新撰 淡海木間攫

其の二十六 井戸村与六作職書付(さくしきかきつけ)  戦国時代の土豪と家臣

作職書付

 この文書は、坂田郡箕浦(みのうら)(現在の近江町箕浦)の土豪井戸村氏が、天正19年(1591)に「おころ彦三郎」以下28名の家臣に対し、扶持(ふち)(領地)として与えた土地を列挙したもので、計81筆が記され細長い史料となっている(写真は冒頭部分)。この年に行われた太閤検地に際して、扶持している土地が家臣の名前で検地帳に登録され、所有権が失われることを恐れた井戸村氏が、あくまでも井戸村氏の土地であることを確認させた文書である。文書の最後には、これらの土地が井戸村氏によって、いつ召し上げられても、支障なき旨を記した誓約文まで付けられている。

 井戸村氏は、湖北の戦国大名浅井氏の家臣。『嶋記録』という史料にも見えるように姉川合戦にも参陣した。当然、合戦には土豪本人のみでなく家臣を連れていくが、その家臣がここで扶持を与えられている人々であった。多くは、箕浦周辺の百姓たちである。彼らは、井戸村氏への戦時「奉公」の見返(みかえり)に、「御恩」として土地を与えられていた。大名と家臣の関係―そのミニ版が戦国の村でも行われていたと考えたらよい。

 この時の井戸村家の当主は、文書名にもある井戸村与六。一般にはまったく無名な人物であるが、中・近世を専攻する歴史学者の間では、これ程有名な人物はいない。というのは、昭和28年以降、豊臣秀吉による太閤検地の意義を左右する史料として、一時期本書は盛んに取り上げられたからだ。

 『井戸村家文書』65点(県指定文化財)の中の一通で、平成2年に逝去された長浜の地方史研究家・中村林一氏のコレクションの一部である。平成6年にその遺族のご好意で、市立長浜城歴史博物館へ寄贈された。井戸村家からは、この文書群はクズとして出され、中村氏はこれを給料の2倍半の金をはたいて古物商から購入したという「近代の伝説」付きの代物でもある。 

市立長浜城歴史博物館 学芸員 太田浩司

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