2015年 7月 25日

刺客の映画、シカ喰うための本、ヒトを喰ったテレビドラマ

 今年のカンヌ国際映画祭で監督賞に輝いた台湾のホウ・シャオシェン(侯孝賢)監督の最新作『黒衣の刺客』が、9月12日から日本で公開される。
 と書き出してみたが、公式サイトのトップページ(パソコンのディスプレイ上で同時に開いている)にある作品名のそばには、平仮名で小さく「こくいのしきゃく」……困った。「しかく」と読まないことには、今回のブログタイトルが成り立たない。先は長いので、知らなかったことにして進める。
 舞台は唐の時代(9世紀)の中国、主人公は誘拐され暗殺者として育てられた女性、標的はかつての許婚だった暴君、彼女が任務中に陥ったピンチを救う人物として、難破した遣唐使船の日本人青年も登場するそう。
 サイト内の現在の予告編は静止画ばかりだが、「刺客聶隱娘」や「刺客聂隐娘」で検索すれば、台湾や中国の芸能ニュースで公開された動画を見ることができる。
 同作のfacebook7月7日付け記事によると、日本公開版は、ホウ監督の希望でインターナショナルバージョンでは割愛された日本でのロケシーンを復活させるとのこと。ロケ地としてあがっているのは、「京都・奈良・滋賀・兵庫」の4県。インターナショナルバージョンの105分に対して、日本公開版は108分と公開時間が3分長い。単純に均等割りすれば、滋賀での撮影部分は1分以下だけど。日本人青年(妻夫木聡)の回想シーンで、その妻(忽那汐里)が雅楽の舞を披露する。
 撮影監督はリー・ピンビン(李屏賓)。動画を見ると、ロケ地の多くが中国だからか、田壮壮(ティエン・チュアンチュアン)監督と組んだ『春の惑い』(2002年)を思い出させる。そして、主人公に狙われる暴君を演じるのは、やはり田壮壮監督の『呉清源 極みの棋譜』(2006年)で、主役の呉清源を好演したチャン・チェン(張震)。同作のロケは、2004年の10月から12月にかけて、滋賀県の近江八幡市や彦根市で行われた。私は、滋賀ロケ映画の取材にかこつけて訪れた同作の製作本部(旧八幡公民館)で、本人を見ている。彼は、その辺にころがっていたらしいケバケバになった硬式テニスボールをドリブルして時間をつぶしていた。
 以上、取り急ぎ。2007年10月22日付け「プレミア上映『呉清源 極みの棋譜』評」と、ホウ監督作品『冬冬の夏休み』について書いた2011年7月17日付け「ままならない子供時代」も参照いただきたい。
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 さて、次。彦根市立図書館の郷土本新刊の棚で見つけたのが、松井賢一著『いけるね!シカ肉 おいしいレシピ60』(農文協、6月5日発行)。情報誌『Duet』106号「特集 シカ肉を食べる」で取材させていただいた著者(本業は滋賀県職員)のシカ肉レシピ本第2弾である。
 シカ肉にこじつけて、当ブログでも2012年6月3日付けで「シカ喰う人々――阪本順治監督『大鹿村騒動記』ほか」という文章を書いた。書いたものだから、気になる。例えば、クリント・イーストウッド監督の『アメリカン・スナイパー』(2014年)は、冒頭で少年時代の主人公が父親に連れられてシカ狩りに行き、並みはずれた才能の片鱗を見せる。続いて、仕留めたシカを、……食べるシーンはもちろんない。
 アメリカでは、殺したシカをどうするのか。ドッグフードなどの他に、一つの使い道として、腹を開いて内臓を見せると、ちょうど人間のそれと同じ大きさぐらいなので、映画のスプラッターシーンに使われていると、雑誌かネットで読んだことがある。
 なので、猟奇殺人の死体と人肉を調理した美しい料理の数々が見どころだというアメリカのテレビドラマ『ハンニバル』(NBC、2013年~)が人気だと知った時も、まず思ったのはシカ肉がたくさん使われているのだろうなということ。
