2014年 12月 06日

大津市民は嫉妬すべき――大林宣彦監督『この空の花―長岡花火物語』

 さて、また間があいた。6月に尾崎真理子著『ひみつの王国 評伝石井桃子』(新潮社)が、そして、11月に石井桃子の創作集『においのカゴ』(河出書房新社)が出たので、その間をつなげて5月25日付け当ブログ「小波の世界」のページに追記。ただし、滋賀とは無関係。
 今回もまた始まりは石井桃子。河出書房新社から4冊出た随筆集のうちの『みがけば光る』に収められた「友だち」という文章に、石井がニューヨーク滞在中に出会った「Mさん」という出版社の社長のことが書かれている。感謝祭の日(11月の第4木曜日)に、ニュージャージー州にあるMさんの自宅に石井は招かれた。夜、帰る段になり、バスの停留所まで送ってくれたMさんに、日本から遠く離れた地に立っていながら不安な気持ちやさびしさを感じていないと石井が伝えると、Mさんは「だれでも、いま、その人が立っているところが、世界の中心なんですよ」と答える。
 この言葉から、ウイリアム・メレル・ヴォーリズがサインにつけた丸書いてチョンの記号が頭に浮かんだ。今年の没後50年を記念して近江兄弟社の監修で弊社から出た『漫画W.メレル・ヴォーリズ伝』の「刊行にあたって」でも書かれているとおり、このマークは、「(自身の活動拠点である)近江八幡は世界の中心」だという意味。両者のもとになっているキリスト教の言い回しのようなものがあるのか……、調べていないのでわからない。
 ヴォーリズが生まれたのはカンザス州、卒業した大学はコロラド州、1905年に北米YMCAの仲介で滋賀県立商業学校の英語教師として来日。その後、彼はYMCA活動の仲間たちと建築設計事務所を設立した。全国各地に今も残るその作品によって、彼の名は知られている。近江八幡市では10月4日から11月3日まで「ヴォーリズ・メモリアル in 近江八幡」と題して講演会や建築物の特別観覧などの催しが行われたが、結局一度も行けなかった。正確には、天気がすぐれないせいで行かない日が続いて(特別公開の建築物も、雨ではねぇ)、終わってしまった。
 今日現在もネット上で見ることができる公式HPのタイトルロゴでも、「50」の「0」が、筆でシュッと丸を書いて中心に点を打ったサインになっている。
 この記号を見ていたら、最近レンタルDVDで観た映画を思い出した。
………………………………………………………………………………………………
 漫画や映画だったらつながるが、文章で許されるのだろうか。
  丸書いてチョンのサイン
  回転する一輪車の車輪のアップ 河原の土手で停止
  彼方の夜空に打ち上がり点から円へと広がる花火
 一輪車と花火で、すでに観た方はわかっただろう。大林宣彦監督の映画『この空の花―長岡花火物語』(2012年)を、遅ればせながら観た。
 新潟県長岡市の市役所内に製作委員会事務局を置き、製作費用を調達、市内各地で撮影がなされた、いわゆる「ご当地映画」である。日本映画の末期症状かのように、いくぶんかの揶揄を込めて用いられることも多い言葉だが、日本特有のものともいえない。同じ年に製作された『ポルトガル、ここに誕生す ギマランイス歴史地区』(日本では2013年に公開)は、旧市街地がユネスコの世界遺産になっているポルトガル北西部にある古都ギマランイスがEUの欧州文化首都に指定された年に記念プロジェクトとして製作された、まさにご当地映画だ。アキ・カウリスマキ、ペドロ・コスタ、ビクトル・エリセ、マノエル・ド・オリヴェイラと、現代ヨーロッパを代表する4人の監督の作品が並ぶオムニバス映画なので、日本でも話題になった。
 パンフレットによると、「この街はどんな物語を語るべきなのだろう?」という問いかけが発端だったというが、これも『この空の花』と共通している。
