2015年 2月 22日

われはやくより病あり――小津久足『煙霞日記』

 昨年の12月末、書店で「月岡雪鼎」の文字が目に入ったので、『芸術新潮』2015年1月号を購入。特集タイトルが「月岡雪鼎の絢爛エロス」、大阪歴史博物館で特別展示があるわけか(ただし、展示に肝心の春画はなし)。
 すると……と思って、当ブログのアクセス数を見てみたら、2011年6月19日アップの「こころうきふねよがりあふかな――月岡雪鼎の春本と春画」が月間最上位になっている。といっても、書くのもはばかられるわずかな数字。常日頃「ほんとにこれだけ?」と思っていたが反省。このアクセス解析は正しい。
 1月集計も同様で、最新の「大津市民は嫉妬すべき」を1アクセス上回った。
 せっかくなので、自分でも3年半ほど前に書いたものを読み直してみた。気になり出したのは、あわせて紹介した板坂耀子著『江戸の紀行文』(中公新書)が「江戸時代最大の紀行作家」としていた小津久足(おづ・ひさたり)のこと。
 近江などをめぐった紀行文がいまだ翻刻(活字化)されてないとのことだったが、その後どうなったのか?
 2013年3月に出た日野町史編さん委員会編『近江日野の歴史 第3巻 近世編』では、3章4節「街道と宿駅」で、執筆担当の青柳周一教授(滋賀大学)が久足の『石走日記』、『煙霞日記』、『志比(しい)日記』、『青葉日記』から日野町域を通過した際の記述を引いており、地域史研究にも「使える記録」であることがわかる。ただし、必要部分のみ各所蔵先にある原本から翻刻されたもの。
 抜粋でなく、全文を通して読んでみたい。「小津久足」で検索してみると、久足の『煙霞(えんか)日記』(天保8年・1837)を収録した津本信博著『江戸後期紀行文学全集 第2巻』(新典社)が2013年10月に刊行されていた。
 さっそく、滋賀県立図書館の蔵書を、彦根市立図書館でリクエストして入手。
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 「われはやくより病あり……療しかねむやまひなり(治療することのできない病気である)」と書き出されるので、深刻な展開を予想していると、すぐさまニヤリとさせられる。
 書名にある「煙霞」とは(以下、google検索知識)、唐代の正史『新唐書』に書かれた故事に由来する「自然の風景を愛する心が非常に強いこと」、「旅行好きのたとえ」。「煙霞の癖(へき)」という言葉、「煙霞痼疾(こしつ)」という四字熟語もあるのだそう。
 つまり書名は、今なら、「病みつき旅行日記」あるいは「旅狂日記」とでもつけた感じ。久足は当時33~34歳、江戸にも店を構える干鰯(ほしか=肥料の一種)問屋の主人で、お供の男が一人つき、たまには駕籠も利用する、そこそこリッチな旅。
 目的地は、琵琶湖の竹生島(長浜市)と紅葉の名所である永源寺(東近江市)で、10月1日に伊勢松坂を出発、津、鈴鹿、大垣、不破の関、関ヶ原、筑摩(以上上巻)、11日飯村、竹生島、長浜、永源寺、筆捨山、津、16日帰着(以上下巻)。
 研究者用の専門書なので、現代語訳や注釈はいっさいない。正直読めるのか不安だったのだが、思いのほか意味がとれる。私自身が知っている地名で土地勘があるせい、その地にまつわる情報が現在と共通している、それから板坂著『江戸の紀行文』でも指摘されていたが「感覚が現代人に近い」せいか。江戸後期の人間にとって南北朝や室町時代の歴史は、現代人にとってと同じように「大昔の出来事」なのである。
 先の路程のとおり、上巻のお終い近くで近江国に入る。下巻の書き出しの段落が、またうまい。以下、読点なしにつながっている文章をさらにわかりやすくなるように改行した。
 「あまの川」(天野川・米原市)を渡っていくつか村を過ぎ、
 「けさはいとさむくて駕籠にのりたるが」
 「ぬむりきざしておもはずまどろみたるほど」
 「ふとめざめて波のおとにおどろけば」
 「湖はただ目のまへなるに」
 「あけがたちかくしらみわたりてことにいひしらぬながめ也」
 わかる、わかる。ただし、教養人である久足が「そのおもむきおなじことなり」として続けて書き記している「宋郭青山」(中国宋代の詩人か?)の七言絶句は、半分も意味がわからない。
 場所は長浜の近く、早崎から竹生島に渡る舟に乗るため、久足は北国街道を進み、やがて竹生島に渡る船を出す早崎に到着する。
 「このむらの杉田源内といふものの家より船をいだす」
 「船いだす家は三軒にて当番といふがありてこの家このほど当番也」
 「(往復料金は)銭五百文嶋まはりのあたひ銭百文也」
 記述は極めて具体的。その一方で、稲刈りの終わった田に稲穂を干す稲架(はさ)がつくられているのを見れば、「めづらしくみやびたり」と旅情を感じ、漕ぎ出た船上からの眺めを「さざ波は稲葉の波にうばはれてみぎはひまなくかけわたしけり」と詠む。
 湖上からの景色、上陸した竹生島にある建築物などに関する詳細な記述がつづき、本書最初のクライマックス。以下も読点なしの文章をわかりやすく改行した。
 「われもとより汐海のさまはこのまず」
 「常に湖を好むの癖あれば」
 「この湖の景はことさらこのみて」
 「勢田大津あたりより見ることをだによろこびしに」
 「ましてこのところに来たりてみること」
 「幸の幸といふべし」
 もう一方のクライマックス、永源寺境内で、久足は特に色づきのよい紅葉1枚を拾って懐紙に包み持ち帰る。そこで、詠まれた一首も引用したいのだが、今後の読者に悪いのでやめておく。
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 滋賀県立図書館HPの横断検索をかけたところ、『江戸後期紀行文学全集 第2巻』があるのは、県内公立図書館では県立図書館の1冊のみ(大学では、立命館大学と龍谷大学の図書館にあり)。
 滋賀県立図書館の本は、同館カウンターでの貸し出しの際、後ろ見返しに貼られた紙に日付スタンプが押される。その紙は白いままだ。私のように他館経由で借りた人がいるかもしれないが、これはもったいない。
 収録19篇のうち、貞幸・益親・千枝子著『さきくさ日記』、松岡行義著『かりの冥土』、橋本実麗著『近江田上紀行 全』の3篇も近江の地について記されているので、郷土図書コーナーにあってもおかしくない本。ただし、価格は1万3000円+税。

