2008年 6月 28日

石けん運動の経過について考える

 「門外漢の近江文学史」はお休み。

 中西準子さんが、自分のホームページの雑感6月3日付けで、
「石けん運動の経過について考える -びわ湖会議解散の報に接して-」
という文章を書いている。(どういう人かわからなければ、2005年11月6日のキシダ式で「おめでとうございます。中西準子様」という記事を書いているので、そちらを参照。) 一部、以下に引用。
                                                              
 有リン合成洗剤禁止が始まる頃、武村知事(当時)の公邸によばれたことがあったのを思い出した。市民運動はあくまでも合成洗剤禁止だったが、私は有リンを無リンにするのは意味があるし、生分解性の低い合成洗剤を、生分解率の高い合成洗剤に変えろという要求は意味があるが、合成洗剤を禁止して、石けんにという主張は意味がないという考えだった。石けんのいい点もあるが、それをきちんと調べるのではなく、ただ、昔に戻れみたいな発想は、とてもついていけなかった。
                                                              
         
 毒入り餃子事件の分析としては、一番説得力があるのではと思える[雑感422-2008.3.11「中国餃子と食品の安全 -問題は防疫」]、昔は古紙を配合した紙も、消費者の受けがよい「ヴァージンパルプ100%」で売られていたことを書いた[雑感 415-2008.1.22「古紙配合率のごまかし-私は二度ごまかされたことになるのかな?-」]なども読んでみてください。

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