2013年 6月 06日

ルーツと歌詞にマッチした名リミックス――『久保田麻琴レア・ミックス 江州音頭 桜川百合子』

 発売は去年の6月6日、1年遅れの紹介になるが、知ったのが先日なのでお許しを。
 『久保田麻琴レア・ミックス 江州音頭 桜川百合子』(テイチクエンタテインメント)は、「江州音頭(ごうしゅうおんど) 千両幟(せんりょうのぼり)」のミックス3種と、それらのインストバージョン、昭和40年代のLP制作時に録音された原曲の計7曲を収録したアルバム。アマゾンにてとりあえず購入、1890円(税込)。
 久保田麻琴というと、私はサンディー&ザ・サンセッツのアルバムを持っていてもおかしくない世代(「ヒラケ・ゴマ」とか、聞けば懐かしい)だが、南方系のメロディはまぶしすぎると感じる中学生男子だったので、ご縁がなかった。
 1曲目の「千両幟 VooDoo Ciranda」がかっこよい。
サイケデリックな、というか、気味悪がる向きもあるかもしれないオドロオドロしいギターが、江州音頭にこんなに合うとは。桜川百合子の歌唱だからなのか。
 「VooDoo Ciranda」は、日本語にすれば「ブードゥー教の踊り」風アレンジってことでよいのだろうか。Ciranda(シランダ)はポルトガル語。ブラジルなどで、伝統的な歌に合わせ輪になって踊る大人のダンスのこと。
 7分余りの長尺、あきさせない。間奏で、R&Bシンガーばりに「ユー(you のわけはないが)」とうなる。これ、原曲の一節から一語を切り取って挿入したのかと思ったら、原曲でもしっかり「ユー」とうなっている! 1回あって、さらに3回繰り返させるのはやりすぎな気がする(原曲は1回だけ)が、先に「この流れだと3回続く」とわかるから、笑って許せる。
 加わる音の配分が微妙なところで(好みの問題といえばそれまでだし)、2曲目の「Massive Gollywood Mix」は、シャンシャンという錫杖(しゃくじょう)の音(?)など、より日本のエキゾチシズムを詰め込んだミックスに聞こえるが、笛の音が入る時点で、私には恥ずかしさが生じる。3曲目の「80’s Funk Stylee」は、一番万人向けではあるのだろう。
 これを書いている最中、パソコンから流れる「江州音頭」を聞いた妻曰く、「呪文みたい。同じ呪文に聞こえるのなら、あたしはグレゴリオ聖歌の方が好き」。
 コメント後半は無視するとして、それも当然で、江州音頭は、山伏が「祓い清め奉る………親子息災延命諸願成就と敬って申す」と前置きして、独特の節回しで物語を読み上げた「祭文語り」と呼ばれる芸能に起源がある。
 「千両幟 VooDoo Ciranda」がよいのは、ブードゥー教というカリブやアメリカ南部の黒人社会に伝わる民間信仰(呪文による儀式が有名)の、好意的な意味で“不気味な彩”をほどこすことで、江州音頭がその始まりにもつ怪しげな宗教性を思い出されるところ。
 さまざまある「江州音頭」(「エー、みーなーさまー、たーのーみーまーす」で始まるのは共通)のなかでも、「千両幟」の歌詞は、好いた相撲取り・留関の病を治そうと、芸者松吉が寺の権現様に水垢離(みずごり)で願掛けをするというあらすじ。
 「抜き読み」と歌詞に出てくるとおり、明治から昭和前期まで全国的に知られた講談が元ネタだという。東京で明治10年代に人気のあった講談の演目一覧(兵藤裕己著『〈声〉の国民国家―浪花節〔なにわぶし〕が創る日本近代』)の、ジャンルでいえば「力士伝」の中に確かにあがっている。つまり、物語自体は江州(滋賀県)と無関係。また、同タイトルの人形浄瑠璃や落語があるが、あらすじも登場人物名も異なる別物。
 留関の病気が全快したなら、自分の命を「十と五年は差上げましょう」という誓いのあと、すごみのある桜川百合子の歌唱も手伝って、「おがますばかりが 神じゃ仏じゃありゃしょまい」と神仏に対して放つ挑発的な言葉が印象に残る。
 私自身、住んでいる地域で秋祭りの日に行われている、桜川一門の歌い手を招いた盆踊りで子供の頃から踊っていながら、歌詞を通して読んだことはなかった。興味をもって調べる気になったのは、今回のアルバムのおかげである。
