2012年 3月 18日

岩瀬谷古墳群と中世の矢穴見学


2月にチラッと話を聞いた中世の矢穴に興味を覚え、本日湖南市の現地説明会に参加しました。雨天でも開催、長靴着用ということだったのですが、大砂川の砂防工事に伴う発掘調査だったので、現地は沢登りするという感じ。でも鉄板を敷いたり、土嚢を積んでいたりと至れりつくせりで、傷害保険もついてました。 

 
横穴式古墳の実物は何カ所か見ているけど、中に入ったのはたぶん20年以上ぶり。この古墳からは受付で見た、銀で象嵌した剣の鍔や銅銭が見つかったところだそうです。つまりムラのちょっと偉いさんのお墓でだったところで、中世になって誰かがここで一時キャンプ地としていたのか、石室に煤が付いていたそうです。
  

で、そこから少し先にいったところにあったのがこの矢穴石です。
なんで中世というのがわかるのかしらとずっと気になっていたのですが、矢穴の形で時代が特定でき、矢穴の底が丸くなっているのが特徴らしいです。近世城郭の石垣の矢穴は底が角張っていて、しかもまずは石に線をひいて、まっすぐ矢穴をあけるのだけれど、この矢穴はちょっとイビツなのです。

 

この発掘現場の近くは善水寺、正福寺、少菩提寺など古刹があり、また石造物も多く、寺院の塔を作るために石切りをしていたのではないかということで、見学の帰り道にこれまで写真でしかみたことのなかった、菩提寺の三体地蔵さんを観に行きました。

 
説明会でもお話があったので、参加した方が数人来られていました。
これが、三体地蔵さんの背面の矢穴です。
先に来られていた男性が石造物にお詳しく、いろいろと教えていただいているうちに、もしやと思いきって聞いてみたら、予想通り、以前自費出版のお手伝いをさせていただいた池本たまきさんのご主人・池本良一さんでした。
 
閻魔像の後補の彫り方の決定的な違い、閻魔像の後ろに丸い穴が何カ所かに彫られているのは「ハイジョウケツ」ではないだろうかということ(帰って調べたら「盃状穴」と書くのでした)、多宝塔の基壇と軸の間の石は当初はなかったのではないかなど、一人でフラッと立ち寄っていたら、絶対見ないし、わからないという細かいところまで説明していただきました。

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