2012年 7月 20日

国貞の虜――小沼勝監督『生贄夫人』

 7月8日(日)付「読売新聞」の書評欄に、作家の朝吹真理子が書いている。
 「最近、人に会うとロマンポルノの話ばかりしている。先日、ロマンポルノがまとめて上映されるときいて渋谷まで出かけた。きっかけは、緊縛された女優のカバー写真の美しさに惹かれて本書を手に取ったからで、映画館に足を運ぶときは、その女優が谷ナオミであることも知らなかった。てっきり男性、ことにおじさんが多いのだろうと思えば、性別も年齢もばらばら。既に満席で、私は立ち見でみた。開演ぎりぎりになって入ってきたのは大学生ぐらいの女の子だった。」
 「まとめて上映され」ていたというのは、5月12日から渋谷のユーロスペースで始まっていた日活創立100周年記念特別企画「生きつづけるロマンポルノ」のことで、1972年から85年までに製作された32作品が上映された。
 「本書」とあるのは、書評されている映画監督・小沼勝の著書『わが人生 わが日活ロマンポルノ』(国書刊行会)のことである。「『花と蛇』演出中の著者(左は、谷ナオミ)」とキャプションのついた写真がそえられている。
 普通は、紹介された本のカバー、いわゆる書影がそえられるのに、本文中の写真に差し替えられているのはなぜかといえば、本書のカバーが両胸もあらわな姿で縛られた両手を高くかかげている谷ナオミの写真だから新聞紙面には使えなかったのだ。
 と、すぐに私がわかったかのはなぜかといえば、その本が手元にあったからである。
 作品数は減らした形だが、6月23日から名古屋の名鉄ピカデリーで「生きつづけるロマンポルノ」の上映が始まり、私は7月1日(日)(行ける日はこの日しかなかったので)に神代辰巳監督『赫い髪の女』と武田一成監督『おんなの細道 濡れた海峡』を観てきた。本書は映画館の売店で売っていた(もちろん一般書店でも入手可)。
 先の書評中で劇場の盛況ぶりが書かれている小沼勝監督作品『生贄夫人』(『花と蛇』は、上映ラインナップに含まれていない)も行きたかったのだが、平日の6月29日(金)夜の上映だったので、私はネットでDVD(今度の公開にあわせて発売されたニュープリントの廉価版)を購入した(交通費を含めると、こちらの方が安いし)。
 というわけで、3本のうちでもとくに楽しめた『生贄夫人』について書きたいのだが、滋賀県関係の話題について書くという「縛り」を設けてきたつもりなので、遠回りながら、この作品の成り立ちに深く関わっている滋賀生まれで、昨年世を去った官能小説家のことにふれておく。
 団鬼六(本名黒岩幸彦)は、昭和6年(1931)に滋賀県彦根市で生まれた。祖母と義理の祖父(宮崎辰雄)は、同市土橋町(現、銀座町)で金城館という映画館を経営していた。
 弊社サイトにある情報誌Duet104号「ノムラ文具店の120年」のインタビュー記事を下へスクロールしてもらうと、「マルビシ百貨店のこと」という見出しの下に「昭和10年頃の彦根繁華街」という地図がある。小さすぎて見づらいと思うが、左の方の縦に走る道に「土橋町」とある。その「土」の字の左にある「いさみや」、「菓子店」、無記名の建物の区画の、細い縦の道をはさんだ向かいに端っこだけ見えている建物、これが「金城館」である(原図とした『新修彦根市史 景観編』掲載の復元マップは一回り範囲が広いので、切れずに描かれている)。
 ここでインタビューしているノムラ文具店3代目と団鬼六は、ほぼ同世代(団が2歳年下)。戦前彦根の思い出が綴られた自伝的小説『湖国の春』には、野村文具店(当時の店名は漢字)の店主(2代目)にかわいがってもらったことも記されている。
 「マルビシ百貨店とこの映画館の中に入り浸って」過ぎていった小学校時代を回想するうち、団は小学校2、3年生頃、「不思議な性衝動が生じたのを自覚」したことに思い至る。時代劇映画において悪漢に拉致された武家女や小町娘の姿に興奮したことは確かで、「私の書くSMエロチズムの源泉は金城館のチャンバラ映画からきたものと思われる」。
 つまり、現在は駐車場になっている金城館跡(観光客向けに大正時代風の町並みに改修された商業施設、四番町スクエアの東端あたり)は、“日本SM胚胎の地”なのだ。
 彦根で芽吹いた彼の資質は、1960年代、神奈川県内の中学で英語教師をしながら執筆した小説『花と蛇』で開花、自らSM雑誌や写真集の発行、ピンク映画(これは日活ロマンポルノとは別物。谷ナオミはもともとこっちで女優として活躍しており、団とも懇意だった)の製作なども手がけるようになる。
 昭和49年(1974)、日活でも団鬼六のSM小説『花と蛇』を映画化することになり、小沼勝が監督に起用される(監督作としては11作目)。この作品の宣伝用写真が『わが人生・・・』のカバー写真に使われているもので、同書には交渉の席での団の芝居がかった(サービス精神旺盛というべきか)応対についても記されている。
