新撰 淡海木間攫

其の十二 田んぼの中の林

田圃の中の林

 初めてこの林を見たときには、妙な違和感がありました。林というものは山の斜面にあると頭の中で思い込んでいたからです。もう20年近くも前のことです。見上げるような大きなケヤキとエノキ、ムクノキが頭をだしていて、その下には常緑樹が入っています。そしてその林は周りを田んぼに囲まれていたのです。

 当時、平野部の開発が始まる前には、そこにはどういう森があり、景観であったのかを考えていました。昔の森の跡が残っていそうな場所を考えて、地図帳で調べて、初めて八日市の駅に降りました。駅から愛知川の方に歩きだしてしばらくすると、そういう林のかたまりが幾つも田んぼの中に見えてきました。そして向こうには愛知川の堤防にそって林が続いていました。

 そういう景色を見ていると、私の頭の中では田んぼや人家は消えてしまって、その堤防の両側にある林と、ポツリポツリと田んぼの中にある小さな単位の林とがつながって、全体が一つの森であった時代があったのではないかと思えたのです。昔は川はしっかりとした堤防があったわけではなく、自由に流れ、その両側には小高い自然堤防ができ、その上にはケヤキやエノキなどの林ができます。そしてやがて林の中には常緑樹が入ってきます。時には川が氾濫して、林の様子が変わってしまうこともあったでしょう。けれど長期的に見れば川の周囲は同じような林に取り囲まれていたと思います。

 やがて人がしっかりした堤防を作り、川の両側の林は堤防の強化のために残し、また薪を取るために残して、周囲は田んぼにするために開発していったと思われます。そしてポツリと残されたもとの林の断片が今も田んぼの中に残っているのではないかと思うのです。

 最近、建部の森として行政と住民とで愛知川の川辺林をどう保全していくかが議論されています。おそらくその続きであったと思える断片のような林にも注目したいものです。

琵琶湖博物館 総括学芸員 布谷 知夫

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