 CDジャケットに使われている白黒写真は、「昭和34年7月2日納涼大踊。能登川駅前広場にて撮影された写真」で、櫓(やぐら)の中に桜川百合子が座っている。
 CD付属のジャケット兼冊子には、「千両幟」の全歌詞も掲載されている。これは、深尾寅之助著『江州音頭』(白川書院、1971年)に口演:櫻川百合子名義で掲載されている「千両幟」の歌詞と同一のもの。同書には、「テイチクNL―二〇六四で(レコードが)発売されている」とある。
 ただし、担当したデザイン会社の責任だろうが、この冊子はページの「面付け」を間違えたまま印刷されてしまっている。表紙から順に開いてくと、収録曲一覧の次が「歌詞の後半」で、最終ページに「曲タイトルと歌詞の前半」が掲載されている。
 桜川百合子(1937~1985?)は、能登川町林(現、東近江市)の生まれ。彦根市稲枝町に住んでいた。
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 「本気」なミックスだなぁと思ったら、付属冊子のThanks欄(謝辞欄?)では、江州音頭関係の協力者の名のあとに、「このアルバムを中村とうよう、そしてチャーリー・ギレットに捧げる」と記している。うん、本気だ。
 ネット上にはたいした情報が見つからないので困っていたのだが、あぁそうかと図書館で、CD発売ごろの『ミュージック・マガジン』2012年7月号を借りた。長浜・彦根の図書館には置いておらず、県立図書館から取り寄せてもらうことに。届いてみると、同号は「特集 ももいろクローバーZ旋風!」(裏表紙もそのアルバムの広告)で、カウンターで受け取るとき表情に困る。9割がた立ち読みだったが、好きなミュージシャンが載っていた何冊かは持っている私の世代がいだく、老舗(図書館なら当然常備)の洋楽雑誌という認識はすでに古いらしい。
 さて、誌面をみると、「アルバム・ピックアップ」の中に、真保みゆき氏が取り上げている。同時発売の『続、続々カワチモンド』といっしょに。
 見出しは「ゲテもの扱いされていた河内音頭系のシングル群」。
 「VooDoo Ciranda」については、「どこかエチオピア歌謡的でもある百合子の歌声にマラカトゥ・リズムが交錯する」とのこと。わかりますか?
 採点つき短評の「アルバム・レヴュー」の方では、原田尊志氏が取り上げている。
 「繊細さと豪胆さの間を行き交う見事なトラック」「久保田がいかにこの曲を愛しているか、ダイレクトに伝わる凄味あるリミックスだと思う」とのこと。10点満点で9点。
 ジャンルは「ワールド・ミュージック」。一つ目に紹介されているアルバムは、マリエム・ハッサン『エル・アイウンは燃えている』で、「西サハラ“砂漠のブルース”系ヴェテラン歌手、欧州亡命後の5作目……(中略)8点」といった具合。
 同じ発行元のあれもあるなと、『レコード・コレクターズ』の2012年7月号をネットであたると、こちらはバックナンバーデータで、安田謙一氏が「河内音頭/江州音頭 “日本一あぶない音楽”のグルーブが復刻音源集や久保田麻琴リミックスで甦る」と題する文章を書いていることがわかったので、古本を購入。
 安田氏曰く「琵琶湖に住み着いたピラニアが繁殖したのを強引に鮒ずしにしたような、もの凄い世界」。これは言いすぎ。
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 さて、以下は滋賀県と関係ないが、私の頭の中では、ひとつながりなので。「千両幟」と合わせての裏タイトルは、「日英女歌対決」。
 Voodooで、私が思い出したのは、イギリスの女性歌手アリソン・モイエ(Alison Moyet)の3rdアルバム『Hoodoo(フードゥー)』(1991年)。ゴスっぽいメイクのアリソンの写真(茶系のセピア色)の背景に何かの呪文らしき記号がびっしり並び、収録曲も全体に不穏な印象を受ける作品。
 一応説明しておくと、発売当時は円高の進行で輸入盤の価格がとても下がり、英語知らずの洋楽聴きである私などでも(まぁ、もともと日本語訳詞も読まなかったし)、輸入盤を買うようになった時代。
