2015年 10月 12日

ミシン、移民、伊勢商人(その1)――奥寺佐渡子脚本『バンクーバーの朝日』ほか

 今回はお尻の「ん」並びである。前々回の頭の「ア」並びの次にアップするつもりだったのだが、前回の「刺客…、シカ喰う…、人を喰った…」の方が先にできてしまったので、後回しにしていたネタ。頭の中では数珠つなぎになっているのだが、これがいつにも増して長い。文章に起こしていくのが面倒くさい。
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 昨年12月に出た塚本靑史著『わが父塚本邦雄』(理想社)を、今年3月頃に図書館で借りて読んだ。滋賀県神崎郡南五個荘村川並(現、東近江市五個荘川並町)生まれの歌人・塚本邦雄の一生を、タイトルどおり息子が綴った本。
 文字資料は用いず、著者が見聞きしたことにほぼ限定して記されているので、とても読みやすい。近江商人を数多輩出した地として知られる五個荘に対する邦雄の態度は、よく知られているとおりだ。この本でも、「(その地において)人の価値を計るのは、金銭の多寡だけだったと、塚本邦雄は吐いて捨てるように言っていた」とある。
 大阪の繊維商社、又一に勤めていた邦雄は、短歌結社「青樫」の歌会で竹島慶子と出会い、2年後に結婚する。奈良の二上山の麓で生まれ育った慶子と、五個荘生まれの邦雄、古代にさかのぼる双方の生地の因縁話もおもしろい。昭和26年、第一歌集『水葬物語』が出版されると、三島由紀夫らから絶賛を受ける。昭和29年、商業誌からの仕事の依頼も来るようになった矢先、会社の集団検診で肺結核だと診断される。
「邦雄が慶子に総てを打ち明けて相談すると、期を一にするように彼女はドレメ式の洋裁学校に通い出す」。その後、師範免許状まで取得し、邦雄を治療した医師の夫人の洋服を作ったりしたという文章の後に、「ドレスメーカー女学院時代の慶子(左端, 1956年)」とキャプションがそえられたワンピース姿の写真も掲載されている。それより前の第1章で、実際に会う以前に結社誌『青樫』を手にした邦雄が、後の妻となる女性の名と作品を目にしていたことを語る部分にも使われている若き日の慶子の写真も、「大倉ドレスメーカー女学院での竹島慶子(右端)」とあり、こちらはブラウスにスカート。慶子は、ファッション雑誌のモデルだったとしてもおかしくない容姿である。幸い邦雄の結核は2年の療養を経て完治した。
 戦後の日本人女性の多くにとって「ミシン裁縫は生き延びるための技能」であったとするアンドルー・ゴードン著『ミシンと日本の近代』(みすず書房)を思い出す。同書は、明治期以降の日本での家庭用ミシンの販売・利用とともに進む女性の洋装普及の歴史を丹念にたどったものだが、第7章のタイトルは「ドレスメーカーの国」。戦後、日本女性の服装が農村部まで含めて、ブラウス、スカート、ワンピースなどの洋服に変わっていくなかで、洋裁学校の大ブームが起こる。杉野芳子が創立したドレスメーカー女学院(略称ドレメ)は、卒業生によるフランチャイズ校が全国に700校も開設された。
 2013年7月発行の本書の帯にある推薦コメントは、ファッションデザイナーのコシノヒロコによるものである。曰く「ドラマ『カーネーション』で描かれた母と、同世代を生きた女性たち。彼女たちの息づかいまでが聞こえてくるようだ」。
 そう、コシノの母・小篠綾子をモデルにしたNHKの連続テレビ小説(2011年度下半期)は、洋裁店を営む主人公・小原糸子(尾野真千子)が、夫の戦死後も洋裁業で3人の娘たちを育てあげる物語。ドラマ内のミシンにはSINGERをもじったSTINGERというメーカー名が記されていた……とうのは、ネットで検索した豆知識。
 ただし、戦争未亡人とミシンのつながりは、太平洋戦争に始まることではない。ミシンメーカー・シンガーが日本への本格的な販売活動を開始してまもなく、1906年に創立されたシンガーミシン裁縫女学院の初代院長・秦利舞子が、日露戦争によって夫を失った妻たちに自身の学院で教育を受けるよう勧めていたそうだから、その歴史は半世紀ほどはある。
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 夫が、結核でも戦争でも死ななかったとしても安心してはいられない。
