2011年 6月 19日

こころうきふねよがりあふかな―月岡雪鼎の春本と春画

 前回で取り上げた本『本を生み出す力』のことから始める。この10年で社会科学に分類される本の年間刊行点数は1.2倍に、新書サイズに限ると434点(1997年)が810点(2009年)と2倍近い増加率となっていることをとりあげ、出版不況にともない新刊依存の傾向が強まっている点とあわせて、同書は「『硬い本』が出しやすくなっている面もある」と指摘している。実際、研究者=著者側にとっては環境がよくなったともとれるわけである。先日、話す機会のあった某大学の研究者(東洋史)も最近は「あいつが?」と思ってしまうような同世代の知人が本を出していると言っていたし。
 そんなわけで、最近拾い物だった新書2冊。
 1冊目は、板坂耀子著『江戸の紀行文』(中公新書)。アマゾンのカスタマーレビューにある、無名子さんの文章にまったく同意(なぜ、☆4つなのかが疑問。私は☆5つ)。著者が江戸時代最大の紀行作家とする小津久足の紀行文の例として、郷里の伊勢松坂を出発、近江・美濃・京都・大坂をめぐった『青葉日記』が行程図付きで一部紹介されており、弊社がある鳥居本も通過したことがわかる。これまで一度も活字化されていないとのこと。どなたかお願いします。
 もう1冊は、アンドリュー・ガーストル著『江戸をんなの春画本―艶と笑の夫婦指南―』(平凡社新書)
 2009年12月に立命館大学アート・リサーチセンターで行われたシンポジウム「近世春本・春画とそのコンテクスト」における著者の発表「18世紀女子用往来パロディーの意義 ―月岡雪鼎の春本制作」がもとになっているものと思われる。
 それから1年たらずで、カラー8ページを含む新書として880円(本体)で手に入るのだから、ありがたい。ただ、新書の方の書名はいただけない。シンポジウムの演題が硬すぎるのはわかるが、春画本を網羅的に紹介した本ではなく、著者が「日本のもじり(パロディ)文芸の最高傑作」だと評価する近江出身の画人・月岡雪鼎の作品のみが取り上げられているのだから、サブタイトルでもよいからその名を入れるべき。
 月岡雪鼎(1726-86)は、近江国蒲生郡大谷村(現、日野町大谷)に生まれた。本当の姓は木田、月岡は日野にある山の名前にちなむ。同郷の高田敬輔に師事したのち、大坂に移り住んで美人画の名手として知られた。今も大坂風俗画系絵師の祖として評価が高い。2005年に滋賀県立近代美術館で行われた「高田敬輔と小泉斐」展でも、敬輔に連なる画家の一人として代表作が展示されている。
 『江戸をんなの…』は、原本(元ネタ)となった女子教訓書と、雪鼎作と考えられる春本4つを比較しながら、前者が理想とする夫や舅、姑、生活上の細かな決まりごとに従う儒教的・禁欲主義的な女性像を、後者が笑い飛ばし、夫婦ともに満足のいく性生活を送ることで家庭円満をめざすより実践的なガイドとしての役割を持っていたことを示す。実際にそれらは多くの女性読者を得ていた。
 例えば、教訓書『女大学宝箱』に引用されている『源氏物語』「浮舟」の段にある和歌「たちばなのこじまのいろはかはらじを、このうき舟ぞよるべしられぬ」が、春本『女大楽宝開』では「たちばなのこじまのいろはかはらじと、こころうきふねよがりあふかな」に書きかえられたように、ある程度の教養を備え、原本をすでに読んでいる読者を想定したものである。
 一番手っ取り早く笑えるのは、「琴三味線」各部名称と「陰茎図」各部名称、「小笠原流折形(贈り物の包み紙)図」と「大松原流張形(ディルド、いわゆるコケシ)の図」を並べた図版(177ページと179ページ)だろう。
 雪鼎は春画も含め、性にまつわる事柄を卑俗なものと見なしていなかった。本書でも指摘されているように、そこには一貫した“思想”が感じられる。多くの門人を得たのちにつくった漢画絵手本には、通常の美人画においてもみられた「当世の遊女を描くことは卑俗」とする見方に反論した文章が残っているそうだし、京都・仁和寺出入りの絵師となって与えられた「法橋」の称号を、富裕な商人らの求めに応じて制作した肉筆春画の落款にも用いた。
 カラーページに掲載されている肉筆春画2作品16点もそうした作品。
 先の県立近代美術館の企画展図録に掲載されている「梅に美人図」に描かれたのとほぼ同じ髪形、表情の女が下半身の着物をはだけ背後から男性器を受け入れている図と聞けば、セルフパロディという言葉が浮かぶが、実物に遊びの印象はない。上質な絵具を用いた丁寧な仕事とされるのもうなずける。日本画では接合部も描線のみで描かれ淡白な表現にならざるをえないが、掲載の数点では、陰毛と男性器にまとわりつく白濁した女性器からの分泌液が胡粉(日本画の白色顔料)を用いて表現されており、生々しさが増している。他の作者の肉筆春画には見られず、雪鼎オリジナルの技法なのだろうか。
 なお、気づいたので書いておくと、『江戸をんなの…』掲載の「四季画巻」の「秋図」は、『別冊太陽 肉筆春画』(平凡社)にも掲載されているが、どちらかが逆版である。
 さて、パロディといえば、もう一人、近江には思い出される画人がいる。栗太郡下笠村(現、草津市下笠町)に生まれた横井金谷(1761-1832)だ。その自伝『金谷上人御一代記』は、タイトルからして法然(金谷は浄土宗の僧でもあった)や蓮如などの事績を弟子がまとめた伝記のパロディである。
 冒頭から、子宝に恵まれたいと石山寺に参籠した母が大きなマツタケを呑み込む夢を見て身ごもり、放屁とともに産み落としたと記すのだから、自己諧謔的といった形容では生ぬるい。
 9歳で母の弟が住職を務めていた大坂天満の宗金寺の小僧となるが、11歳のとき、伏見屋九兵衛の娘りさとやっちまったことがばれて叔父の住職に折檻されそうになったので、大坂からトンズラ。こんな調子の彼の破天荒な放浪生活には、そもそもフィクションもかなり含まれていることがわかっているからタチが悪い。
 弊社の「淡海文庫」の一冊として、滋賀県立琵琶湖文化館の上野良信学芸員が「御一代記」をベースに横井金谷伝を執筆中。

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