 かといってグロ描写は苦手なので観ていなかったのだが、人食い殺人鬼レクター博士役のマッツ・ミケルセンがすばらしいという友人の言葉もあって、おくればせながら、1st シーズンのDVDを借りた。ややこしいが、同タイトルの小説が原作になっているのではなく、時間的にはその前の『羊たちの沈黙』、さらに前の『レッド・ドラゴン』よりも前、レクター博士がまだ逮捕されていない時代(ただし、時代設定は現代)を描くオリジナルストーリーだそう。
 FBIで連続殺人事件の捜査を手伝うウィル・グレアムは殺人現場を見ただけで犯人の行為を忠実に脳内で再現できる能力を持っていて、その精神鑑定を依頼された精神科医ハンニバル・レクターは彼に関心を抱く。複数の事件の犯人に共感することで精神に異常を来たしていくグレアムと、彼となら友人になれると感じ、ちょっかいを出し続け、事態をさらに悪化させていくレクター博士。
 なるほど、レクター役のマッツ・ミケルセンは魅力的で、孤独な魂同士の邂逅にはまる原作ファンがいるのだろうということはわかるのだが、私には今ひとつ楽しみ方がわからないまま話は進む。
 おもしろかったシーンをあげてみる。
 第2話で、視聴者が「お前が真っ先に殺されろ!」と思わずにはいられないタブロイド紙の記者を冷たい目で見つめるレクター博士。シーンが変わり、レクターが自ら調理した赤いソースのかかったロイン(腰肉)をFBIのクロフォード課長に振る舞っている(ほぼ毎回、レクターはFBI捜査官も含めた事件の関係者を自宅に招いて手料理を供する)。
 「何の腰肉?」との問いに、「ポーク(豚です)」と博士。
 「やった! 喰われやがった(のか?)」と思っていたら、続くシーンで記者が何事もなく現れる。この微妙なヒッカケはよかった。(ただし、彼にとって、殺した人間は皆、無礼な「ブタ」という設定を守ろうとすると料理に広がりがなくなる。後半の話数になると、烏骨鶏のスープや子牛肉のなんとかなんて料理が出てくる。)
 もう一つ。第7話で、名刺ファイルとレシピのカードを交互に繰るレクターの指先、男性歌手のオペラが流れるなか、キッチンで冷蔵庫から取り出した肝臓(ヘモグロビン多そうな色だったのでシカ?)、心臓、肺などを次々さばく彼の表情は心もち楽しげ。
 そうか、ブラック・コメディなのか!
 楽しみ方の目星がついたので、「ハンニバル」「ブラック・コメディ」を検索してみる。書評家の古山裕樹という人が、「人を食ったブラック・コメディ」と題してトマス・ハリス著『ハンニバル』(新潮文庫)を書評している2000年6月の記事を発見。
 「クライマックスの料理シーンは大笑い」とある。
 以下、小説版『ハンニバル』のクライマックスに関するネタばれあり。刊行以来、紙媒体やネットでさんざん指摘されていることだろうから、今さらだが、海外ミステリに縁のない私には発見(シカ肉が導いてくれた!)だったので、書き止めておく。
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 というわけで、前世紀末のベストセラーミステリ『ハンニバル』(上)(下)を読む。
 本題の前に一つ、シカ肉関連なのであげておく。下巻が始まって3分の1ぐらいのところで、クラリスを助けにアメリカに舞い戻ったレクターが最初に犯す殺人。猟期を守らずにシカをクロスボウで狩った男が、同じくクロスボウの矢で頭部を射抜かれ、ともにサーロインと腰肉とフィレ肉を取り去られた状態で発見される。検死の場の医師がヒロインのFBI特別捜査官クラリスに言う。「心臓の重量は、両者とも、ほとんど同じだった」。このセリフがもとで、死体の臓器に用いられるようになったのではあるまいが。
 そして、クライマックスは、ゲストにクラリスを招いたディナーの場。レクター博士が供するメインデッシュは、出世欲と私怨からクラリスを窮地に陥れた司法省監察次官補(にして、最低のゲス野郎)クレンドラーの脳味噌。彼は生きたまま頭蓋をはずされ、前頭葉をスプーンで一切れすくいとられる。
 と、だしぬけにビング・クロスビーのヒット曲(「星にスイング」)を歌いだすクレンドラー。
