2011年 7月 17日

ままならない子供時代―『冬冬の夏休み』と『もうすぐ夏至だ』

 弊社発行の情報誌Duet103号特集座談会「日・韓・台の鎮守の杜」(ホームページにもアップされてます)の中に出てくる台湾映画『冬冬(トントン)の夏休み』(1984年製作、日本公開は1990年)について、少しつけ加えておきたい。
 私が「ホウシャオシェン(侯孝賢)」と監督名をいえば、李春子さんは、「ヒジョージョーシー(非情城市。代表作のタイトル)」とすぐさま返し、日本公開時のパンフレットに掲載されている巨木の下の祠の前で少年たちがカメを競争させているスチール写真を絶対載せましょうと言い合ったのだが、配給元兼パンフレット発行元のフランス映画社(フランスだけじゃない海外作品を幅広く配給)に問い合わせたところ、上映権はすでに切れており、写真も掲載許可を出すことはできないという返事で、掲載を取りやめた次第。
 タイトルからイメージされるような子供向け映画ではない。
 夏、首都・台北の小学校を卒業(台湾の学校は9月始まり)した少年・冬冬(トントン)と妹の婷婷(ティンティン、幼稚園児ぐらい)は、母が台北の大学病院に入院したので、銅鑼(トンロー)で医者をしている母方の祖父の家で夏休みをすごすことになる。
 巨木の下の祠の前でカメを競争させているのは、地元の少年たちが、都会っ子・冬冬の持っているリモコンカーと1位のカメを交換したいからだ。
 この巨木と祠はもう一度登場する。冬冬が巨木の枝に登っていると、精神に異常を来たしている女性・寒子(ハンズ)がやってきて、祠前の祭壇に草や空き缶を並べてお祈りの真似事をする。間もなく寒子は、父親のいないうちに家へ出入りしていたスズメ捕りをなりわいにしている男の子をはらみ、祖父の医院ではその処置が話し合われる。
 前後して、冬冬の叔父(=祖父の息子)の幼なじみ2人が路上強盗を働き、石で頭を割られた被害者が祖父のもとに担ぎこまれる。
 ようすをうかがう冬冬と婷婷に、祖母は「子供の見るものじゃない。あっちへおいき」とにべもない。
 台北で手術をした母親が麻酔が効きすぎて目をさまさないという連絡が入ると、祖父と祖母は、孫2人は家に置いたまま、娘のもとへ駆けつけるために駅へ向かう。
 もちろん、ストーリー上、きょうだいは「子供の見るものじゃない」ことにうまくからませてあり(時にユーモラスに)、妹・婷婷のある行動によって、祖父母は駅のプラットフォームから家へと引き戻される。
 横に並べてみたくなったのが、滋賀県高島市出身の歌人・永田和宏さんのエッセイ集『もうすぐ夏至だ』(白水社)。
 昨年8月に亡くなった妻で同じく歌人の河野裕子さんのことを詠み込んだ歌の一節がタイトルになっているわけで、オビにも「亡妻河野裕子とともに築いた創造の日々を、見事な筆致でつづる」とあるのだが、私がここで取り上げたいのは、著者が高島郡饗庭村ですごした幼少期を書いたいくつかの文章。
 母が結核を患っていたため、感染を恐れて近くの山寺にあずけられる。父は妻の療養費を稼ぐために京都で住み込みで働いている。3歳の頃、母は亡くなるが、父はそのまま勤めを続け、子供に会いに来るのは月に一度か二度。父と少しでも長くいっしょにいたい子は、4キロほどの道のりを歩いて、江若鉄道の饗庭駅まで送っていき、そこでも父の手を離そうとしない。どうしようもなく、1時間に1本ほどの電車を見送ったり、再び家に引き返すこともあった。
「いまはもうなくなってしまった饗庭の小さな木造駅舎は、私には父との幼い駆け引き、闘争の場なのであった」(「三歳の知恵」より)
 著者の息子(歌人の永田淳さん)の出版社「釣りの友社」就職から同社の倒産までの顛末がつづられる「たった一度だけ」も、出版関係者には泣ける。人生、大人になってもままならない。

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