2011年 5月 09日

東浅井詰所のこと

 今、書店に並んでいる長浜の地域情報誌『み~な』109号の特集「親鸞さんのおかげさん」で、東本願寺の近くにある「東浅井詰所」が紹介されている。江戸時代後期、火災にあった東本願寺の再建に地方から出仕した門徒たちの宿舎として建てられ、明治以降は参詣者の宿泊施設として運営されてきた。
 江戸時代の話は初めて知った。旧東浅井郡内の門徒の人が管理者として10日ごとに交替で寝泊りしているというのも初めて知った。
 建物の外観と室内の写真も載っている。これは覚えがある。私はここに泊まったことがある。昔だ。正直、自分としてはそれほど「昔」という感覚がないが、27年も前だ。今、計算して、この数字に驚いている。
 高校2年の夏休み、とある文化部の合宿で、私はここに1泊した。東本願寺に参ったわけではない。あれはどういう経緯だったのか。ほとんど活動していない部だったので、部費が余っていたせいもあったのか。3年の先輩を目当てに入部した女子3人は、その先輩が卒業してしまったために目的を喪失した。彼女たちは大学生となった先輩に会いたかった。U先輩は、八重歯がチャームポイントの小柄なメガネ男子で、後輩女子に人気があった。彼はK大に入学、京都の住民となった。彼女たちは考えた。「そうだ、京都へ行こう」。
 宿泊場所を「東浅井詰所」に決め、手配したのは、部長だった私(わが部に1学年上はいなかった。Uさんらの代から1年おいて私たちだ)。情報源は母である。宿泊費が安かった。『み~な』に載っている現在の宿泊料(素泊まり1泊)でも旧東浅井郡の住人だと3000円(それ以外は3500円)となっているから、その頃だと2000円ぐらいだったか。部員の中には合併前の長浜市(旧坂田郡)の住人もいたが、まぁ高校が東浅井郡内だからよかったのか。
 部の顧問の先生には、それ用の用紙に必要事項を記入して提出し、許可を得た。顧問の先生の同伴は、なし。男子4人・女子5人なのだが、そこは田舎の進学校、わりに放任だった。U先輩への信頼が厚かったというのもある。
 夜、どこかの橋の近くで人混みにもまれながら「大文字の送り火」を見たので、宿泊日は8月16日だ。ここで「大文字焼き」を検索して、これが浄土宗の行事だとわかる。本当に東本願寺とは関係ない。その日の昼間か、京都市動物園にも行った。両方、Uさんともう一人の大学生になった先輩が案内してくれた。
 以上、何の役にも立たない記憶が、『み~な』の2ページ記事のおかげで蘇ってきた……というのはウソ。あれから20年ばかりして衆議院選挙や県知事選挙に立候補するようになったUさんの顔を見ると毎度思い出されるので、書き止めてみた。

1件のコメント


  1. 私も、長浜の地域情報誌『み~な』109号の特集「親鸞さんのおかげさん」を読みました。東浅井詰所の歴史と重みを感じ、京都の詰所とやらに出かけました。
    ホームページでも確認しましたが、思っていたイメージとは異なり今時のスマートな建ち前でびっくり仰天!しかも静かで落ち着いた雰囲気、思わず管理人さん
    (やさしい感じの)に一泊お願いしよき思い出となりました。
    皆さん、絶対お得でお値打ちですよー

    コメント by さわちゃん — 2016年5月10日 @ 11:37 AM

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