2005年 6月 29日

琵琶湖の鮎

私ごときでお役に立つのかと心配しながら、平和堂様の中国人社員研修の講師を務めた。
日本流の商いの心、とりわけ近江商人について話をするようにとのことであった。

日本人にお話するのだって危ない私にとっては、前日よりかなり気が重かったが、幸いにも平和堂中国室顧問の唐(とう)先生がうまく通訳いただいたので、かなり理解いただけたようであった。

まもなく創業50年をむかえる平和堂は、彦根で誕生し、県内はもとより北陸、関西圏の次々出店し、昨年は東海地区にも進出している。何かと話題が多い流通業界で堅実な経営を続けておられる。

滋賀県と姉妹提携を結ぶ中国湖南省の長沙市に大型商業施設を建設されたのが平成10年。出店までには幾多の問題があったようだが、開店後は周辺はたちまちに大きく変化をしていると聞く。

創業者、夏原平次郎さんの商いの心はまさしく、近江商人の理念に合致する。とりわけ、「社会と会社」についての夏原さん説は納得のいくものである、早い時期から、企業の社会的責任について言及されている。さらに、企業理念というべき「5つのハトのお約束」では、顧客サービス、良品提供、取引先との信用を重視、みんなの幸せをきずくこと、そして地域社会のためにつくす、ことを唱っている。

夏原さんが、本腰を入れて商売を始められたのは40歳を超えてからのこと。その年の新聞記事で「琵琶湖の鮎と近江商人」をみるや、「琵琶湖の鮎でも大きく育ってみせるぞ」という決心がスタートであったといわれる。

琵琶湖の鮎は、県外の河川に放流されて大きく育つ、一方、近江商人も県外で商いをしたから成功したという話は、滋賀では通説のように語られていた。

この、通説に挑んだのが夏原さんの商い人生であった。ちょうど80歳を迎えられた時、自分史をおつくりになったが、お手伝いした私は、この著作のタイトルは『琵琶湖で大きくなった鮎』に限ると心に決めていた。しかし、どうしてもお聞き届けいただけず『おかげさまで80年』に落ち着いた。

このタイトルは、平凡ではあるが、まさしく夏原さんらしいものだった。と、今になって思う。

この中で一番感銘を覚えた内容が、
強いからといって、自分の欲望ですべてを画一化することはできない。青い空が美しいのは、そこに白い雲が少しうかんでいるからこそ、その青さがさらに際立つといい、商売は、地域の特性、慣習に逆らって力で組み伏せることはできないと主張され、独自路線を踏襲された経緯が記されているところである。

当時、力で組み伏せようとした企業が、今はその方向さえも定まらない状態の中、平和堂さまは、堅実なあゆみを続けている。おりしも本日は、株主総会の集中日、悲喜こもごも、企業の評価がくだされている。

「たとえ他国に行商に出かけても、その国一切のことを大切にせよ」と言い残した、中村治兵衛の言葉が、「三方よし」の原点といわれるが、夏原さんの商売の心は、そのとおりを実践されてきたのである。

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