2016年 6月 30日

鳥居本のさんあか

京都の人にとっては鳥居本と聞くと嵯峨鳥居本を連想されるかと思うが、今回は旧中山道の鳥居本宿の話題である。

桜の花が散り始めたある日、突然テレビ編集プロダクションの方が来社された。「あのう、『鳥居本のさんあか』ってご存知ですか?」と訊ねられた。東京から来られたとのこと、かなり地域限定の言葉だけに、「どうしてそんなこと知っているの」と不思議になって問い返したところ、中山道に関する企画を考えている中で、鳥居本お宝発見隊のブログに掲載されていた「鳥居本のさんあか」が引っ掛かったとのことだった。

取材もかねて鳥居本に来たのだが、詳細がつかめなく、出会う人もなく困惑していたところに出版社があったので、ヒントをつかもうと飛び込んで来られたのだ。幸いにも私がその発信元である「鳥居本お宝発見隊」に所属していたのが彼女にとっては幸運であり、企画の全容をつかむことができた。そして、ついでながら私が案内役として番組に出演することになった。打ち合わせが進み、収録当日、落語家の林家三平さんと女優の村井美樹さんが鳥居本宿にやってきた。

目指すは「さんあか」の正体。まずは「近江名所図会」にも登場する赤玉神教丸を製造する有川家を訪問。有川智子さんが登場し、「赤玉神教丸は元治元年(1658)に多賀大社の神様の教えで調製したと伝わる整腸薬で、今も大変な人気があるのですよ」と、重要文化財の指定を受け、明治天皇が北国巡幸の際に休憩された玉座が残る建物の中で紹介されると当然、筆頭のあかの謎が解決する。

そして、合羽屋だった我が家に来られた。なぜ合羽が赤いのかということの説明をする。その昔、大阪で修業を積んだ馬場弥五郎という人が、防水、防湿に効果のある柿渋を塗布した合羽製造をこの地域で推奨したことから鳥居本で赤い合羽の製造が広まり、雨の多い木曽路に向かう旅人が鳥居本宿で買い求めたと話した。さらに、関東や東北に向かった近江商人が旅の途中に買い求めたのであろうか、北関東や東北の商家で鳥居本産の合羽を見たことがある。と続けた。残念ながら、ビニールなどの化学資材の登場で戦後まもなく鳥居合羽は役目を終えたが、街道沿いに残る看板が往時の面影を残している。

三平さんと村井さんは、保存してある合羽を身にまとい、すっかり旅人気分になったところで、ふたつの赤は見つかった。いよいよ3つ目の赤は何だということになった。
残念ながらこれも今となってはほとんど痕跡がない。この地域は中世以来の古道がとおり、街道と山に挟まれ農地が少ない中山間地である。こうした条件の中で栽培に適したものを模索している中で浮上したのが、スイカであったという。旧鳥居本村の資料にこの経緯は残り、さらにスイカ栽培の副産物として「スイカ糖」が作られ販売していた印刷物が存在する。まさに幻だが、さんあかの一つに加えたのであった。

地域のお宝を探していた「鳥居本お宝発見隊」が見つけ出した地域ブランドは、予想以上に人気が集まり、地元中学生が「さんあかレンジャー」というキャラクターを作成し、今ではすっかり、まちの元気発信のシンボルとなっている。ブログの情報が、マスメディアに登場し、大きな効果ではないかもしれないが、まちの皆が輝くことはうれしい。小さな情報発信の波紋の広がりを身にしみて感じたできごとであった。(2016年6月29日京都新聞夕刊「現代のことば」より)

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