2006年 11月 12日

ロシア皇太子の甥がギリシャ王子

 久世番子さんの『暴れん坊本屋さん』(新書館)が3巻目で完結。本屋さんだけじゃなく、小社みたいな小出版社も身につまされます。帯(オビ)をテーマにした回で、前回書いた私の近所の漫画家さんの漫画が△△だけ□□な本ということでネタにされてます。私としても、出来についてはノーコメント。
近刊の中の滋賀県としては、金井美恵子さんの連作短編集『快適生活研究』(朝日新聞社)の中に「近江八幡」が出てくる。前にキシダ式でも書いた映画「呉清源」取材の副産物ですね。挟み込んである新刊案内をしおり代わりに読み進めていたので、該当ページに来て初めて気づいたのだが、ちょうどスピン(ひも状のしおり)がくるんとしずく形に収まってるページ。その後、2書店で開いてみても同じページだったのでたぶん全冊共通。すぐ探せると思います。
鈴木理生さんの『お世継ぎのつくりかた』(筑摩書房)。ちょうど小社刊『12歳から学ぶ滋賀県の歴史』の編集協力をしている最中に出た『大江戸の正体』(三省堂)は、プロローグのタイトルが「絹に支配された国」。直接『12歳から〜』のどの箇所にどうというのではないが、けっこう影響を受けた記憶がある。その鈴木さんの『江戸の橋』に続く3冊目。ポイントは、序の中の小見出しで示すなら「二つの世界」。ついこの間まで男系の「士」と女系の「農工商」の二つの世界があったというわけである(ただし、両者とも問題にしたのはかなり上位の階層のみ)。1968年、「明治百年」にかこつけて出版を前提に開催された老舗・大店の当主を集めた座談会でのエピソードはほんとにおかしい。商家の例として前にキシダ式で紹介した川田順造さんの『母の声、川の匂い』も引用されている。
う-んと、「男系」、「女系」は、それぞれ「血統主義」と「能力主義」と言いかえたほうがいいか。最近、天皇家のお世継ぎの話題もあったのでややこしいが、あれの場合は天皇を女性にしようが当然、血統主義=武士的です。商家の形式は、店の勤め人から優秀な者を選抜して天皇にしちゃうというやり方なのだから。
「あとがき」で、そうした徳川家の支配と同様の状況として、よく知られたハプスブルク家の血縁的支配下にあったヨーロッパ諸国とくり返された政略結婚についても言及されている。

で、思い出したのが『12歳から〜』にある「大津事件」のページ。「1891(明治24)年、ロシア皇太子ニコライ・アレクサンドロヴィッチ(のちのニコライ2世)が甥のギリシャ王子ジョージとともに来日」というのは、どの日本史本にでも書いてあるのだが、それ以上の詳細がわからなかったということ。ロシア皇太子の何という名前の姉か妹かギリシャの王族に嫁いだのだろうが、県立図書館でロシア史やギリシャ史をめくってみてもわからなかったのである。インターネットで検索してみてもダメだった。あまりに普通のことすぎるから? けど、今の中学生にはわからないだろう。イラストのところで系図を書いて、ここからこうつながって叔父と甥の関係なのだと示したかったのだが、わからずじまいで西郷隆盛伝説の話を持ってきたのだった。
●加筆です。
12月2日放送の大河ドラマ「功名が辻」で、千代の進言を受けた一豊が弟の子・忠義に徳川家康からよい嫁を世話してもらおうとしていた。それを聞いた家康が千代の賢さをほめる場面まであり、実際、一豊の後継者である山内忠義に家康の十三女・阿姫(くまひめ)が嫁いでいるが、山内家側からというのはドラマ上の創作だろう。
阿姫の実父は、家康の異父弟の松平定勝で、姪をいったん養女にして嫁がせた形。十三女というのがすごい。家康は、阿姫のような養女も含めて十五女までをあっちこっちに縁組みさせたわけで、山内家が特別なわけではまったくない。
その結果、『お世継ぎの作り方』に載っている見開き2ページにわたる系図が示すとおり、家康の代にして早くも、有力大名みな徳川一族という感じになることに成功している。ドラマ中、家康の片腕として登場場面も多かった井伊直政も、娘が家康の四男・忠吉と縁組みし、二代将軍徳川秀忠のときには、秀忠の五女・和子が後水尾天皇に嫁ぐ。
織田信長にしても、政略結婚というと妹のお市の方ばかりが有名だが、十二男、十二女がいて要所要所で嫁いだそう(まぁ、人質を兼ねてだが)。

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