 20世紀に繁栄を極めた紡績工場の元労働者へのインタビューと当時のモノクロ写真だけで編集されたエリセの「割れたガラス」と、独裁政権打倒のための革命に加わった兵士(を顕彰するために造られたブロンズ像……だが、口をきく)がポルトガルの植民地からの移民労働者を相手にエレベーターの中で会話するペドロ・コスタの「スウィート・エクソシスト」が、ストイックな表現の両極として印象に残る。
 この両者(ドキュメンタリー的手法と現代演劇的手法)をかなり乱暴に混ぜたところへ、NHKスペシャル的要素(解説用CGとテロップ)も加えた『この空の花』は、慣れるまで観るのがしんどい。とくに前半は、物語の進行役とはいえ主役の女性記者2人のセンチメンタル・ジャーニーにつきあわされる。予告編やDVDのパッケージに登場する一輪車に乗るセーラー服少女が見たかっただけの私は、前半1時間ほどでいったん停止ボタンを押し、翌日になってもやはり一輪車少女は見たかったので、続きから最後までを見通した。
 困ったことに、この作品のDVDは、最初の新作予告編(大林監督の『野のなななのか』)を早送りすることができず、本編にはチャプターメニューがない。アマゾンのDVDレビューでこの点に不満を表明している購入者は2回、3回と見る時に困るということらしいが、2時間40分を通して見るのがきつい私のような人のためにも、新作予告編飛ばしとチャプターメニューは必要だったと思う。
 けなしているようだが、一日おいてでも、最後まで見てよかった。やがて「長岡という街の物語」が明らかになったところで、私はその力技に感心したから。
 花火と爆弾を表裏のシンボルに掲げて、時代は戊辰戦争から太平洋戦争を経て東日本大震災まで、地理上は開戦の地パールハーバー、爆心地長崎、抑留地シベリアまでという広がりの中で、日本の近現代史が日本海側の小都市・長岡を中心とした物語としてまとめられてしまっている。私の頭には「まるで伝奇SF」という言葉さえ浮かんだ(ただし、打ち上げ花火師一族が歴史の影で暗躍……なんていう話ではない)。特典映像として収録されている森民夫長岡市長と大林監督の対談で、市長が「長岡の花火は世界一です」と豪語しても許される大風呂敷になっている。
 その部分の功績は、原作・脚本に名前があがっている長谷川孝治(青森県で弘前劇場を主宰)にあるのか、たぶんあるのだろうが、演劇にうとい私はネット上の情報以外のことが書けない。
 さて、長岡市を見舞った悲劇のひとつに、1945年7月20日の模擬原爆の投下がある。原爆投下候補地だった新潟市への投下のための訓練で落とされたものだ。同じく候補地だった京都市への投下訓練で、大津市にも「パンプキン」と通称される同タイプの模擬原爆が7月24日に落とされた。投下目標となったのは東洋レーヨン石山工場で、16名が死亡、104名が重軽傷を負った。
 大津市にも長岡市に負けない大風呂敷を広げるだけの歴史がおそらくある、あるだろうか、きっとある……というわけで、今回のブログタイトルが結語。
………………………………………………………………………………………………
 以上、滋賀につなげて終了。以下、気づいたことの覚え書き。
 脚本は長谷川・大林の連名になっていて、先の特典映像の対談で大林監督は、取材時に畑から焼夷弾の残骸を発見した人に出会ったのでそのまま登場させたと発言している。二人どちらの意向なのか、現実の証言なり、実在のモデルをもとに映像化(再現)した際に生じるおさまりの悪さが奇妙な味としてつけ加えられていて、カット数の異常に多い展開の中でも記憶に残る。空襲で家族を失った人の体験談が再現されているシーンで正面から映る遺灰を入れた平たいそうめんの木箱が悲しみを誘い、花火師が三尺玉づくりを回想するシーンでは、「あーでもねぇ、こーでもねぇ言いながら……」というナレーションがかぶる再現劇中の人物まで「あーでもねぇ、こーでもねぇ」という語りならではの慣用句を口にしながら手を動かすので笑わされる。