3件のコメント


  1. 本当に突然失礼します。
    小津久足の紀行集が、皇學館大學研究開発推進センターから、ひっそり刊行されつつあります。私は編者からもらいましたが、多分購入も可能なのではと思います。0596-22-6469が連絡先のようで、第二集まで刊行されています。

    すでにご存じの情報だったらすみません。
    地味ながら小じんまりした、きれいな本で、一般の方々も読者に想定して、随分よみやすい翻刻と註釈になっています。
    久足に関心を持っていただけるのがうれしくて、ついお邪魔してしまいました。

    コメント by 板坂耀子 — 2015年4月5日 @ 8:35 AM


  2. 板坂様
    わざわざコメントをいただき、ありがとうございます。
    ネットでも「小津久足紀行集(一)」が表示されるのですが、
    内容詳細や入手法が不明のためスルーしておりました。
    ご教示いただいた連絡先に電話してみたところ、
    皇學館大学神道研究所に、自分の住所を記入したレターパックをお送りすれば、希望者に無料(!!)で送っていただけるそうです。
    さっそく、(一)(二)とも入手して、読ませていただきます。
                  キシダ

    コメント by kishida — 2015年4月7日 @ 10:58 AM


  3. 滋賀大学の青柳です。小津久足の紀行文は近世の地域史研究にもっと活用されるべきだと常々思っていましたので、『煙霞日記』に注目してもらってすごく嬉しいです。しかし、僕は『煙霞日記』については早稲田大学図書館HPのデータベース(所蔵している古典籍の原本をデジタル画像公開している優れもの!)を利用しているので、『江戸後期紀行文学全集』に収録されたことを知りませんでした。さっそく取り寄せてみます。ありがとうございました。

    コメント by 青柳周一 — 2015年11月16日 @ 11:56 AM

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