2013年 3月 11日

手話普及に尽力した川渕依子さん

 昨年11月に逝去された川渕依子さんを偲ぶ会が3月9日、大津市内で開催され、全国各地から200名が集まりました。依子さんの生涯は、義父高橋潔さんが、手話教育への思いをどこまでも推進した足跡を、より多くの人に知ってほしいとの一途な思いが結実したものであったと思います。
 当日は、川渕さんの指導を受けて手話通訳者と活躍する手話サークルカイツブリのみなさんの、呼びかけで実現し、川渕さんとの出会いや思い出話が行きかう合間に、手話ソングや手話ダンスが披露され、明るい雰囲気のなか4時間余という大変長い時間が流れました。
 川渕さんとのお付き合いは古く、現在も制作をご協力している「滋賀作家」の創刊間もない昭和40年ころからで、徳島に移住された3年前まで、長きにわたって、滋賀作家を始め、手話講座テキスト、御自身のエッセー集、そして残念ながら品切れとなっている手話讃美やお父様高橋潔さんを中心に手話教育を守り抜いた人々の記録高橋潔と大阪市立聾唖学校に至るまで、公私ともに大変親しくさせていただいていました。今は、どこかにぽっかり大きな穴があいたような気がします。参加者の皆さんが異口同音に、「ドアを開けて入って来られるような感じがする」と話されていましたように、未だ信じられないのが本音です。
 彼女は本格的に手話通訳の仕事を始まられたのは、昭和56年の全国身体障害者スポーツ大会が開催された頃でした。全国大会開催を契機に県内での手話サークルの活動が活発となったその背景には、川渕さんの誰にでも分け隔てなく気さくにそして慈悲深い行動が、より浸透する要因であったのでしょう。お父様の足跡については余すところなく書き続け、功績を発信続けた彼女ですが、御自身については多くを語ることがなかっただけに、その足跡の詳細は知る由もありません。突然のお別れが悲しいと同時に、献身的に手話普及に勤めた川渕依子さんの人生が何らかの形で発表されることを切に願うものです。今はお浄土でお父様から「依子よく頑張った」とほめてもらわれていることでしょう。

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