 不快と紙一重のかん高いヴァイオリンに似せたシンセが響くアルバム標題曲(「Hoodoo」)の歌詞内容は、ブードゥー教の呪術で彼の愛を手に入れようとする、あるいはゾンビよろしく死んだ彼を秘術すら用いて甦らせようとする、行き過ぎた恋の歌かと想像していた。
 これなら、「千両幟」とも通じる世界である。興味がわいた私は、歌詞の対訳・解説つきの日本盤を買ってみることにした。アマゾンだと中古品が1円(レンタル落ち)からあり、一応100円(+送料340円)の新品を購入。
 さて、日本盤解説(佐藤どなこ氏)によると、今作はパーソナルな出来事を自叙伝風に綴ったもの、わかりやすく言えば「離婚してシングルマザーになった彼女」の傷心と憤りが創作のもとになっている。アルバム1曲目「Footsteps」の一節(対訳:内田久美子氏)は、「泣きたいほど悲しい 私は名字以上のものを失うの」、後半の9曲目「My Right A.R.M」(A.R.Mは次男アレックスの名の頭文字)では「天使よ 頭をしゃんとあげなさい」、そして、問題の6曲目「Hoodoo」では「あんたは疫病神」と別れたダンナのことを……。
 そう、英語に堪能な方は最初からわかっておられたかもしれないが、Hoodooには、ブードゥー教以外に「疫病神」という意味があるのだった。
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 さて、20年余りの時を経て、自分のバカぶりがわかっただけではない。ありがたいことにアリソン・モイエの新作アルバムの情報が入手できた。
 日本語のウィキペディアでは、80年代に人気だったシンセポップデュオ「ヤズー(Yazoo)」のヴォーカル担当としてしか名前があがっていない。
 日本語のブログ類では、ヤズー時代ばかり評価している書き込みが目立つが、初期テクノのチープな音に彼女の本格派ヴォーカルは不似合い。日本人ブログを見ていると、「その違和感がよいのだ」と強弁している人までいる(本国イギリスにもいるのかもしれない)が、「カラオケ店で歌わされてる落ち目のプロ歌手」のような場末感が漂う(初期テクノの音には素人くさい歌い手の方が似合うことは、日本のいわゆるテクノ歌謡をみてもわかる)。
 私が通っていた高校の近くのレコード屋(とっくの昔に閉店)で買ったソロ第1作のアルバム「アルフ」は、まだLPだった。ギタリストのピート・グレニスターと組んだ『Hoodoo』と続く4th『Essex(エセックス)』を愛聴していたのだが(歌詞の意味は気にしないまま)、その後新作が途絶える。CD売り場の「A」の棚には、まぎらわしい「アラニス・モリセット(Alanis Morissette)」ばかりが増えていった。
 某音楽雑誌の新作レビューで5作目『Hometime』(2002年)発売を知ったが、日本盤発売自体がなかった(輸入盤を購入)。続く『Voice』(2004年)はスタンダードナンバーのカバー集だったので、もう実質引退だと思っていたわけだ。情報源として頼っていた先の音楽雑誌自体、2年前に休刊してしまったし。
 ところが、今回記事を書き進める間にアマゾンで検索してみたら、新作アルバム『the minutes』が予約受付中(5月25日発売)。もちろん購入。19年ぶりに発売された日本盤には、彼女の近況などがわかる解説はあったが、歌詞の対訳はなし。Googleの[このページを訳す]機能を使うと、「the minutes」→「議事録」と表示される。……私でもわかる。自動翻訳はまだまだだ。
 youtubeで彼女の最近の姿を拝ませてもらったら、またびっくり。50歳を過ぎて(1961年生まれ)、デビュー以来、最もスリムに! そのふくよかな体型から20代で「肝っ玉母さん風の外見」などと評されていたのが、妖艶なマダムになってらっしゃる(再婚はしていないかもしれないが)。
 エレクトロニック・サウンド、つまりはヤズー時代と同じ打ち込み主体の曲が多いが、今は充分ゴージャスに感じられる音色に進歩しているから、彼女の歌唱によりマッチしている。ボーナストラックとして、アルバム10曲目「all signs of life」の派手なクラブ仕様のリミックスがあったりすればよかったなぁ。

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