 団の承諾を得て、同作の製作はスタートしたが、SMを解さない(と、本の中でも公言している)小沼監督と脚本家の手によって作品はコメディ仕立てのものとなった。観客には大受けで映画はヒットしたが、団鬼六には不評。「試写会の後、食堂で皆でコーヒーを飲んだ時、団さんの手はガチガチ音をたてる位、怒りで震えていた」といい、「その後団鬼六と田中陽造(脚本家)との対立は雑誌の誌上論争にまで」発展する。
 その汚名返上の意味で、ハードなオリジナルSM作として製作されたのが、『生贄夫人』である。団も今作は絶賛し、以後、日活への原作提供を再び承諾。その名を冠した作品が人気シリーズとなっていった。
 ようやく、ここから本題の映画『生贄夫人』について。
 7月28日から大阪のテアトル梅田、8月25日(?)から京都みなみ会館でも、「生きつづけるロマンポルノ」の上映が決まっているそう。ネタばれが嫌な方は、以下ご遠慮ください。
 猥褻事件を起こして姿をくらましていた元高校教師・国貞(坂本長利)が再び妻・秋子(谷ナオミ)の前に現れ、彼女を山の中の廃屋へと連れ去る。墓場の石段での拘束シーンが最初の見どころ。国貞の秋子に対する話し方はつねに丁寧で穏やか、暴力的になることはほぼない。
 廃屋では、×××シーンや×××シーン、×××シーンもあるが、私が笑うと同時に感心したのは以下の場面。
 秋子を監禁したまま、国貞はかつて知ったる彼女の家(国貞は婿養子だった)へと向かう。
 「ごめん」と声をかけ、すたすた廊下を歩いて桐箪笥の置かれた部屋へ。
 取り出した着物を畳の上に広げて物色していると、秋子が使っていた鏡台が目にとまる。
 かけられている布をめくって、鏡に顔を映す国貞(前日、逃げようとする秋子にカミソリで切りつけられたので、額には絆創膏)。
 鏡の中の国貞の顔が右に動いて、口元に笑みが浮かぶ。「やあ」と国貞。
 カットが変わって、国貞を見つけて立ちすくむ年かさの女中の姿。
 女中「旦那さま」
 国貞「しばらくだねぇ」
 女中「はぁ、はい・・・」
 秋子の家でのシーンはここでプツンと終わり、次に映し出された国貞は、風呂敷包みを手に機嫌よく山道を登っている。
 そして、次の次のカットぐらいでは、白無垢の花嫁衣裳を着て角隠しまでかぶった姿で縛られ、廃屋の天井から吊るされている秋子が映る。
 たいへん手際がよい。
 リアルタイムでロマンポルノを観ていた写真家でエッセイストの武田花(1951年生まれ)は、10年ほど前に出た『小沼勝の華麗なる映像世界』(キネマ旬報社)に寄せた文章で、「この監督の映画の良さは、しつこくないところ。(中略)何をやってもケロッとしている」と書いている。
 「難病物が大嫌いだった」「過去のトラウマや持病に苦しむハナシなんて、全く興味もないし、病気で苦しむ演技など見たくもないからである」と書く監督の手にかかると、逃亡中の国貞に誘拐されていた幼女にしても悲惨なだけの存在にならない。変態とそれ以外の違いを利用して、尾行する刑事2人を手玉にとるぐらいのことは軽々とやってしまう。
 「生きつづける・・・」の上映リストにある、もう1本の小沼作品『さすらいの恋人―眩暈(めまい)―』もDVDを買って観た。
 仲間と貯めていた金を持ち逃げ(競馬ですってしまう)して、追われる身となった大学生の男が、偶然知り合ったスーパー店員の女とともに、稼ぎのよい仕事として他人に性行為を見せる「白黒ショー」を生業とするようになる。
 あらすじを書くと、暗くて救いのない話だ。実際そうなのだが、2人が引っ越し先のアパートで新生活を築いていく過程が、中島みゆきの曲にのせて、セリフなしのミュージックビデオ風に編集されており、これが何とも明るい。パジャマ姿で白黒ショー用にアクロバティックな体位の練習をしているらしい2人が映る。苦しい姿勢を強いられた彼女が起き上がって、反撃に出ると彼にプロレス技をかけているみたいになる。
 全体では、主役男女それぞれの葛藤も描かれ、脚本を尊重して悲恋として終わるのだが、私としては、わずか数秒のカットの楽しそうにじゃれあっている2人の姿が忘れがたく、監督の本領のように思える。
 『生贄夫人』でも、谷ナオミがよいのは、着物姿に後ろ手で縄をかけられた秋子が、散歩に連れ出される子犬のような笑みを浮かべて、率先して吊り橋の上を駆けていく一瞬のカットだった。
 あと、エンドロールに続いて、「終」の字とともに映し出されるカットは、例えばタランティーノあたりが観ていればきっとマネしただろうセンスなので、早めに席を立ったりはしないように。

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