よくわからないのもある。現実に存在する山本五十六記念館の中で展示品などを解説する人物(演じているのはプロの俳優)が主人公たちに差し出した名刺が大写しになる。
  「山本五十六記念館/戦史研究室 室長/羽生善治郎」
 登場人物はモデルがいる場合も仮名なのだが、この嘘っぽさ丸出しの役名を見た瞬間にどう反応すればよいのか。
 そんなことを考えていたら、別の映画を思い出した。
 また、丸いものが画面中央に現れる。
  シュルシュルシュルシュル……回転する金属製の円盤が徐々に速度を落として停止。
  中央の青い円に白い☆印、外周が赤、白、赤と3重の円で、メタリックな輝きを放つその物体は、アメコミのヒーロー、キャプテン・アメリカが持っている盾だ。これもDVDレンタルで観たのだが、ルッソ兄弟監督『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』(2014年)は、「ブロマンス版雪の女王」(アナじゃない本来の。頭は「ラ」が抜けてるわけではない)と言いたい主人公&敵キャラの関係とよく練られたアクションシーンをとても楽しめた。
 この物語内のスミソニアン博物館(のうちの国立航空宇宙博物館)では、「キャプテン・アメリカ 生ける伝説&勇気のシンボル」展という企画展が開催されている。病弱で徴兵検査に落ちたスティーブ・ロジャースが政府の極秘計画の候補者に選ばれ、超人兵士としてナチスの極秘科学部門「ヒドラ」と戦った記録の展示を、キャプテン・アメリカであるところのロジャース本人が一般人の姿で見学するのは、彼が1945年ヒドラの爆弾とともに北極海に沈んで氷漬けとなり、70年の時を経て生き返った浦島太郎状態にあるから。続くシーンで、かつて想いを寄せた女性ペギーのもとを訪ねるも、彼女は老いた姿でベッドに寝たきりだ。
 博物館の展示はとても本物っぽい。国立航空宇宙博物館といえば、広島に原子爆弾を投下したB29「エノラ・ゲイ」をはじめ、各種兵器を展示した戦争博物館でもある。ペギーの老いた顔にいたっては、1940年代のキャプテン・アメリカ誕生を描いた前作に出演していたペギー役の女優が老けメイクなしで演じた顔の映像に75ヶ所ものトラッキングマーカーをつけ、似た風貌の60代女性の顔を撮影した映像をマッピング、そこへさらに高齢に見える処理を施したという。
 かたや、『この空の花』はといえば。山本五十六記念館には、どこまでが事実かわからない胡散臭さがつきまとう。長岡空襲で娘を亡くした女性を、当時のシーンでは寺島咲、現代のシーンでは富司純子が演じる。モデルとなった女性も一瞬映る。90歳ぐらいだから体が縮んだ老女だ。富司は撮影時60代後半とはいえ老けメイクなしだから、観る者は両者を結びつけるのに難儀する。花火師を演じた柄本明の場合もしかり。
 さて、映画では後者のようなスタイルもありなので、日米比較文化論を一席ぶとうというのではない。気づかされるのは、二つの作品がよく似ているということだ。『キャプテン…』のエンドロールでは、国際平和維持組織S.H.I.E.L.D(シールド)と悪の組織ヒドラの円形のマークがコインの裏表のごときものとして影絵で示される。まるで、花火と爆弾の対比のように。そして何より、両作の見せ場は、世界大戦から70年の時を経てよみがえった死者が、丸い回転体とともに画面を縦横に動き回るところにある。

コメントはまだありません

コメントはまだありません。

この投稿へのコメントの RSS フィード。

最近の記事

カテゴリー

ページの上部へ