 生来病弱な質で、若い頃、結核にかかっていたおかげで兵役免除になったことのある夫は、下駄履きの普段着のまま自転車で「ちょっと出かけて来る」と言ったまま、家に妻と幼い息子を残して失踪する。東京から地方の実家へ移り住んだ妻は、シンガー社製のミシンを操る独り身の姉とともに、自宅に設けた「洋裁室」で近所から注文のあったウエディングドレスやバレエの舞台衣装を縫って生計を立てている。その後(たぶん昭和50年代)、小説家になった「私」の元に、父と暮らしていた女から彼の死を知らせる手紙が届く。金井美恵子の小説『ピース・オブ・ケーキとトゥワイス・トールド・テールズ』(新潮社)が出たのが、2012年1月で、それをネタに3月に当ブログで「反魂の法」を書いた。
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 いやいや、夫が別の女にうつつをぬかさず懸命に働いていたとしても安心できない。
 製材所での仕事を終え、カフェで仕事仲間たちと語らった後、主人公のレジーは徒歩で家路につく。帰ってきた家の玄関先には、洋裁業を営んでいることを示す看板がかかっている。どこまでがキッチンでどこからが居間なのか区別もない狭い家の中では、母親がミシンを踏み、妹のエミーが針仕事でそれを手伝っている。父親は生きていて人一倍働き者だが、稼いだ金のほとんどを家には入れず、遠く海をへだてた日本の親戚に送金してしまうから、母と娘は夕食後も手を休めず家計を支えている。
 舞台はカナダ西岸。昨年の12月から公開された映画『バンクーバーの朝日』(石井裕也監督)の話だ。父親(佐藤浩市)と母親(石田えり)は日本からやってきた移民、レジー(妻夫木聡)とエミー(高畑充希)はカナダで生まれ育った2世である。
 私が観た彦根市内の映画館「彦根ビバシティシネマ」の入口に設置されていた特別パネルと配布チラシには「初代“バンクーバー朝日軍”の監督と主要メンバーは彦根出身者」「彦根出身移民の方がモデルです」と書かれていた。このことは新聞の県内版紙面などでも報じられたから、映画館でも親類縁者に移民者がいたのだろう感じの60歳代夫婦であったり70歳台老人が目についた。
(滋賀県からカナダ・バンクーバーへの移民については、当ブログの5年前の記事「さよならバンクーバー、こんにちはバンクーバー」を参照)
 ところが、実際の映画の登場人物たちに彦根出身者らしき痕跡はまったくない。レジーの父が話しているのは広島弁だ。脇役に名古屋弁を話す男がいる。
 現実の「朝日」は1914年から1941年まで存在したチームだが、映画化にあたって、そのエピソードを1938年の1年間1シーズンの物語に圧縮し、登場人物に特定のモデルはいないとのこと。
 現在の彦根市開出今町出身で、チーム創設時の中心メンバー(初代監督を含む)については、映画パンフレットに収録されている河原典史教授(立命館大学)の5ページにわたる日本人移民史、後藤紀夫著『伝説の野球ティーム バンクーバー朝日物語』(岩波書店)などを読むしかない。
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 要するに、映画自体は「滋賀」にからめて書くことがない。関係はないが、思いついたことはあるので以下、脱線。
 観る前は、その前に観た妻夫木聡主演映画が『黄金を抱いて翔べ』(井筒和幸監督、2012年)だったものだから、そこでの妻夫木×チャンミンが、妻夫木×亀梨和也になったブロマンスを想像してもいたのだが、どちらかが瀕死の重症を負ってもう片方の腕に抱かれるようなシーンはなかった。これは違う。
 物語がかなり進んでようやく、主人公レジーは奥寺佐渡子脚本作品の「たよりない男子」キャラなのだとわかる。映画『学校の階段』(平山秀幸監督、1995年)の小向先生(野村宏伸)の系譜だといえば、1990年代半ばに小学生だった人ならわかるだろう。公開時、私はすでに社会人だったので、夏休みの子供向け作品である同作を映画館ではなく、数年してからのテレビ放送で観た。舞台となる小学校に勤める小向先生は、気が弱く、恋愛も奥手(近々お見合いの予定あり)、オバケが現れれば、生徒を追い越して一番に逃げていく。「先生」だけど「男子」と称した方がしっくりする。
 そんなことを思い出し、ちょうど小学4年生の娘が「怖い話」にはまっている時期(図書館で借りる本は、漫画風挿絵が入ったその手のシリーズ本ばかり。夜の歯磨きに一人で洗面所へ行けない)なので、8月上旬の土日は、平山&奥寺コンビの3作(1と2と4。3は監督・脚本が異なるので除外)を続けてレンタルして二人で鑑賞。20年近く前の作品なので少し不安もあったが、娘は恐怖にも笑いにも的確に反応。4に至っては、「感動作やん」と感想を述べるものだから、笑ったら怒られた。笑った私が悪い。娘は、通販サイトで購入してあげた中古の映画パンフレットも熟読。
 このタイミングで思い出して、本当によかった。
