2012年 3月 25日
私と山城の関わり
今年の秋に『三重の山城ベスト50を歩く』を発刊することになり、
本日は届いたアクセス図の整理をしていました。
私は出版の企画をするときに、いわゆる「なんでも帳」的なノートに
いろいろ思いついたことを書きとめます。
そのノートといえば、手近にあるノートを使うのですが、
さっき引き出しから見つけたA5版ノートの1頁目を見たら、
こんなことを書いていました。
1994.3.6 おも城学臨地講座
長光寺城 講師 長谷川銀蔵
銀蔵さんと息子さんの説明で瓶割山へ上がる。
腰のまがったおじいちゃんも来ていた。
「虎口」という名前を覚えた。古墳もあった。
平らな地に凸があると専門家はそれが城や屋敷跡とわかるらしい。
へぇーっ、そうか。このときに初めて「虎口」という言葉を学習したのですね。
確かその半年ほど前に鎌刃城へ登ったのが、
私にとって「山城へ行く」第一歩だったのです。
当時は中型バイクの免許を取って、休日になると近隣の林道を
テクテク走っていたので、ついでにお城のこともちょっと知りたいなぁ
という感じだったのですが、
まさか山城の本を作る仕事に関わるとは思っていませんでした。
それにしても人間の記憶って結構あいまいなのですが、
何かに書き留めておけば、後々にいろいろと思い出すものですね。