モーゼ(爆笑です)みたいなのにすればよかったのに……とも。
 そう、宮崎アニメは、1930~50年代のハリウッド映画を思い出させる。
 何も私だけの発見ではない。
 塩田明彦監督(一番のヒット作は草薙剛主演の『黄泉<よみ>がえり』)は、ある座談会で「(『天空の城ラピュタ』を見た時の)衝撃は大きかった。現代日本にジョン・フォードをやれる人がいるっていう驚き」と発言している。すごいのは、この発言後に塩田監督が、実写で宮崎アニメをやったこと。映画『カナリア』(2005年)である。

[あらすじ]をネットから拾うと、、
 カルト教団崩壊後、教団施設から児童相談所に預けられた少年。少年は引き離された妹と母を取り戻すため、児童相談所を抜け出す…。1995年に起こった地下鉄サリン事件をモチーフに、妹を取り返しに行く少年とその途中で出会う少女の心の葛藤を描き出した作品。

 だそうだが、勝手に要約させてもらうと、
 主人公がロリコン中年男の手から少女を2回救い出す(1回目は偶然、2回目は意識的に)映画。
 なので、私にとってのクライマックス(物語上は中盤の山場ぐらいなのだが)は、金を稼ぐためにやむなく出会い系サイトで呼び出した男の車に乗った少女(谷村美月)を連れ戻すべく、走って追いかける少年(石田法嗣)の右手に金属バットが握られているのを目にする瞬間である。ただし、直前のシーンからの連なりによるこの場面の高揚感は、宮崎アニメ的だからではなく、塩田監督の才能。

 さて、ええと何の話でしたっけ……となるのは、書かなくてもわかるので4年間書かなかったのだが、今年元日の新聞に載った『コクリコ坂から』(2011年)の一面予告広告で宮崎駿監督が性懲りもなく蒸気船(タグボート)を描いているのを見て、また思い出し、まぁいいやと上映中のいま書いた。『コクリコ坂から』がいまいちだったのは、舞台が「海」だったからということにしておこう。

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