 さて、「たよりない男子」は、その後、細田守監督との共同脚本によるアニメ映画『サマーウォーズ』(2009年)の主人公・小磯健二くんとして登場し、ネット空間に投入されたプログラムの暴走による危機から世界を救う。
 決して大向先生と大磯くんとは名づけられない、小向先生と小磯くんが活躍する『学校の怪談』と『サマーウォーズ』はともに、「たよりない男子がカギと格闘する話」だ。(もちろん『サマーウォーズ』が、細田守監督の過去作『デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!』のセルフ・リメイクだということは承知のうえで書いている。そんな誰の目にも明らかなことより、『学校の怪談』とつなげた方がおもしろいではないか。)
 『バンクーバーの朝日』の主人公・レジーも、熱血野球少年ではなく、内向的な性格の「たよりない男子」である。チームのキャプテンを含む3番・4番の二人が勤め先の閉鎖で移住することになる。レジーは後任のキャプテンに選ばれるが、持ち前のリーダーシップを買われてというわけではなく、理由は年齢だ(一番年上のトムは妻子持ちなので除外)。それも、強く主張することが苦手な性格を見透かされて、厄介な役どころを押しつけられたようにも見える。円陣を組んで発する掛け声も、照れてしまってうまくいかない。
 そんなレジーだが、ある試合の打席でビーンボールまがいの球を防ごうと出したバットにたまたま当たったボールが前にころがったことをヒントに、バントと盗塁で得点に結びつける戦法を編み出す。やがて、万年最下位チームが勝利を手にし、その戦法はカナダ人をも魅了していく。
 「情けない主人公がほんの少ししかない武器をどう活かし、どう戦って乗り越えるか」を見せようとしたという奥寺佐渡子の『サマーウォーズ 公式ガイドブック』(角川書店)収録インタビューでの発言は、『バンクーバーの朝日』にもそのまま当てはまる。主人公の姓が「笠原」である点が残念。
 快進撃を続ける「朝日」だったが、ピッチャーのロイ(亀梨和也)が試合中に乱闘騒ぎを起こし、出場停止に。しかし、カナダ人も含めた観客からリーグ事務局への抗議が殺到し、すぐに停止措置は解かれる。
 連絡を受けた「朝日」の選手たちがいつものカフェに集まった。普通なら、さぁ、決意を新たにがんばろうという場で、キャプテンのレジーの「たよりない男子」キャラが発揮される。「俺、そういうの苦手だから……」と言って、スピーチを妹のエミーに代わり退場。
 エミーは、カナダ人の友人から教えてもらった「Take Me Out to Ball Game(私を野球に連れてって)」を歌う。
 背を向けてテーブルを見つめたまま聴いていたロイは……。
 カフェに集まる前のシーンでレジーに示した態度を一変させるわけだが、エミーが歌っている途中から、その行動は予感されるものなので、観ていて気持ちよい。無駄に言葉を費やさないシナリオのうまさが光る。
 ただし、エミー役の高畑はうじうじと感情を込めすぎ(歌詞がよく聴き取れないほどなんだもの)。もっと明朗に歌い上げてほしかったし、ロイ役の亀梨もオーバーアクション気味にした方がテンポのよさが生まれたと思う。作品全体を通してシリアスさを求めすぎ、大事なところでクライマックス感が生れていないのは、石井監督の責任だろう。
 レジー役の妻夫木聡は、「たよりない男子」が屈強な相手に勝利するお話の構図をよく理解して演じていたが、悲しいかな、性格づけがなされているシーンに引きのカットが多すぎた。ネット上のレビューを見るかぎり、観客には単に「暗い主人公」と受け取られている。
 無駄に言葉を費やさないシナリオは、「国民性」といった言葉を持ち出さないことにも注意を払っている。日本人移民選手とカナダ人選手の違いはあくまで体格上のものだ。
 同じカナダの日本人野球チームをモデルとしながら、テッド・Y・フルモトの小説『バンクーバー朝日 日系人野球チームの奇跡』(文芸社文庫)になるとどうか。
 監督のハリー(小説内の架空の人物。以下同)が言う。
「白人みたいな戦い方をしてちゃあダメだってことです。僕たちはあくまで日本人らしく戦わないといけない。日本人でなければできないようなプレーをしない限り、白人たちに勝つことはできない」。
 日本人街の顔役で、朝日を金銭的に援助している鏑木と、新聞記者の会話。
「どうして日本人はビーンボールを投げられても怒ったりしないのですか?」
「それが武士道の精神だからだ」
 こんな調子だ。
(つづく)

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