 これは予想外の展開。私は声を出して笑った。『2001年宇宙の旅』(1968年)のパロディときたか。先の古山評では、イギリスのコメディ番組『空飛ぶモンティ・パイソン』(BBC、1969~1974年)だとしており、その「ガンビー脳手術」というコントはネット上の動画で見ることができるが、どこも似ていない。似ているのは、『2001年』のクライマックスの一つである。
 宇宙船ディスカバリー号の船内で、搭乗員ボーマンが狂ったコンピューターHAL9000の中枢部のパネルを抜き取っていくと、HALの知能が退行していき、開発初期に教えられた歌を再生する。
 昔、『ハンニバル』の映画版の方を観たはずなのに、笑った記憶がないので、リドリー・スコット監督『ハンニバル』(2001年)のDVDをレンタル。クレンドラーの脳味噌シーンはあるが、歌いだしたりせず、自分の脳を食べさせられるのが最高の罰という感じで処理されている。公開年はそのものずばりだし、パロディだと気づかない人でも、コメディシーンになってしまうからだろう。
 続いて、スタンリー・キューブリック監督『2001年宇宙の旅』のDVDをレンタル。通して観るのは、中学生の頃、テレビの「日曜洋画劇場」での放送、高校生の頃、京都新京極の映画館であったリバイバル上映、それから約30年ぶりの3回目だ。
 “デイジー、デイジー、答えておくれ。気が狂いそうなほど、きみが好き。派手な暮らしはできないし、車も買えない……”
 やがて壊れたテープレコーダーのようなスロー再生になり、ついにHALはこと切れる。
 歌は、ポップスのスタンダードナンバー「デイジー・ベル」。Wikipediaには、この選曲の理由も書かれている。「星にスイング」も日本語訳詞を探すと、選曲理由はなんとなくわかる。
 トマス・ハリスが参照したのは映画か原作かわからないので、アーサー・C・クラーク著『2001年宇宙の旅』(ハヤカワ文庫)も古本を購入。著者には失礼だが、最初から読まずに後半の該当箇所を探す。
 ボーマンは思う。
 「これは、かなりきわどい手術になりそうだ」
 「おれがしろうと脳外科医をやることになるとは思わなかった――それも、木星の軌道の外で脳手術なんて」
 “デイジー、デイジー、答えておくれ”という歌も出てくる。コンピューター相手でもいくぶんブラックな知能退行はキューブリックのオリジナルかと推測していたが、違った。HALを人に見立てた「脳手術」という言葉を重視するなら、小説『ハンニバル』のクライマックスは、小説版『2001年宇宙の旅』のパロディというべきなのだろう。
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 長い道のりであった。今回のテレビドラマ『ハンニバル』も、殺害シーンや死体にパロディ要素が盛り込まれていると、実際と慣用表現の両方で「ヒトを喰った」テレビドラマになったのに残念、というのが結論。
 なお、『いけるね!シカ肉 おいしいレシピ60』には、ちゃんと「脳のムニエル(焼きセルヴェルのソースがけ)」という一品もカラー写真入りで紹介されている。セリヴェルとはフランス語で食用の動物の脳のこと。「セルヴェルは止め刺し後30分以内のものを使う」とある。脳味噌は新鮮さが命。レクター博士は正しい。
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 以下、余談。知らずに観始めたのだが、テレビドラマ『ハンニバル』では、巨大な角をはやした雄鹿が、グレアムの幻覚の中に何度も登場する。ラスト2話では、角人間(ネット内での通称は「リアルせんとくん」もしくは「黒せんとくん」)まで。いったい何の象徴なのやら、1stシーズン13話ではまったくわからなかったので、ふれなかった。書くなら、奈良県民の仕事だろうし。

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